インドを語るという暴挙。

インド関連雑記

どうも、最近インドの脳内割合がいよいよやばいことになっているトホです。

 

愛情というものは冷めていくもので、冷めきりはしないまでもやがて平温になり落ち着いてはいくもので、それは悪いことではないのだけれど、蜜月なのは限られた時期のことであって維持できないものだとすれば熱をもっているうちに記録しておかないと永遠に時期は失われてしまうだろうと思うのでそういうことだろうので誰にも頼まれていないけれど今ここにあるあつくるしいインドへの愛を書き記しておくことにします。

 

インドに行け。

 

ザッカーバーグはジョブスに言われたといいます。

 

行け、と言われる人は、まあ普通はまだ行ったことがない人だろうわけで、だけど行ったことがなくても、知らなくても、「そうすか、やっぱりインドすか・・・」と、何がやっぱりなのかわからないままにやっぱりと思わせる力があるという点ではほかの追随を許さない国ではあり、

 

じゃあまあ、行っときますか、やっぱり、と行ったら行ったで、行け、といわれるだけのことはあるあれやこれやを期待あるいは不安通りてんこもりに用意してくれていますので、それらの洗礼を受けまくった結果、ある人は大嫌いになり、ある人はなんなんだこの国は!?という感情が生まれる、のかもしれない。私のように。

 

今までに旅行していてインパクトがあった国は、その国ごとのキーワードができあがったりして、それが、ラオスでは「ラオスやばい」だったし、中東では「アラブのおやじかっけー」だったりして、一度目のインドでは「なんなんだインド」だったんですけども、それが昨年の二度目の旅でさらに深度を増してまして、

 

「なんなんだ」というのは答えの出ていない問いに他ならず、いったん「なんなんだインド」菌にとりつかれてしまうと、それって恋愛はじめの相手への興味に似た熱をもつものですから、ついつい相手のことばかり考える状態に陥ってしまい、結果としてますますとりこまれてしまうことになるのかもしれません。

 

私の場合、目覚めは旅発端でしたが、その後、映画にもドはまりしてしまいまして、それがさらにこの国への関心を押し上げ、最近では本も、それも昔は旅関係が多かったのが今ではビジネスやら社会やら宗教やら哲学やらなんでも手をだす、みたいなところにきてしまい、うっかり友達もできてしまったせいで生まれた質問をことあるごとにあびせ、少し背景知識が蓄積してきたら、今度はまた旅に出て自分の目で確認したくなる、というループにはまりかけているのですがどうしたらいいでしょうかね。←知らんがな

 

 

インドを語る。

 

というのはなんかこう、自分でも、その、なんだ、、とこっぱずかしさがぬぐえない部分があり、知人にも、インドがきらい、というか、インド語る人ウザイ、という人がいて、でもそれもわからなくもなく、控えめにしようという理性は働いてなくもないのですが、

 

そういうわけで今たいへんにあつくるしい状態ですので、実はまだ昨年の旅のロケ地の更新がまだ残っているし、そのうえ次の旅が近づいてきてもいる状況ですがちょいちょい愛を語ってしまう予感がしています。先にあやまっておきますごめんなさい。

 

本日はこのへんで。

ジョブスについては、iphone以外にアップルと親密な関係を築いたことがなく、
伝記を読んで初めてこういう人だったのか!と知りました。
世を動かす人ってつくづくあくの強い魅力を持っているものだなあ。
・・・お近づきにはなりたくない(なかった)タイプけれども。