CBインタビューのこと。もうひとつの旅動機のこと。

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映画語り

 

最近の新作2作公開にからんでの関連記事&インタビューに関するたわごと。
もはやひとりごと状態。まあ、その、とばして可です。というかとばしちゃってください。

この人のインタビューの定番は、映画のことしか話さない、パーソナルな部分はNG、みたいなことになってるようだけども、いやいや十分。

こうやって出てくる限りはどうしたって、人間だものbyみつを、性質に関わる話に触れるわけだし、見た目からだけでも少しくらい伝わるものはあるわけだし、その組み合わせで、今がどういう状態か、なにを考えているか・・・そのエッセンスは、ほんの気配くらいは、感じとることができる。実際、出てきさえすれば、この人の「顔に書いてあります」くらいの素な感じは、そのメディアに対するバリアと矛盾してるとすら感じるくらい。

今までも好きな俳優さんというのはいて、好きになると長い方ではあるけれど、コンプリ方面に傾いたり、こうしてインタビューやら記事をがっつりと読んだり聞いたりするようになったのは、今回が実ははじめて。今まではわりと自分の知りたい部分だけで満足していたというか、すべてを知りたい欲求がもともと少ない方というか、まあそれは今もそう変わってはないのだけど、今回、ここまでがっつりなのは、この俳優さんに対する興味の程度の他に、ネット環境がそれを可能にしてくれるようになった、ことに今更ながら気づいたことも大きいかも。で、新作公開に向けた流れのほぼなにもかもを栗初心者として新鮮に享受している最中なわけだけれど。

その中で、感じているのは、毎回似たような質問が多いのはしょうがないとして、その時々の状況や映画の内容によって質問の多い少ないの傾向はあるのだなということ。例えばアメリカで12/6に封切されたばかりの『Out of the Furnace』(監督スコット・クーパー)では、役選びはどうしてるかという質問、もちろんごく一般的な質問ではあるのだけど、が多い気がする(自社比)。それに対するCBの答えも、ある程度は用意されている、というか、というより、話すうちにフォーマットができあがっていくのかな、よく似ていて(やはり自社比)、上記に対して今回は「人生の中で自分がおかれてる状況によるよね」という切り口のよう。「いつも正しい選択ができるわけじゃないし生活のために選ばなきゃいけない時もある。今ではありがたいことに、少しは選べる立場になったようだけれど」。なんとなくこれ、監督との会話が背後に感じられるような気もしないではなく。

監督は、「主人公ラッセル・ベイズに最初からクリスチャンを想定して脚本を書いた、クリスチャンがやると言わなければ他の俳優での映画化はありえなかった」らしく、それが口先でなく本当にそうで、みたいな話は制作の背景としてそれこそまあよく目にする。他にも、この監督さん、ただの自作キャンペーンだけとも思えないCBぞっこんぶりがまたファンとしてはくふふ、と言う話はおいといて。

あと、アメリカのブラドックという町の製鋼所で働くブルーカラーの男ラッセル・ベイズのキャラクターについて、CBは「小さい頃から移動を繰り返す人生を送ってきた自分にとっては、ある特定の場所(町)に根差している感覚というのは未知の世界」というように言っている(例えばここ)、この人の、この、どこにも自分が根ざしていない感覚というのは、いろいろなものを読みあさる前からなぜかどことなくこの人に感じていた部分で、一方で国や故郷がないという経験を抱えているわけでもないくせにものごころついた頃から自分の中のデラシネ臭とつきあってきた私には、どちらかといえば自分にない部分でひどくやられているこの俳優さんと自分とのわずかな共通領域として勝手にシンパシーを感じている部分であるわけだけれど、この認識が正しいかどうかはおいておいて、たとえばこういう、この人のルーツにかかわるような話も、映画に絡んでであればごく自然に聞けたりするわけで。

私生活をあえて語らなくたって、こうやって新作が出ることで、メディアにでてきてくれれば、その言葉のはしばしから、変化したもの変化してないものを多少なりともこちらも感じとれる。質問に対する答えに、ああ、今はそういう心境なんだな、というのはにじみでるものだし、うっかりそこにぽろっと私生活の話がまぎれこむとしめしめだし、そう答えるにいたる経緯が、そう思いいたる経緯が前回からの時系列のどこかにあったんだな、監督や他の俳優とのコミュニケーションの中でそれを発見する過程があったんだな、というのもかいまみられる、それだけでじゅうぶん私にはおもしろい。メディア側のフィルターも、受け取る自分のフィルターも、そこは人間だもの(@みつをアゲイン)どんなに排除しようとしたってある程度はしょうがないとして、それでも、特定の人を、本質を知りたくて注意して観察している者にとっては、結構収獲は大きいのですよ。ふふふ。

