ロケ地巡りタンジェ編、続きます。
タンジェ編といいますか、モロッコ編といいますか、モロッコ北端の港町から始まる”北アフリカ”行きて帰りし物語。
その映画とは!
記事タイトルでばれてます。
『シェルタリング・スカイ』
原題:The Sheltering Sky
監督:ベルナルド・ベルトルッチ
出演:デボラ・ウィンガー、ジョン・マルコヴィッチ他
原作:ポール・ボウルズ
音楽:坂本龍一
日本公開:1991年3月
第二次世界大戦終戦後まもない1947年、ニューヨークからタンジェ港に、結婚して10年になる芸術家夫婦ポートとキット、その友人タナーのアメリカ人3人が到着する。「ぼくらが終戦後初めての観光客だろうね」とタナー。キットが打ち消す。「観光客(tourist)じゃないわ、旅行者(traveler)よ」。違いを問うタナーに「着いてすぐ帰る事を考えるのが観光客」とポートが答え、キットがさらに続ける。「旅行者は帰国しないこともある」。
前口上か自分語りか。
モロッコを今年の旅に組込むことと、最終地をマラケシュにすることを決めたのは、別の映画が理由でしたが、入り口をタンジェにしたのは、スペインを南下してきたルートも関係していますが行きたい映画のロケ地が複数あったことがその理由。
中でもこのシェルタリングスカイがだんとつでした。その後の旅程の骨格を決めたのも。
この映画もまた、数年前に観て以来、モロッコに行く時にはぜひ訪れたいロケ地リストに入っていた映画でした。
思うのだけど、映画って、つくづく観るタイミングある。もしこれをもっと若い頃に観ていたら無駄にエロい映画、くらいにしか印象が残ってなかったかもしれない。映画から受け取るものに対して、経験していなければわからないなどと言う気は1ミリもないけれ、自分に重ね合わせているのとも違うし、つかこんな倦怠を経験したかどうかは謎のままにしておくけども、似たような期間、夫婦という形態を経験した身としては、少なくともその期間を経る前だったらこの映画がここまでくることはなかったかもしれないなあ、とも思うわけで、ましてこの旅の間に二人を待ち受けるもののことを思
キミは映画の話がしたいのかね? 自分語りがしたいのかね? ん?
・・・ええとですね、
なんでしょうか、
思い入れが強かったりなんだりロケ地探しの苦労があったりなんだりで鼻息があらすぎたのでしょうか、書きたいことがいろいろ、そらもういろいろいろいろあったのですが、ありすぎて収集つかなくて鼻血でそうになったので、いったんすべてちゃらにしてイチから書き始めたらまた迷宮にはまりそうになったので、無駄な語りはこのくらいにしてロケ地紹介に集中することにします。
最初にことわっておきますがそれでも長いです。
そして毎度ですが、シーンの説明をするため、この先ネタバレしています。
巡ったロケ地紹介。
場所:映画館Cine Alcazar前のカフェ in タンジェ
ホテルへの送迎を待つ3人の様子が、カフェにいた老紳士の視点から語られていく場面。
最初は、だれこのおっちゃん急にナレーション始めよったけど、などと失敬なことを思っていたのですが、原作者のポール・ボウルズ本人だったんですね。
タンジェのメディナ(旧市街)から白い門を出て、グランソッコ(1947年4月9日広場)を目の前にして、右に数百メートル直進した左手にあるCINE ALCAZAR。
前回の記事『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』のロケ地としても紹介しましたが、今回はその目の前にあるカフェ。旅の道中で何度か顔を合わせることになる、紀行作家ライルとその息子エリックに会うのもここ。
現在は「CAFE COLON」という名で営業しているようです。
ラマダン中だったせいか、私が行った昼間の時間帯は残念ながらやっていなかったのですが、窓はあいていて灯りもついていたので中をのぞくと(すみません汗)、雰囲気は違うものの、間取りは映画とほぼそのままで、3人が座っていたあたりを容易に想像することができました。
タンジェでは、他に、Hotel ContinentalやEl Minzah Hotelでも撮影が行われたようです。ソースは地球の歩き方やIMDb他。
3人が宿泊する”グランドホテル”としてでしょうかね。
上記は現在のHotel Continentalの外観。
あと、グランソッコからカフェに向かう道沿いに立つヨーロッパ調の建物の並びが、映画の中で出てきた風景とよく似ていたのですが、建物の形が微妙に一致せず。違うのかなあ。
