ヴィパッサナー瞑想について。

インド関連雑記

 

ヴィパッサナー瞑想。

我ながら真っ先に参加しそうなタイプだと思うのだけど未だにしていない。今でも興味はある。一度は体験はしてみたい、とは思っている。

ヴィパッサナー瞑想とは、簡単に説明すると

インドの最も古い瞑想法で、10日間誰とも話さずひたすら内観する瞑想合宿です・・・と簡単に説明するのは抵抗がある。なぜなら経験したことがないから。なので瞑想の種類として興味ある方、どういうものか知りたいという方はぐぐってくださいね。

まず始めに、なにしろ体験していないので、否定も肯定もするものではないです。むしろ冒頭に書いた通り、してないのが不思議と思っているくらいなので否定もなにもない、というあたりにおります。

ただ。

始めて知ったのは10年前の長期海外旅の時。

日本を出て西周りでアジアから旅を始めて3ヵ月目、インドに入国すると、すでに東南アジアまでの旅でできていたつながりやインドでの出会いから、「ヴィパッサナー」という言葉がにわかに耳に入り始めた。急に何?というほど人々の口の端にあがり始めた気がした。知っているのがあたりまえ、くらいののりで。なんなら旅においてインドを旅程に含めている人は行くのが恒例、くらいののりで。

へえ、そんなのがあるんだ、行ってみたいな、とは思った。

ただ、その瞑想の趣旨に対し、旅人がこぞって、群がるとか食らいつく、という感じで参加するのは、その真髄であるはずの(と少なくともその時の私が感じていた)静けさとはおよそほど遠いイメージも、その急速に耳に入り始めた状況によってついてしまって、何か、ん、ま、今じゃなくてもいいか、となった感じはあった。そのまま。結局しないまま今にいたる。

きっと施設内では、10日間が始まってしまえば、各自静かに内観するのだろう。徹底的に内側と対峙するのだろう。真摯に取り組むのだろう。けれどなんとなく、知り合いと一緒に参加したりすれば、いくら話さないとしても、互いの存在を意識するみたいなのがあるとしたら、なんか違う気もしたし、仮に知り合いがいなくても、10日間を終え、旅に戻った時に、どうでした〜?なんて言い合うのも、なにかピンとこなかった。

あくまで当時の勝手なイメージだし、じゃあ言い合わなきゃいいだけじゃないか、といわれればその通りなのだけど。別に言い合って何が悪い、といわれればそれもまったくその通りなのだけど。

このように興味はありつつも素通り方向に傾いたのは、その時の私自身の旅の「ノリ」が関係していたかもしれない。少なくとも前半のまだまだ高揚がどこかにある時期に、インドだから、という理由だけでそれっぽいものに群がるひとりになりたくない、みたいな気持ちが働いていたように思う。今だから言えるけど。かわいくないね。

ただ、その時はそうだったとはいえ、10年たった今もやってないわけで。

やろうと思えば日本にも複数箇所(千葉や京都など)に施設はある。インド渡航/滞在歴複数回ありの友人は、数年前にインドではなく千葉で体験してきていた。この10年、今年はともかく、基本的には年に1~2カ月旅に出る生活スタイルだったし、10日間予定を空けるのは無理ではなかった。インドにも繰り返し行くようになっているからインドで受けることも不可能じゃなかった。

それでもしてないのは、真っ先にやりそうな性質を自覚していながら、意外に必要性を感じてなかったということなのだろう。少なくとも私にとっては後回しにしてしまうもの。参加したあとでは、もっと早くすればよかった、と思うのかもしれないけど。思わないかもしれない。少なくとも私の「今だ」はやってきていない。そういうこと。

インドで素通りした経緯を話すのに、参加した人を否定するように見えたら申し訳ない。当時は確かにそう感じたので正直に書いたけれど、話したかったのは、その時に参加した人は、その時に参加することになっていたんだろうということ。←ん、日本語変かな。ともかく。私はその時は時期じゃなかったんだろう、ということ。

ヴィパッサナーに限らず、そういうものは私は意外と多い。

とほ