この2年間の仕事の話。

問わず語り

3月の慌ただしさがようやく落ち着きまして、と頭をかきながら登場したかったのだけど、4月はキャパ越え分量のお仕事を引き受けてしまい、落ち着くどころかさらにましましで月末まで駆け抜けることになりそうで、このままだと余裕で1か月音沙汰なしになりそうなので、部室に一瞬だけ顔だす幽霊部員のごとく戻ってまいりました。

がしかし、顔だけ出して何もしないわけにもいかない、でも何も準備してない‥‥‥というわけで、ひさしぶりすぎて本人も忘れかけていた必殺技、即興雑談を繰り出すことにします。4月はこの即興雑談を連発して乗り切ろうという魂胆です。

即興雑談とは。

即興雑談実験。
こんばんは。今日は書くものを用意していないので、毎日更新を継続させるためだけの目的で、最低目標文字数400字に達するまで...

今日は書くものを用意していないので、毎日更新を継続させるためだけの目的で、最低目標文字数400字に達するまで雑談する力技に出ようと思います。

というものです。

400字を超えたあといつまで続けるかはその時の気分です。毎日更新をしていたころに編み出した技のため、400字という非常に自分に甘い設定にしており、でもそのハードルの低さゆえに返って一旦書き始めるとわりと筆が進むということもあったりした気がします。

ちなみにこの時点で400字超えているので、いつでも帰宅していいわけである。あ。部長が怖い顔をしている。ええと、ええと。

私はフリーランスで、自分が1日または1か月にさばける分量を把握し、それに沿ってクライアントから受注するタイプの仕事をしています。何の仕事かはnoteのどこかに落ちてます。

で、キャパオーバーの量を引き受けたと書いたけれど、あれやこれを犠牲にすればなんとか、というぎりぎり上限。不測の事態があれば一気に積むほどにはぱつんぱつんなので、慎重に粛々と進めていかねば。今月末に某試験を申し込んでいたのだけど、目標スコア達成は捨てました。

けれど、分量こそ多いものの、専門分野ではあるので精神的な負担はそこまで大きくない。それに小さい案件を細切れに受けるよりは、大型案件は後半どんどん楽になる。なによりその分収入に反映される(むふふ)。ので心の安定にもつながる。がんばって働きます。

この1ヵ月分の収入がコンスタントにあれば結構な年収になるのだけどなあ。まあ、実をいえばこの2年は仕事が減っていたし、それが徐々に戻ってきただけともいえる。今後も未知数ではあるので、やれるときにやっておこう。

それにね。

2年前、コロナ禍が始まったばかりの頃、メインの取引先が消えてなくなりました。コロナの影響なのかそうでないのかは正直わかりません。あとから兆しはあったと同業の友人から聞きました。私もあとから考えれば、そういえば、ということはあった。時期がどんぴしゃりなのですでに危なかったところに真っ先にあおりをくらったのかもしれない。

最後の3ヵ月働いた分の報酬はゼロになりました。そのへんの細かい話は飛ばしますが、そこそこな金額だし、入ると思っていた生活費が飛ぶわけだし、その後の収入源が消えるわけだから、そりゃショックじゃないわけないし、世の中は大変なことになっているしで、超絶気がめいりながらそれ相応の法的な対応を取ろうとした矢先に徹底的な知らせが届き、ただまあ、そのへんばかなのか、妙にあきらめがよいのか、そういうことならほぼ戻ってこないだろうな、と早々に腹をくくりました。

トップの人の最終的な対応に腹が立たなかったといえばうそになる。けれど、各担当者さんにはすごくお世話になったし、いろんな仕事をさせてもらえた会社でもあった。担当者さんたちはどうしただろう、と内心気になっていた。

その後、新しい取引先を探せばいいと思っていたけど、それまではそこまで難しくなかったから甘くみていたというのはあるのかもしれない、パンデミック下、時代の変化、テレワークの急増、経済の悪化、もろもろで思った以上に状況は厳しくなっており、新しい取引先はなかなか増えなかった。仕事は減ったままだった。