場所:ザゴラのどこか
舞台はタンジェから移動してブシフ(Boussif)へ。
ポートにつれてこられた丘の上、目前に広がる雄大な大地に言葉を失うキット。しかし、愛を確かめ合おうとして逆に溝を再確認する結果に、の場面。
ていうかそんなとこでしたら落ちるよ。
ソースはメイキング&コメンタリ。
ザゴラは、ワルザザートから来た場合、ドラア川に沿って南下するドラアルートの途中、シェガガ砂丘の玄関口マアミドの手前にある町。ワルザザートに宿泊していた私はバスで日帰り往復という形で行きました。
件の丘や自転車デート道を特定できればと思っていたんですが、車なしでの特定は無謀でしたね、普通に。なので映画の中に出てきてそうなここザゴラです写真でお茶を濁します。
場所:ドラア谷(ドラアルート)
ここもメイキング&コメンタリから。
ドラア川に沿ったドラアルートと呼ばれるワルザザートとザゴラを結ぶ100kmの区間。
アトラス山脈、オアシス、カスバが組み合わさった、脈々と変化していく壮大な景色が楽しめます。(写真はしょぼいですが)何しろ100kmもありますし場所特定とかでなく、同じ道を通りました、ということで。
蝿たかり3人移動もそうですが、このあとポートとキットふたりでのブーノーラ(Bounoura)への移動もこのルートを使っているんじゃないかな。オアシスとカスバの組み合わさった景観がこのルートの特徴でもあるので。
余談ですが、映画『バベル』もドラア谷のどこかで撮影されたそう。
ちなみに川は干上がっていました。
あとで調べたところではワジ(枯れ川)と呼ぶんだとか。
シーン4:3人がスークから出ると目の前を布に包まれた死体が運ばれ。
場所:リッサニ
ソースはメイキング/コメンタリ。
リッサニは、ワルザザートから来た場合、トドラ峡谷、ティネリール、エルフードの先、シェガガ大砂丘の玄関口メルズーガのずっと手前にある小さいオアシスの町。
今回行ってないのですがロケ地時系列的においておきます。
この町で再会したエリックがポートにお金を返そうとするのですが・・・。
場所:タウリルト・カスバ(Taourirt Kasbah)、ワルザザート
タウリルトカスバがこの映画のロケ地であることは地球の歩き方他いくつかのソースに書いてあったのですが、行く前はどのシーンかわかっておらず、帰国後、DVDで撮ってきた写真と照合しました。
ブーノーラでのポートとキットの宿泊先。はじめて自分で衣類を洗濯し、室内で干しているキットにポートがパスポートをなくしたことを告げる場面。ポートが寒気を示しはじめたのもここ。
自分が調べた限りでは、少なくともネット上にはこのシーンとこのカスバを結びつけたサイトは見つけられなかったので自力で突き止めた自己満足感あり。
すごいクライマックス!ロケ地巡り的にもマスト!
というほどのシーンではないので、
いいんじゃない?別に?
って人が多いだけかもですが。
あるいはそもそも関心のある人が少ないと。
それだな。
あと、熱にうかされたポートが、夢の中で踊り子の踊りをみつめながら不吉な予言を受けるのもこのカスバな気がする。決定的な写真がなかったので確実ではないですが。
ちなみに、ブーノーラという舞台では高台にセットが建てられており、ここの景観もとてもきれいなのですがロケ地特定できておらず。知りたい。どなたか知っていたら教えてください。
タウリルトカスバの入場料は20DH。
ワルザザートの中心部からプチタクシーで5DH程度。
シーン6:ポート、本格的に体調悪化。
ホテルから疫病蔓延を理由に宿泊をことわられる。
場所:タムヌガルト(Tamnougalt)にあるカスバ
”砂漠で一番美しい町”エルガーにようやく到着したポートとキット。キットが迷宮のようなカスバの中でホテルを探しあてるも、疫病の蔓延を理由に宿泊を断られてしまう場面。
タムヌガルトは、上記ドラアルートのワルザザートとザゴラの中間にある町。ここも行ってません。通りすぎただけ涙。
このホテル探しのシーン、最初は表門がよく似ているのでタウリルトカスバだと思っていたのですが、行ってみたところどうも違う、ので、帰国後、メイキングの映像から確認。行く前にしとけって話もありますが行ったあとじゃないとぴんとこない地理関係とかあったりするのよ(言い訳)。
というか、自分でもなぜそこまで探し当てようとしているのか謎なんですが。
場所:アルジェリアの砂漠
砂漠のそばにある軍の施設でキットがポートを看取る場面。
メイキング/コメンタリ情報。
隣国アルジェリアで撮影。
(当然)行ってません。
