読み物としての地球の歩き方。ガイドブックに対する気持ち。

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旅語り

 

 

『地球の歩き方』についてもう少し。

昨日の記事で地球の歩き方ラバーだと宣言しておきながらですが、旅のたびに買っているかというと、そんなことははない。

ガイドブックとして一番お世話になったのは、2010年近辺の世界各国をまわった長旅中。それでも重さがネックなので、一度に持っていたのは1~2カ国分、マックス3カ国、あとはばらすとか、当時はまだまだ旅人の集まる場所に古本屋さんがあったので、そこで多少古いものでも購入するなどしてた。白状すると、その頃すでに「自炊」している人もいたため、おすそ分けしてもらったこともあった。後半はだんだんなしですますようになったけど。

インド版は半分趣味みたいになっているので定期的に書い直して眺めているけど、参考にしているかというと‥‥‥どうだろう。初旅の時はしっかり役立たせてもらったけど、今はお守りがわりみたいなところがある。載っていたことを知らずに通り過ぎたり、痛い目にあって、あとで、ちゃんと書いてあったんだなあ、うう、となったり。

インド以外で最近買ったのは、2018年のモロッコ。kindle版。紙の歩き方はというと、2015年のスイスとオーストリアかな。病み上がりの母同行の旅で、きちんとした情報をできるだけ多く持っていたかったので、ネットも併用しつつ冊子で購入し持参した。

 

ガイドブックという媒体そのものに対するアンチな文章を目にしたりするけど、私は、重さ以外にはとくに拒否感みたいなものは持ってない。拒否感どころか、夢中だった頃があった。それも、旅中ではなく、むしろ旅の前に。それも長旅を実行にうつす何年も何年も前に。リアル旅のガイドという本来の役割よりも、完全なる読み物として。

なぞの旅熱にうかされて、でも旅に出ることにまだ現実味が持てなかったころ、つきものがついたかのように、新刊から古本から世界中のあらゆる場所のガイドブックを買い漁っていた時期があった。違う出版社で同じ国のものが複数冊所有していたりした。

地球の歩き方も、発行年が違えば購入してた。昔の地球の歩き方なんて、がっさがさの藁半紙っぽい紙にモノクロで、行間や文字間も今に比べるとすっかすかだった。でもそれがなんだかよかった。重さも厚さも年によって違っていて、二色刷りになったりして。

 

そうやって集めた雑誌や本をひと夏の間にかたっぱしから読みまくった。頭の中で、さまざまなルートができあがっていった。まだ長旅を実行する前、まったく未定の頃。いつかのためのという意識は薄く、ただひたすらルートを練るのが楽しくてやっていた。でもこの時の妄想ルート作りがその後の旅で役立ったのはまちがいないと思う。

いざ2009年にリアル長旅に出発する頃には、紙が薄くなり、カラーが増え、劇的なくらいに情報量が増えていて、隔世の感があった。←おおげさ

ところで、長旅中によく聞いていた常套句に「地球の迷い方」というのがあるのだけど、あれって今も使われているのかな。地球の歩き方にあるミスを指摘して揶揄する表現だけど、わたし、あれがきらいでねえ。

あら、最後に毒ですか。でも本当よく耳にしたな。皆が知っている悪口かのように「ね」とばかりにクリシェを口にする行為を、正直なところ、だせえな、と思っていた。でも、お世話になったという気持ちがあるので、勝手に肩を持つようなところもどこかにあったかもしれない。お世話になったって、単なる愛読者というだけなんですけど。

確かにミスはいくつも発見した。送ると新しい冊子がもらえるらしくて、あら、これ送っちゃおうかしら、と思ったこともあった。でも基本的にガイドブックはあくまでガイドする(導く)ためのブックであって、全面的に信じこむものではない、と思っている。参考書であって教典ではない。それでも、変化が激しく常なる更新の必要な旅情報を、ここまで追いかけて網羅し続けている歩き方は、やはり「ガイド」としては秀逸だと思う。

 

とほ