「スラムというと、ナイロビやカラチをはじめ、ドラッグや凶悪犯罪のイメージがセットになっていることが多い。だけど、ここダラヴィに限っては違うんです」
とその日ガイドしてくれたシッドは言いました。
「今のインドのスラムは、スラムというものに対する世界平均的な定義とは隔たりがでてきている」。
ダラヴィスラム(Dharavi Slum)は、世界最大級の1つに数えられる、ムンバイの中心に位置するスラム。
私がウオーキングツアーへの参加を決めたのは『スラムドッグ$ミリオネア』がきっかけでした。が、映画のことは前回書いたので、今回は、ツアーに参加して実際に見てきたスラムについて当時(2015年7月)のメモを基に書きとめておくことにします。
なお、Reality Toursでは、居住者のプライバシー確保のため撮影NGとしていたため、今回写真はありません。使用している写真は、Reality Toursのサイトから借りたものと、ツアー終了後にオフィスで購入した、スラムに住む子供が撮った写真の絵葉書を間接的に写したものです。
さて。
ぎりぎりまで迷って、ホテルチェックアウト直前の午前11時に、ホームページから当日2:30pmからのツアーに申し込んだ後、指定時間の少し前に、Churchgate駅構内の指定場所へ。
ほどなくして、Reality Toursのロゴのついたブルーシャツの青年登場。15分ほど遅れてきたのはインド仕様の頭では全然許容範囲、しかしそのあとも飛び込みのお客さんを待つというのでさらにもう10~15分待機。つまり登録せずに来る人もいるということ?
結局飛び込みの人はおらず、参加者は、オマーンに4年在住というカナダ人男性と私の2名。とりあえず、ひとりじゃないことにほっとする。
案内してくれたのは20代前半の青年シッド。
「アイスエイジのキャラクター名と同じです、本当はもっと長い名前なんですが略して」と自己紹介。見るからに教育を受けた、礼儀正しいザ・はつらつ青年。英語はクリアで、インドなまりもほとんどなくさらにほっとするとともに、握手しながらこのツアーは大丈夫だな、となんとなく思う。スラム最寄のMehim駅に到着後、トイレの必要はないか聞かれ、教えてくれた駅の向かいのカフェへ。スラム内で行くのは厳しいので、ここで行っておく方がベター。とかいいながら、水分を補給した先からどんどん蒸発していくくらくらする暑さの中では、結果的には必要なかったのですが。
その後、駅を右に出たところにある陸橋をのぼり、そこからスラムを見下ろしながら説明スタート。このあとほぼノンストップで怒涛の説明が続くことになります。
ダラヴィスラムは商業地区と居住地域に分けられており、まずは商業地区へ。
ダラヴィは今やインドの産業の要、とシッドは説明します。ここで生産されるものの割合は大きく、ムンバイだけでなく、インド全体で到底無視できないほどの経済効果をあげているそう。それも驚くのは、政府が認可している産業拠点であるということ。
最大はリサイクル産業で、大きな割合を占めているのはプラスチック。ここで無駄になるものはなにひとつありません、とシッド。インド全域だけでなく、ヨーロッパからも資材が送られてきているのだそう。資材、つまり、ガラクタが。
手作業での仕分けやマシーンを使った粉砕の現場を通りながら説明はどんどん続いていきます。
缶や段ボールなどの作業場を抜け、向かった縫製工場では部屋にずらりとならんだミシンに向かって男性たちが人民服のような服の襟を縫っている最中でした。女性はいないのか聞くと、商業地区で働くのはほぼ男性と。ムスリムの女性は働くこと自体がタブーなのでいないのですが、ヒンドゥの女性たちは居住地域で働いているとのこと。
商業地域にはベーカリーだってあります。ベーカリー付近は香ばしい香り。そのほかに、革製品(これはムスリムの人が多いよう)の店も。服にしても革製品にしても縫製はしっかりしているように見えました。
商業地域での説明がひとだんらくつくと、何かの部品工場のせまい急な階段をあがって、スラム全体を見渡せる屋上へ。一面、トタン屋根の海。その向こうに高層ビル。大都市のどまんなかにこんなトタン屋根群があるという景色が、日本の風景を見慣れた目には奇異に、ある意味新鮮に、映ります。
スラムには出稼ぎで来ている人々もいれば、ここに家族と暮らして外に働きに行く人もいる。弁護士や医師すらいるのだそうで、裕福な人々は選んでここに住んでいる、とのこと。
人々はここでの生活に満足している、といいます。インド全体でもいえるのかもしれませんが、特にここの人々は家族と暮らすことに重きをおいているようです。コミュニテイの強さがあると、シッドは強調します。シッド自身もここの出身であり現在も家族と暮らしているのです。
ですが、問題はないわけではなく、そのひとつがトイレ事情。自宅に外部からの友人が訪ねてくることもあるそうですが「ここに招待することにはなにも恥じる気持ちはないけれど、いい香水をつけていい生活に慣れている彼らにトイレを使ってもらう時だけは申しわけない気持になる」と。はいうものの、口調はどこか愉快げ。
水の制限もあるようです。飲み水は、ところどころに蛇口のついた壺が置かれていてシッドは、添えられたグラスにくんで飲んだりしていました。
