世界のこと、旅のこと、サインのこと。

問わず語り

旅寄り雑談。たわごとです。

 

いつか行けなくなるかもしれない、旅ができなくなる時代がくるかもしれない、ということはあまり考えてなかった。少なくとも5年前の長旅の時には。

少しずついろんなことが変わってきている、正確にはずっと続いていたのだろうけれど、変化が形としてよりクリアに表出しはじめているそういう時代に突入したのかもしれない。

世界が無事であるうちは旅を続けたい、というようなことを昨年くらいから、記事に、ぽん、ぽん、とつい置いていて、変化というものに対して割合強い方という自覚はあるし、どこか待ち構えてさえいるようなやや困った性分でもあるけれど、それでも以前はいかにその変化をスローなものとしてとらえていたのか、世界はそのままでいくように思っていたか、を実感することも増えていて、

引き寄せの法則やら言霊云々について、過信からは距離をおいておきたい方ではあるけれど、ある言葉を口にしすぎたり思い浮かべすぎることで事実をひっぱってきてしまうようなことがあるとしたら避けるにこしたことはないとも思ってはいて、だから、あまり書きすぎたくはない。のだけど。

旅ができなくなることだってありうるのかもしれない。

でも、それは不安という感情かというと少し違う。真剣に気がかりかというとそれも違って、少しの覚悟と諦観をミックスしてしずめた感じに近い。その状態で世界を観察するともなく観察している感じ。先のことはわからないのだからものすごい覚悟もしてないし、すべてをあきらめてもいない。

旅は好きなことではあるから、希望としてはやはりできなくなるのはいやだ。もっと正直にいえば、自分の中での旅の位置づけがある時点から好きなこと以上のものになっているのでできなくなるのはちょっと困る。けれど、来る時は来るのだろう、とどこかたんたんと思っている。起きることになっているのなら起きるのだろう、すべてのことは。

 

実は、昨年8月にインドに行ったあと、半年間有効のビザが切れる前に、年内にもう一度行くつもりでいた。だけどやめた。笑ってしまうほどてんこもりの行くなサインがでていたから。行きたい強い動機があったけれど、あとからあとから、時には、いやそれ無理やりすぎでしょ、と笑ってしまうほど引きとめているとしか思えないできごとが起きて、それでもどうにか行こうとやりくりしていたら、そのうち決定的なできごとがおきて、さすがにあきらめた。

行ってはいけない、行かない方がいいというサインのうちいくつかは調整を加えてまで、かいくぐってまで行こうとしてたけど、わかりやすい最後の大きなサインがきて、あ、もうだめだな、やめとこう、となった。

現在の私はインドという国に持っていかれている状態で、多分二度目の旅でその深度が戻れない領域に達したと思われるのだけど、そこまで惹かれているとしても、やはり行くにはそれなりのエネルギーがいる国だ。まだまだ。行きたかったのはあったけれど、さまざまなサインとかき乱されるできごとのあとに、あの熱にむかう気力は残っていなかった。自分が整っていない状態で行って勝てる気がまるでしなかった。

サインがあったって、それでも行く選択をすることはあるとは思う。だけど、今回の自分の中の答えは「行くのはやめたほうがよい」だった。行っても無事に帰ってくる、行く前の自分としてはそのつもりだけど、でも万が一何かあったら。遅いのだ。それでは。

そういうときは、サインにしたがうしかない。

目に見えない世界に関して盲信から距離を置いてはいるとはいえ、見えないことの多い世界の中で頼るものがあるとしたら、入手できる情報は収集したうえで、そのうえで、自分の勘やサインもないがしろにしてはいけない。

収集した現実的な情報は頼りになる。

けれど、それだって過信は禁物だ。科学的な根拠に対する盲信も、見えない何かに対する盲信と同様にあやうい。情報自体がまちがっている可能性があるうえに、それに基づき判断をくだすのはあくまで自分で、自分が誤作動しない可能性はない、ということも肝に銘じておかなきゃいけない。

どちらかに傾きすぎるのではなく、データも内側からのものもすべてを総動員するしかない。もっと危険な世の中になったとしたらますます。情報だけじゃ足りないのだと思う。

それから自分が何に重きをおいているかということ。

それだってその時その時で変わってくる。それでもやるべき、と内側が言ってしまうこともある。そしてどれが正解かは、他人には絶対答えはだせない。その時の自分にしかわからない。きつい状況で、勘が鈍っている時に答えをださないといけないこともある。

その答えの感度を高めるには。

しん、と落ち着いた状態を、自分の中に、たとえ一瞬でも一時的にでもいいから作りだすこと。深呼吸でもいい。ひとりになれる場所にいくのでもいい。そうなれるのなら、なんだっていい。自分にあった方法で。

世界は変わる。変わり続けている。じわじわと。あるいは変わるときには一瞬にして。その先にあるもののことは何もわからない。だからって眉をひそめて生活するのではなく、楽しむ体でいる。などと宣言しなくても基本快楽主義だし(笑)。

だけど、しん、と落ち着いた場所は、常に内側に維持しておきたい。

 

で、この人、今年も行くらしいです。