それから。2009年あたりのあんなことやこんなことはいまだに触れられたりはしているけど、それは前ふりというか、今回、インタビュアーが総じて好意的な気がする。むしろ、そういうこともあったけれども、実際に会うと、地に足がついていて、とか、穏やかで、とか、なにこの人おもしろいやん、みたいな流れになっているような。つか、そうなんですよ。この人はおもしろい人なんですよ。今頃気づいたですか。ファンにとってはもうとっくにばればれですよ。

でもそれもこれも、少なくとも日本以外?の国では、”very well-known actor”と認識されるだけの知名度を持った俳優さんになったことも無関係ではないのだろう。その仕事ぶりの結果だと思うと、そしてインタビュー中の穏やかさやちゃめっけ、必要なことを果たしている感じそのへんのかわってなさ、監督ほか周辺の人々のこの人に対するadmireなんかにまとめて触れていると、なんかふと泣きそうになる。真摯に生き続けるってこういうことなんだ。

はい、おばかファン発言絶賛放出中でございます。・・・でもね、わざわざ書くまでもないことだろうけど、すべてを盲目的に称賛するつもりもなく。書かないだけで、それなりに思うこともある。だけど、毒のように好きになってしまう人に対してはいつもそうだけど、男とか女とか有名無名とかを超えて、もうその人の生き方在り方が理屈じゃないただ好きなんだよ。

ええと、ここ、いちおうロケ地巡りブログですよ、トホさん。

だって他に書くとこないんだもん。これでも半分減らしたんだもん。

戻りましょうか、立ち位置に。

‥‥‥うん。

さっき「映画に絡んでであればごく自然に聞けたりする」と書いたけど、でもそこはインタビュアーの腕もあるんだろう。バリアの強い俳優さんに対してだと特に。みなが知りたいことを、どうにかして、自然に、あるいはうまく刺激して、聞きだすことに苦心しているのを見ると、ある意味感銘をうけたりする。

ここまで書いたことは、あくまでトホフィルターがかかっている妄想たわごとであることに加え、半端英語力で対応した結果であることは、ぜひともおことわりしておきたいのだけど、栗落ち以降のインタビュー聞きあさり行為により、自分の超中途半端な英語耳にあらためてあきれ、どうせならと栗教材でブラッシュアップをともくろみ、今では栗林を出て、俳優、監督、なぜかミュージシャンにいたるまで、インタビュー関連の動画を聞くようになっていて、そんな半端力ながらでもつくづく感じているのは、インタビュアーの腕。

旅動機としてのロケ地めぐりは、今のところ比重が大きいし、まだこのブログも終わってないうちから気が速いですけどアメリカ方面がまだ手つかずだし、CB以外でも行きたいところは数知れずだし、続けて行きたいと思っているのだけど、実は、もうひとつ、企画というか別の旅動機も抱えていて。あることについて国内海外問わず人々にインタビューしてまわるというもの。それはあるミュージシャンに対するインタビュアーの質問にインスパイアされたのが発端だったのだけど。

だけど、それをするには、今の英語コミュニケーション力じゃ話にならないこともわかっている。英語圏以外の人々への質問も想定しているから英語だけじゃほんとはだめなんだろうけど、自国外の人々に触れる時に一番ひろい扉と考えると、やはりまずは英語。シンプルな質問なら録音してあとで起こすことはできるだろうけど、おもしろい質問を引き出すには、土台はしっかりしてればしているほどいい。その前にこちらの人間力が実は大事、そしてそこが心許な・・ごふごふ、とはいえ、まずは英語コミュニケーション力。先は長い。でもしてみたいんだよね。

だから、脱線ながいから、トホさん。
立ち位置に早く・・・というわけで月曜日には少なくとも1コマは進める予定です。

ところでもうひとつの新作のこの方につきまして、昨晩妹から「放置できぬほど二度見するほどの衝撃をうけたんだけど、ファン的にこれはOKなのか」という質問メールが届きました。答えは想像におまかせしますが、めでたく?ほんもの認定いただきました。