オルガ・トカルチュク『逃亡派』を読み始めている。
まだどこにもたどりついていないのに、すでに文字を追っていくだけの行為が至福で、これは筋は関係ないタイプのやつだ、と早々に気づく。どこに連れていかれようと過程がずっと幸せなやつだ。出発の瞬間からわくわくする旅のあの感じだ。最後までそうだろうか。途中でトラブルにあったりもういやだ中断したい帰りたいと思ったりするのだろうか。
まるでみえないそのあたりも含めて今は読み始めたことに静かにわくわくしている。ということをメモして今は読み進めることにする。ほんの見開き1ページ、左右2ページにすら、好きな言葉や表現がちりばめられている。これが最後まで続くのだろうか。この厚みで?それを持続?作者に感謝したい。
結論づけるのはまだ早い。読み進めることにする。
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付箋をしたい言葉にあふれている。たちどまる行為は物語を読み進めるのにはよいことだろうか。流れが中断してしまう。しかしきっとよいもわるいもないのだ。読書に正解はない。しかもこの小説はそういう寄り道こそを奨励している、とも感じる。ストーリーに乗って一気に駆け抜けるのではなく。速読のまるで似合わない本。速読をまるで奨励していない本。
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ふと思ったけれど、速読を会得している人は小説に対してはどのような感じで読み進めているのだろう。そもそもこのような本に手を出すのだろうか。
ジェットコースター小説はそもそも速読など会得しなくても途中から勝手にストーリーライダーに乗って読むのがとまらなくなるし、そこまでおもしろいなら、むしろ速読のせいで早く読み終わってしまうのを残念に思うだろう。と想像するのだけど実際はどうだろうか。だけど、逃亡派のような寄り道奨励小説なら、速読技術は無用の長物だろう。
速読する人は、どれくらいの人が実用書以外にもその技を適用しているのだろうか。適用をよし、としている人はどれくらいいるのだろうか。ゆっくり読みたいとは思わないのだろうか。
できるだけ多くの本を読みたい、が先に来るのだろうか。それはわかる。時間は限られている。映画に偏っていた時は一生かかってもすべての映画が見尽くせるわけではないと思いいたるたびに悲しい気持ちになっていたし、小説に重きが戻りつつある今はやはり、積読の多さをみないふりしている。”積ん”する前の書店に預けている(つまり未購入の)いつか読む(はずの)本のことまで考えると、悲しみは一層ふくらむ。
映画みたいに2時間、多くて3時間、と時間が計りにくい読書はやはりもどかしくはある。そうすると速読術を会得したい、というのはわからなくもない。でも。と、魂がいう。私はしたくないんだよ。
それとも、あれだろうか、速読マスターは速度を自在に操れるのだろうか。駆け抜けたい時と遊歩したい時とで。
本の内容じゃなく速読の話になってるじゃないか。すぐ脱線する。逃亡派のタイトルにふさわしいといえばふさわしい。のか。読み進めることにする。
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わたしは、趣味趣向としては、とくに女性作家を好むというのはない、中性方向だとは思う。こと創作物に限っては。それでも女性作家の立ち位置の静かな、あるいは偏執的でもいいから細かく世界を観察するような小説の中にとても好きな世界があったりする。その時にここちよいと感じる自分を、ああ、やっぱり女(性)ではあるのだよなあ、と認識したりはする。
この本を読みながら、ジャネット・ウィンターソンやトーベ・ヤンソンでたゆたっていた時のことを思い出している。女性作家のつむぐ言葉の波がここちよい、というのは確かにある。
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小説の独りで立っている感じが好きだ。
すごく好きな本のタイトルは人に伝えるものとナイショにしておくものがある。宝箱の中味はそうそう全部はみせないよ、と。全部みせてたまるもんか、と。この記事をここまで読み進めてきた8900万人のうち8850万人が今いっせいに、いやしらねーし、とつっこんだことと思うけれど、でもあなたもあるでしょう、そういうこと。とくに逃亡派のタイトルもしくは著者に惹かれてこの記事を読み始めた人はそういうところあるんじゃないかな。いやあるね。だから、いやしらねーし、とつっこんだのは本当は8900万人のうちたったの50万人で、残りの8850万人は、なんかわかるー、とこっそり思っていると思う。わたしは知っている。あなたは仲間だ。同士だよね。
いつのまに語りかけ口調になっている。気づいたらまた逃亡している。本に戻る。そもそも読み終わることができるのか自信がなくなってきた。
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逃亡派を手にしたのは地元の書店だった。珍しくAmazonじゃなく、ただタイトルと表紙と背表紙とぱらぱらした時に目に飛び込んできた文の感じとで、買うのを決めた。
旅に関する小説であったのも大きい。旅がずっと散りばめられている。遊歩を推奨する文体なものだから安心してあちらこちらで立ち止まってしまう。買ってよかった。もう終わりはどうでもいい気がしてきた。このままずっと読んでは立ち止まり、また出発し、読んでは立ち止まり、を繰り返していたい。終わりがこなくてもいい。
逃亡がとまらない。
なんならこのまま逃亡してしまおうか。
私は逃亡派を読み終わることができるのだろうか。
とほ