ただ、運がいいんだか悪いんだか、時期が時期だけに、売り上げが減った個人事業主に対する給付金が出ることになり、私くらい資格のおる人おやんやろ、と堂々満額をいただき、おかげで当時は非常に助かった。

し、なによりよかったのは、仕事が減って時間ができたことで、実はそれまでも抱えていた、この仕事をずっと続けて行くのか、行きたいのか、行けるのか、ということをあらためてじっくり考える時間ができたこと。

それまで、年に2~3ヵ月は旅などで仕事をしない期間がある、というふざけたライフスタイルのわりに、旅から戻ればすぐに声をかけてもらえる恵まれた状況で、そこそこ安定した収入を得られていた。とか書いているけれど、根が怠け者だし要領悪いので、収入が高いわけではけしてない。あくまで自分が困らない程度。

あまり大きな声ではいえないけれど、この仕事を、他にしたいことをするための収入源とわりきっていたところはあった。どこでも場所を選ばずできるというのも大きい。そのためにこの仕事を選んだ面もあるのだし、人は人、私は私、とはいえ、使命を持って取り組んでいる人もそれなりに見てきているから、どこか後ろめたい気持ちはあったと思う。

一方で、この仕事は、人によってはまだまだ先だという人もいるけれど、いずれAIに取って代られるだろう業種の1つだと思っている。実際、近年その影響は加速的に出てきていて、遅かれ早かれ、人間はAIの補助的な役割になっていくのだろうと思う。そこまでして続けたいか、というのもあった。

他にもかなり大きな葛藤が他にもあるんだけれどここにはかけないので割愛するとして、とにかく、そういうもろもろを考える時期は遅かれ早かれ来ることになっていたんだろう。それをこの2年で、余白のある状態で考えることができた。

収入源としてわりきっているわりには、なんだろう、時々は、あ、やっぱり嫌いじゃないんだ、という愛着がほんのりのぞくこともあったりして、仕事に対してこの言葉はおかしいかもしれないけれど、腐れ縁のような感情を抱くところもあったりした。

そんなふうになかなか複雑な気持ちを仕事にいだいている中、それでも今すぐにやめるのは得策とは思えず、むしろ将来の計画を見据えて開拓も続けてはいて、その結果として、超絶腰の重かった海外のクライアントとの取引を開始することができたりした。

あと、国内の取引先も、フリーランスの常としてもともと複数のクライアントから受注はしていたし、仕事が減った中でもなんとか続けてこれていたのは、ずっと継続的に依頼を続けてくれていたそれらの他のクライアントのおかげも大きい。中には誠実じゃないところもあったけれど、1つのクライアントは、本当にお世話になりまくっていて、勉強もさせてもらって、とても恩を感じている。

そんな2年だったのだけど。

ある会社から連絡があったのは1年前だったか。

名前を見てすぐにわかった。消えてしまった会社の担当者さんだった。正確には、担当者さんたちの上司にあたる人だと思う。私は知らなかったのだけど転職されていたようで、声をかけてくださったとのことだった。

その会社からの受注が、昨年後半から少しずつ増えていった。

今回ほどの大型案件は初めてだけれど、最初に打診を受けた時に私がお伝えした分量はまだまだ余裕のある量だったので、多少は増えても問題ないですよ、と伝えていた。ら、結果的に1.5倍になった。

さすがにそれはきついです、とは伝えた。そこをなんとか、と言われた。わ、わかりました、やります、と私は答えた。事前に内容はしっかり伝えてもらっていたし、ぎりぎりなんとかなると踏んだ。

でもそれ以上に、多分私は嬉しかったんだと思う。ただのせられているにすぎないのかもしれない。だけど、嬉しかったんだ。いろいろと。

だから、あとは粛々と進めるだけだ。

400字どころかいつのまにか単なる心情吐露になってしまって、しかも最初はですますだった気がするんだけど。文章構成的には破綻している気がするけれど。かなり個人的なことを書いているのであとから消すかもですが、つまりそういうことです。←は?

 とほ