帰ってきた星の旅人たちと行くサン・ジャックへの道 34+α日目

サンティアゴ巡礼

 

ごめんなさい、わたくし、嘘をついておりました。

『星の旅人たちと行くサン・ジャックへの旅』と題した、サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指して歩く巡礼路日記。サン・ジャン・ピエ・ド・ポーを出発してから毎日続けてきて、ムシーアに到達した記事で「これで終わり」と書いたけど、その時点であと一記事書くことは決めていた。

今から、『星の旅人たち』、『サン・ジャックへの道』、いずれかの映画のラストについて話します。ので、観てないで観るつもりがありネタバレに敏感な方は回れ右願います。映画のタイトルを告げる前に退場を要請するというこのむちゃぶり。過去にも前科ありますが汗。前置きはこれくらいにして。

 

さて。

 

 

 

 

 

 

 

星の旅人たち。

いい映画だったと思う。

トムが訃報を受け取って現地に赴き、息子が踏破したかった巡礼路を歩き始めるまで。その道中で3人の仲間に出会いサンティアゴ・デ・コンポステーラに到着するまで。大聖堂の中で大香炉(ボタフメイロ)を引っ張る赤いマントの男たちの中に亡き息子の姿を見るまで。サンティアゴに到達した先も地の果てにあるムシーアに向けて歩き出すまで。その地で聖母マリアの伝説がある教会を背に海に向かって立ち息子の灰を海にまくまで。それだけでも充分、ああ、いい映画だったな、と、劇場をあとにしただろうと思う。

でもラスト数秒間のカットがなければ、自分にとってここまで残る映画にはならなかった。

巡礼はムシーアで終わった。

でもそこが旅の終わりではなかった。

世界中をみてまわりたい、という生前の息子の思いを理解できなかった父親。巡礼は、息子ダニエルを理解するための歩みでもあった。だから、常にカミーノの風景に息子の姿があった。字幕にはないけれど、サンティアゴの巡礼証明書を発行してもらう事務所で、全行程を歩きましたか、と聞かれたトムは、Yes, we didと言いかけ、No, I didと言い直している。

次に、巡礼の理由を聞かれ、トムは、しばらく考えあぐねた後、こう答える。もっと旅を続けなくては。

事務所を出た4人は顔を見合わせる。そうして、しょうがないね、行くしかないか、とでもいうような表情で、最果ての地ムシーアに向けて歩き出す。そこが巡礼の終わりであり同時に映画の終わり。と思いきや、画面のこちら側にいるわたしたちは、最後数秒間のカットで、トムが、今度は息子を知る旅ではなく、自身のための旅を続ける決意をしたことを知る。

向かった先は。

Morroco, Jemaa el-Fnaa, Marrakesh, film location, The way

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モロッコ。

巡礼路のあるスペインからは近く足を伸ばしやすい、けれど、そこはまぎれもなくアフリカ大陸であり、アラビックな世界であり、ヨーロッパとは明らかに異なる匂いをはなつ国。比較的旅しやすくはあるけれど、旅を始めたばかりの者にとっては、おそらく、もう一歩先の未知を感じるだろう国。

あれだけ頑固だった彼が、旅を続けることを、その地としてモロッコを、選んだ。

うん、なんてベタな話だろう。あらためて筋を書いててそう思う。
それでも、スークを歩くトムの姿を思い出すだけで、今でも自動的に泣けてくる(困。

マラケシュのジャマ・エル・フナ広場であることは、みた瞬間にわかった。なぜなら一度その地に立ったことがあるから。混沌としていて、うざい人もいるけれど、けして嫌いにはなれなかった街。サンティアゴ巡礼路を歩いたあとにモロッコに行く、そしてマラケシュを最終地にする、という私の旅計画はこうしてできあがった。

Morroco, Jemaa el-Fnaa, Marrakesh, film location, The way

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星の旅人たちというタイトルは、コンポステーラ(星の野原)に由来することを知らなければ、いささかこそばゆいというか、ロマンチックがとまらないタイトルだと感じる人もいるかもしれない。というかわたしがそうだったんですけど。でも原題のThe wayだってたいがいシンプル。道。シンプルゆえに、深読みしようと思えばいくらでもできる、旅や人生と並ぶメタファー用語。

だいたい、道に人生を、旅に人生を、人はつい重ね合わせてしまうけど、それは真理でもありつつ、同時にある種の痒みをもたらす面もあるのであり、なぜかっていうとベタだからであり、ベタなものを人はかっちょわる、と遠ざける傾向があるのであり、しかし真理は結局シンプルかつベタなわけであり、その痒みをムヒぬって無理やりしずめるか受けいれて生きるかは人しだいなのであり、つまり何が言いたいかというと原題も邦題もどっこいどっこいだと思うわけであり(論理破綻。

邦題も原題もベタ。話もベタ。だけどベタがひびくこともある。ベタだから届くこともある。

私のサンティアゴ巡礼路を歩くきっかけは、2つの映画だった。

ロケ地巡りというのを続けていると、劇場にいる時と同じように、どこか、映画が主体で自分は観察者であるように思えることもある。あるいは映画が主役で自分が脇役と。だけど、今そこを旅をしているのはまぎれもなく自分であり、本質的に傍観者ではいられない。旅先にある物や事や人とコミットするのは自分であり、その場に身を置いている時点で多少なりとも、あるいは全面的に巻き込まれる。観察者であったはずが、いつのまにか自分も当事者になっている。脇役であったはずが、いつのまにか自分も主人公となっている。カミーノでは特にそれを感じた。きっかけはなんであれ、カミーノはまぎれもなくわたしのカミーノだった。

結局、道なんですよ。道なんだもの。道を歩いていたら何がおきる? 右足を出し次に左足を出す、という行為を続けていたら、他にやることは限られる。長く歩いていたらどうしたって、道について考え、人生について考えることになるんですよ。

だから、痒みがとりわけ強いそこのあなたも。あえてベタと向き合ってみる。あえてサンティアゴ巡礼路のような長い道の上に自分を持ってきてみる、そうして一旦歩き始めてしまったらもうあきらめてとことん「道」と気がすむまで向き合ってみる、のも悪くないのかもしれない。人生の中で、たまには。

saint-jacques de compostelle

 

サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの「フランス人の道」780km巡礼日誌。
「星の旅人たちと行くサンジャックへの道」とは、巡礼路を歩くきっかけとなった『星の旅人たち』と『サンジャックへの道』という2つの映画タイトルを合体させた旅タイトル。センスがよろしいとはいえないこの映画タイトル合体旅タイトルはブログ主が得意とするところらしいという噂(前科あり)。時に、星の旅人たち=ホシノ、サンジャックへの道=サンジャで略すことあり。なお、ロケ地巡りという性質を含む行程である以上、関連場所を通過する際に映画の内容に触れることがあります(ネタバレ宣言参照)。ラストにどんでん返しがあるタイプの映画ではないですが、ネタバレ過敏症の方は注意。