この絵は真夜中の自動筆記により描いた落書きです。なんだろう、願望だろうか。
ひとりでバーに行ったことがないのですよね。それはお酒が弱いこととおおいに関係があるのですが、そのせいか、お酒が飲める人に対してもですが、ひとりでバーに行くという行為に憧れがあります。
ぎくしゃくせずにさらっと初めての街のバーの扉を開ける。あるいは常連の店が幾つかあって、行くとマスターやバーテンダーに軽く会釈され、いつもの席にすわり、いつものやつが頼む前にでてきて、ゆっくりグラスを傾けながら読書したりマスターや隣の人と訥々と会話をかわす。
そんなんじゃねーよ、バーってのはなあ、ちょっとここにすわれ、と説教したくなる方もいらっしゃるかもしれませんが、想像の世界なので許してください。
うんと年下の友人がバーに行く人です。
ランチをした帰りに歩いていて、あ、今よさげなバーありましたね、などという。うそ、私には不動産屋しか見えなかったけど。戻ると果たして不動産屋を曲がった先に少し奥まったよさげなバーの扉がある。私の最寄り駅に近い町だし、よくその通りを歩いているけど、そんなところにバーがあるなんて知らなかった。行く人独特の嗅覚なのかもしれない。
そんなに飲めない、というけれど、それで行くのが逆にすごい。うらやましい。また彼女はバーに似合う雰囲気があるんだ。私もそうなりたい。が初めて行く時、30分はゆうに店の前でうろうろし、意を決して扉を開けた瞬間右手右足が同時に出るのが目に見えている。
バーがいつもの場所になっている人の人生を想像します。
人と一緒に行ったことはもちろんある。でも行く?と言われて、じゃあ、と言って行く場所だった。そこを自分の居場所と感じたことはない。
今からでもバーの常連になってみたい。コロナ禍の今はデビューするには向いてないかもしれないけれど。その点では飲めない身でもお店にお金をおとしにいきたい気もするけれど、飲んでも1~2杯だしなあ。
よぼよぼのおばあちゃんになってからでもいいかしら。たった1杯で粘って、唐突に昔話を始めたり勝手にアドバイスなどして、老害!と呼ばれてしゅんとなって店をあとにするのかしら。悲しくなってきました。
それともバーに集う人々に境界線はなく、それぞれのひとりを抱え、時にそれぞれのひとりを共有しあうのかしら。
そんなんじゃねーよ、バーってのはなあ、いいからここにすわれ、と説教したくなる方もいらっしゃるかもしれませんが、想像の世界なので許してください。
どうせ開けるなら後者の扉を開けたい。
この本のバーはなかなかハード、だけど、やさしくないこともない。それが本来の形なのかも。
本の中でなら何度もひとりでバーに行っている。私のバーのイデアはそれらの寄せ集めなのかもしれない。
とほ