波が平らかになった。

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問わず語り

 

昔はしあわせな満ち足りた感覚を味わうと、できる限りそれを持続させたいと願い、いつのまにかそれが消え去ってしまうことをとても残念がり、持続できないことが自分の落ち度であるかのように落ち込んだりもしていた。

けれど、この歳になるとさすがによい感情もわるい感情もすべては移り変わっていくものという認識がほぼできあがってくるし、それがわるい感情に対しては救いでもあること、よい感情にかんしても移り変わるのは自分のせいでもなんのせいでもなくただそういうものであること、と自然に受けとめるようになってくる。

無理にとどめようとするよりは、消えゆくにまかせる。そしてその感覚の名残を胸に、次はいつ味わうことになるだろうと楽しみにする。去っていく感覚でさえも、そうか、こういう感じなのか、と観察しながら見送る。

不思議なことにそういう心持ちでいると、そのどちらでもない中間的な状態のあいだも、感情の状態がほんのりよい側に置かれていることが多くなる。それも、ものすごくよい、ではないのがみそで。ほんのりとよい感じが、どっちに向いてもだいじょうぶな、安定感のある状態を作りだしてくれる。

味わってなんぼの人生の一部始終をこんなすかした状態で送りたくはないし、実際送ってもこなかったけれど、それなりに感情の起伏の波をこえてきての今のこのゆるやかに安定した感じは、なにかを継続してやろうとしている時には助かっている。

まあ単に枯れてきているだけという話も‥‥‥しっ、それ言っちゃだめ。

 とほ