キッチンで旅と世界について考える。

問わず語り

キッチンに立った時に、目の前に自作仕事部屋がある配置になっているのだけど、ここに世界地図を貼ったのは大正解だったな、と、もう貼って何年も経つのに、いまだにお皿を洗ったあとふと顔を上げて、あるいはコーヒーを淹れながら、この景色が目に入るたびに思う。

キッチンのこの位置に立つのが好きだ。気づけばここでよく考えごとをしている。細長いリビングが見渡せるようになっている。決して広くはない、というか狭いスペースだけど、最初にこの物件を購入しようと見学にきて気に入った要素の1つが、少し変わっているこのキッチンの作りと位置だった。

仕事部屋のDIYは、もともと特大の両面コルクボードを持っていて、その寸法に合うよう部屋の横幅を調整した。で、ボードの内側はがんがんカレンダーやらtodoメモを貼っているが、外面はごちゃごちゃするのもいやだし気が向いたら世界地図を眺めたい人なので、これまた寸法の合う昭文社の地図を買って貼った。

書斎とDIYと私。
ずっと気になっていたベッドヘッドの上30センチほどをノコギリで切った。すっきりした。 全体像を写してないのでわかり...

ここは最も頻繁に通る動線でもあるので、通り過ぎざま近距離でもよく眺める。これがなんともよい。なんでこんなにも地図が好きなんだろう、と我ながら思う。ちなみにインドの特大地図は別に購入してあるが、一時期はトイレの目の前に貼っていたものの、やぶれやすいため、ていうかやぶれたため、今は外には出してない。

地図を広げて眺めるという行為。
インド映画に3人の独身男がスペインを旅する『Zindagi Na Milegi Dobara (『人生は一度だけ』 ←『...

10年以上前に世界旅行をしたときに、そのさらにずいぶん前に考えたルートの第一候補は、中国からモンゴルに入りそこから北上してシベリア特急を使いヨーロッパに入るコースだった。結局はタイからアジア諸国を巡りながらユーラシアを移動することにしたため却下になったが、今でもその案はいつかのために捨てていない。捨てていなかった。でももう無理なのかもしれない、とも思う。あのルートを旅で、と考えることすら、はばかられる時代になった。ウクライナだって、『僕の大事なコレクション』という映画で広大なひまわり畑を観て以来いつかロケ地巡りを、と考えていた。

実際に旅に出てからも、チベット入国はすでにむずかしくなっていたし(友人で入国した人は少なからずいるけど、聞く分にはすごく面白かったけど旅力が今よりずっと低かった当時のわたしには到底その勇気ない…と感じる話ばかりだったし、かといって正規の行き方に魅力を感じず、行きたかったチベットはもうないのかもしれないとあきらめた)、旅している最中に行く気満々でインドからチケットをとったイエメンは直前で不穏な空気になり、アライバルビザ廃止になったのを知って路線を急遽変更した。一方、入国できたシリアは、なにかとキナくさいアラビア半島でも当時は驚くほどに人も空気もよい場所で、好きな国の仲間入りした。帰国後数年経って始めたTwitterで最初に呟いたのは「シリア悲しい」だった。

どんどん行けなくなる、という話をしたいわけじゃない。けれど、行きたい場所は行ける時に行っておいた方がいい、したいことはしておいた方がいい、という思いは強くなるばかりだ。長旅出発前に、そんなのは老後に、と反対意見として言われたけれど、それをのんでいたら、自分の直感にさからっていたら、のまなかったことで一時期は息も絶え絶えになったけど、行っていなかったら、今、行けなくなった場所を数えて息も絶え絶えになっていたかもしれない。

私は世界がだめになるとは思っていない。でもどう見たって今は過渡期だ。今後通貨や金融も含めて激変していくだろう時代の中では、だからこそますます「自分が」「本当に」なにを望んでいるかを、各自が内側のそれを真剣に観察する時代になる。不謹慎と言われるかもしれないが、ある意味ゲームだ、本当に。

人の差し出す鍵はたまにはヒントにしてもいい。だけど、人は人の事情によっていくらでも、こちらにとっては真実とは限らないアドバイスや鍵を差し出す。ただしそれらは本当に偽物であることもあるだろうけど、その人にとっては本物であることも多い。親切心だったりもする。だから各人にできることは、それはわたしには不要です、といって通り過ぎればいいだけだ。

ただ、不要かどうかの決め手になるものも各人の内側にしか答えはないので、勘を鍛える必要はある。外側に真実を探しているうちは間違える。間違ったって軌道修正すればいいだけだけれど、間違いがあとでの気づきにつながることもあるので一概に「間違い」ともいえないんだけれど、回り道の時間がもったいなかったり他者による間違い認定や指摘などが煩わしかったりするなら、その数は減らせるに越したことはない。

キッチンからの眺めの話をしていたのに話がとんでもない方向にずれた。

コルクボードは取り外しのできる仕様にしていて、書斎の見晴らしをよくしたければ取ればいいのだけれど、近頃はつけっぱなしになっている。

そして、もう一度いうけど、そこに地図を貼ったのは大正解だった。私は旅が好きだ。世界に様々な国があることが好きだ。好きという表現はおかしいかもしれないけれど、でもそうなんだ。

とほ

 

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