そのほかの負の側面としては、特に商業地域では、有害な煙などによる健康被害などは確かにある、だけどその理由で出てく行く人はいないよう。
犯罪については、「もちろんゼロとはいわない。でもそれは他とおきるようなことと同じレベル、あるいはもっと少ないくらい。人々が思うような凶悪犯罪は無関係と断言していい」と言います。
けして主張しすぎるわけでもはなく、ガイドの枠からはみ出すこともないのですが聞いていると言葉の端々から、シッド自身がここ出身であることに誇りを持っていることが伝わってきます。
時折まとわりついてくる子供をあやしたりしながら私たちの足元や頭上への注意喚起もおこたることなく、すいすいどんなせまい道もすすんでいきます。
商業地区のあとは居住地区に向かいました。居住地区はムスリムとヒンドゥで分けられており、ヒンドゥ側は家がカラフルなのに対し、ムスリム側の家は全体的に地味な色調。ただし外側の地味さは内側とは比例しないとのこと。
先ほどの説明通り、ヒンドウの女性たちがパパドを作っている場所もありました。
スリランカ人の友人につれられて新大久保のイスラム横町にスパイスや食材を買い出しに行ったことがあるのですが、その時に購入したパパド。見ての通り、ライスペーパーのような食材で熱したオイルに入れるとぶわんと膨らみます。クリスピーでおつまみに最適♪と自宅で食べていたものがここで作られていたのか、と少々感慨深い気持ちに。
居住区では、屋台や野菜を売る市場やお店もありました。モスクやお寺も。
「ダラヴィにスラムという名前はそぐわない、と僕は思っています。そこについたイメージとはちがう」
スラムの中は確かにきれいではない。はっきりいえば汚い。けれど、それは、旅の間にだんだん見慣れてきた目からは、どこでも目にする景色と何ら違わないように感じられました。むしろ、他所よりきれいだと思える場所すらある。平均すればなんの違いもない。つまりスラムだからどうの、という違いは少なくとも私には感じられませんでした。
安全面に関しても、少なくともガイドと一緒にいる場合、問題はないと思えました。他所よりむしろ犯罪は少ないという言葉は十分にうなづける。仮に個人でいくような機会があった場合でも、ここは海外、インドということをちゃんとわきまえてる人なら、他所でおこるようなことはおこりうる、という気持ちがある人ならその地のルールを尊重して行動できる人なら、OKのレベルだろうと。
居住地区の説明も終わりに近づいたころ、迷路のような家々の間の路地を歩くことになりました。
人の体がやっと一人通れるようなせまい路地。水にぬれた場所や光が通らない暗い場所もあり、シッドの注意に耳を傾け、足元に気をつけながら、でもすぐそばの人々の生活を感じながら、静かに、通り抜けます。
こういう海外の狭い路地を抜けていると、時に、起きていながらにして夢の中にいるような感覚に襲われることがまじめにあるのだけど、ここでもまさにそういう状態。通り抜けたあとは、カナダ人男性と顔を見合わせて、やー、もう、さー、ねー?みたいに表情だけで会話。
そのあとは、コミュニテイセンターに案内されて教育などの取り組みを聞いたあとは、最後の瀬戸物焼き場へ。
2時間はとっくに過ぎていたでしょうか。この頃には、頭の上から煙がぷすぷす出てました。や、だって、いくら聞き取りやすい英語とはいえたまにカナダ人に投げてたとはいえ(コラ)、2時間以上ぶっつづけ、それも膨大な情報量、なけなしの英語力と集中力と耳と目を酷使しつづけたらそら、ぷすぷすもなりますってー。
暑さに加えてこの日は猛烈な湿度、さらには迷路体験の後だったこともあり、もうね、魂が出たり入ったりしてたと思います。
終了後は、スラムの中にあるオフィスへ。そこで清算。
すべて終了したあと、ムンバイ中心部に戻るタクシーの中でカナダ人男性のつぶやいた「overwhelming…」という言葉の通り、まさに圧倒されるツアーでした。
このツアーへの参加のきっかけは映画発端でした。
海外ロケ地巡りという動機による旅と治安との兼ね合い、また、それでどこまで踏み込んでいいのかということはその葛藤はノーマルなことなのか、私の性質のせいなのか、実際にその場で、その時々で、状況ごとに、行く行かないを選択する必要がでてきた段階で何度も考えることになります。
だけど、その人をその場所に運ぶきっかけなんて人の数ほどあって、実際に行って見て聞いて味わうものと比べればそこはたいしたことじゃない、と個人的には思っている。のですが、そこは今回の要点ではないのでこのへんにして言いたいのは、行く選択をしてよかったということ。
スラムの中には外部と中を結ぶ鉄道システムのようなものが建設中でした。数年後には開通するそうです。無事完成したらだけど。
今のインドという国と同様、このスラムも、現在ものすごい速さで変っている最中なのだろうと思います。これから行く人は私とは違うものを見るかもしれない。きっと見るだろう。
Why Everyone Should Visit Dharavi(字幕なし)
Our Story | 10 Years in Dharavi(英語字幕あり)