シーン8:キット、トゥアレグ族のキャラバンに拾われ、砂漠を放浪。
場所:ニジェールの砂漠
ポートの亡骸をそのままに立ち去り、水辺でぼんやりしているところをトゥアレグ族のキャメルのキャラバンに拾われ、砂漠を彷徨ったのち隊長の青年の村へ。
隣国ニジェールの砂漠で撮影。
(ここも当然)行ってません。
ポートが亡くなったあとのシーンは、音のなさ、砂漠、表情、どれを取っても、旅的にも精神的にも「奥地」に踏み込んでしまったのだな、ということが伝わってきます。
もはやトラベラーですらなくなり、何者かですらなくなり、その地に溶け、交わっていく、あれは、片割れをなくし、独りになってからでないと起きえない。
場所:再びタンジェのカフェ
以上。です。
観光客か旅人か。
タンジェから始まりタンジェで終わる旅。
最初と最後。
曲も雰囲気も同じ。
ポール・ボウルズの顔の角度まで同じ。
だけどキットの中ではなにもかもがちがっている。
あいだに横たわる出来事の密度。
これも私の好きなサンドイッチ構造の映画。
行きて帰りし物語と書きましたが、観た人には説明するまでもなく、タンジェに戻ってきたのは片方だけ。
冒頭で交わされるツアリストとトラベラーの会話、二人の回答を受けて「ぼくは観光客?」と苦笑気味に言うタナーにキットはうなづき、「私は半々」といいます。けれどこの時ポートは何も答えていないんですよね。
キットは半々だったから戻ってこれたのでしょうか。
最後、「迷ったのかね」と老紳士(ポール・ボウルズ)に聞かれて「ええ」と答えた時のキットの表情が気になります。どう見ても微笑んでいるようにみえるけどなぜなんだろう。
映画全然違うけど、シチュエーションも全然違うけど、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』のラストのさる登場人物の笑みに似ているような。
あとタナーはツアリストのままだったのか、という疑問もあります。
だって、あんたまだおったんかいって。
まあでもツアリストなんだろうな。
彼が留まっていた動機ははっきりしておりキットが戻ってくれば彼は本国に帰る、帰ることを想定している人間だろうから。内側からわきおこる衝動による滞在ではないのだろうから。
そういうのとは無縁の人間として描かれていて、でもそれはそれで安心感もどこか与えてくれる。だってやっぱりキットやポートみたいな人ばかりだったらめんどくせーもん(コラ。
・・・とかとか、もう、なんででしょうか、つらつらがとまんないのよこの映画。いい加減このへんで終わることにします。
あ、あとひとつだけ。
ブーノーラやエルガーなど映画に出てくる地名についてですが、モロッコと抱合せで検索してもヒットしないし、1947年というと、モロッコはまだ1956年にフランスから独立する前、だから旧名が使われているのかな、あるいは架空の名前かな、なんて最初は思っていたんですけど、アルジェリアなんですね。
だから旅先は”北アフリカ”なのか。
サハラ砂漠を取り巻くモロッコ、アルジェリア、ニジェール、あのあたり一体。
詳しい地理関係を知りたければ原作を読んだほうがよさそうですが実際、ロケ地云々抜きにいつか読みたいと思ってはいるのですが、ともかく、ロケ地と舞台は別場所、ロケ地はロケ地、舞台は舞台で切り離して考える必要あり。
ロケ地巡りではそんなの基本なんですけど、この映画では一部(タンジェ)重なっていたりもするからややこしい。
舞台とロケ地のすり合わせ。
というわけで、ちょっと整理。
舞台=そのできごとが起きた場所。
ロケ地=映画の撮影が行われた場所。
舞台の地名/国(ロケ地の地名/国)の順で。
タンジェ/モロッコ (タンジェ/モロッコ)
ブシフ/アルジェリア (ザゴラ&タンジェ/モロッコ)
メサッド/アルジェリア (?/多分モロッコ)
ブーノーラ/アルジェリア (ワルザザート/モロッコ)
エルガー/アルジェリア (タムヌガルト/モロッコ)
軍の施設/アルジェリア (?/アルジェリア)
トゥアレグ族の村/ニジェール (?/ニジェール)
そんなところかな。
あ、あともうひとつ、もうひとつだけ、世界遺産アイト・ベン・ハッドゥの名もロケ地としていくつかの媒体に記載されていますが私はどのシーンなのか、ちょっとわからず。どこなんだろう。メイキングでも特に言及してなかったように思うんだけどなあ。
以上です。
わかりにくい記事になっている自信ありますがとにかく一旦あげます。ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。