911で思い出したドトールで耳にはさんだ話。

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問わず語り

 

旧石器時代にホームページなるものを持っていたことがある。日々感じたことや読んだ本や時々小説や詩だったりをせっせと書いては更新していた。つまり内容はここに書いているようなこと。前身のロケ地巡りブログより、その前の世界一周ブログより、黒歴史ブログよりずっと前のこと。人って変わらないのね。

その中で、今日が9月11日ということで思い出した記事があるので、少し長いけどそのまま再録させてください。

******引用ここから******

お昼にドトールに出かけた。
本当はその日は朝からお気に入りの珈琲店でパスタランチを食べよう!とはりきっていたのだ。でも空腹を押さえて用事を済ませて行ったら閉まっていた。ががーん。力の抜けた私達は新たに店を探す気力もなく、駅前のドトールでいいや、ということになった。
●に席取りをお願いし、コーヒーとミルクレープとベーグルサンドをトレイにのせて2階に上っていくと、混んでいた。私達の左隣には若い男の子が2人、右隣にはおじいちゃん3人。おじいちゃんたちがまた広がって座ってるもんだから私達はひじを思うように広げることもできない。狭っ、と思いつつもしょうがないのでちぢこまってもそもそ食べていた。
おじいちゃんたちは自分達の話に夢中な様子。けして大きい声ではないんだけれどすぐ隣なのでいやでも耳に入ってくる。「満州が・・・捕虜が・・・。」どうやら一人のおじいちゃんが自分の経験を語っていて、残りの二人は相槌係の様子。じ、じいちゃん、ドトールまで来て昔話せんでも。最初はそんな風に思っていた。が、そのうちだんだん話にひき込まれていった。だって口調があまりに淡々としていたから。淡々としていて返ってリアルだったから。
それはだいたいこういう話だった。満州で、彼はどこかに向かっている途中で、偶然知り合いのイイダさんという捕虜に会った。「ああ、イイダさん!」などとひとことふたこと言葉を交わしたが、ゆっくり話す時間もなく再びすれ違って行ってしまった。ところが後で知ったのだが、その後すぐにイイダさんは亡くなったらしい。どうやら自分が生前のイイダさんと会った最後の人間だったようだ。信じられない。だって捕虜は60万人もいたのに、その中のひとりの知り合いに出会えたなんて。まるで奇蹟みたいだ。60万人のうち最終的に15万人が死んだんだよ。そう語る彼もまた捕虜であったようだった。
「まったく、捕虜の生活は悲惨なものだった。公園にいるふ・・・ほらなんだっけ、ふ、ふ・・・(浮浪者かい?と一人のおじいちゃんが云った)そう浮浪者(※)、あっちの方がまだマシだよ。だって彼らは自由じゃないか。捕虜に自由なんてなかった。まったくひどいものだった。俺は思ったよ。こんなところでは死ねないって。死ぬなら日本の沖で死にたいって。例え、日本のどこかの沖に必死でたどりついて、そこでぱたりと倒れて死んじまっても、その方がいいと思ったね。こんなところでは死ねない、ほんとそう思った。」
それはもう<昔話>ではなかった。まぎれもなく、おじいさんの背後にある昨日と同じくらい近い過去、手に取れるほど近くにある小さな歴史だった。よくある話なのかもしれないけれど、実際に体験した人から語られるそれはやはり相応の重みがあるものだった。
おじいさんの話がどこまで正しいかはわからない。捕虜60万人という数字は改めて考えると途方もない数字だし、過去の話というのは繰り返されるうちに次第に形を変えていきがちだから、もしかしたら誇張も入っていたのかもしれない。でも淡々とした口調からは、おじいさんは今光景を胸の中で再生させながらそれをそのまま口に出しているのだろう、という印象しか受けなかった。
おじいさんは最後に 「戦争はもういやだ。戦争はもういやだ。」と二度続けていった。それからやっと少し身を起し、「もし今度戦争が起きたら、俺は逃げるね。」と照れ笑いした。
もし戦争が起きたら。
この<もし>を私と同世代の人が云ったなら、なーにいってんのよう、なんて笑い飛ばしてしまったと思う。絶対に起きないという確証はないにも関わらず、今の時勢に真剣にそういうことを持ち出す雰囲気ごと笑い飛ばしてしまったに違いない。でも、彼の<もし>に笑いの入り込む隙はなかった。少なくとも私の立場からは。うん、逃げなよ、おじいちゃん。今度は。もう逃げてもいいよ。私はミルクレープを食べながら思っていた。

******引用終わり******

2001年9月11日の2日前のことでした。

とほ

 

※ 今では使われない言葉なので、変えるべきか迷いましたが、聞いた会話としてそのままとしました。