富士山を望むカフェで読書&思索タイム。

問わず語り

 

キャンプサイトをチェックアウトした後は荷物を置かせてもらい、山の上にあるカフェに行ってみることにした。

とその前に、朝行った温泉にもう一度戻って、しなければいけないことが。

温泉名物、温玉揚げ。外はかりかり、中はよい半熟具合、塩加減もちょうどよく。秒で食べ終える。

さて、キャンプ場で朝ごはんも食べたし、荷づくりの途中でリンゴもかじったし、結構な具合におなかが満たされた状態で、そのままカフェへ。山の上といってもキャンプサイトの中にある丘を少し上っただけですぐに到着。

見るからに雰囲気のよさそうなカフェのたたずまいに一枚外観の写真を撮り、さらに撮ろうとして写真NGのマークが目に入り、あ、とカメラアプリを取り下げる。

中に入ると、開放感があって、内装も素朴で、落ち着けそうな良い雰囲気。

コーヒーは、エチオピアとケニアとインドネシアの豆があったので、いつもの「酸味プリーズ」を発動しそうになったけれど、エチオピアという気分じゃなかったので、おすすめをきいて、ケニアを頼むことにする。マフィンもおすすめされたので、チョコとブルーベリーですごく悩んでブルーベリーにする。さっきお腹が満たされた云々言ってたの誰。

まだ午前中で、私ひとりだったこともあって席は選び放題、日当たりに近いテラスに面した広いテーブル席を選ぶ。目の前に、キャンプ場と同様、前方に山の谷とその先に富士山の景色、一段と高い場所からの眺めもまたいい。遠くでトンビが円をゆっくり描きながら上昇していく。控えめに流れる音楽以外はほとんど音もない。

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ここでゆっくりするつもりで2冊目の本を持ってくるはずが忘れてしまったので、iphoneのキンドルに入れている小説を読むことにする。帰りは、20分ばかり歩いて下ったところにあるバス停からバスに乗って駅に戻る。本数は1日に3本、次の時間までにあと数時間ある。時間はたっぷりある。

多和田葉子の『雪の練習生』は主人公がどうやら白熊なのだけど、一人称で会議の仕事をしたり書き物をしたりする日常が語られていく。こんなふうに、非日常が日常の顔をした物語が好きだ。

しばらくして、コーヒーとマフィンが運ばれてきた。コーヒーは温度によって味が変化していくので時間をかけてお楽しみくださいね。そう言われて、暗にゆっくりしていいと言われている気がして、勝手にうれしくなる。

ほどよく感じよいその人の雰囲気に乗じて、写真NGなんですよね、とだめもとで聞いてみると、前方と食事の写真はだいじょうぶです、とOKがでた。最近はユーチューバーの人たちが中の写真だけを撮っていくケースが増えていて、やむなく禁止ということにしたのらしい。申し訳なさそうにその人は言った。

まあ確かに、このキャンプ場は、数年前に発見した時はまだ穴場的な位置付けで、いつか行ってみたいものだと思っていたのだけど、徒歩キャンパーだし自分が住んでいるところからは行き方がちょっと面倒ということもあってぐずぐずしているうちに、いつのまにか3か月前に予約の争奪戦が繰り広げられるほどの人気になっており、実際、キャンプ中は、平日というのにサイトはほぼ埋まっていて、段構造のせいもあるのかどこからもざわつきが絶えずしていて、正直なところ、秘境の静けさとは程遠かった。さらにぶっちゃけると、キャンプって、おとなり運って、あるよなあぁぁ・・・・・・と遠い目をしたくなる2泊3日でもあった。もちろんソロだろうと、自分も宿泊構成要素の1人なのだから、文句などいうのはお門違いではあるのだけど。それでも、次は絶対静かなキャンプ場にしよう、と思ったのは本音。

ただ、繁盛しているからこそ、便利な施設ができたり、こうやってよさげなカフェができたりする面もある。一方で、人気が出るとマナーを踏み越えた行動をする人も増える。その結果苦渋の決断を、ということはあるだろう。それでも、写真ぐらいいいじゃないか、という意見もあってもおかしくないだろう。どこをとるか。なかなか難しい。

 

 

コーヒーは、説明された通り、確かに温度が下がっていくごとに、好きな酸味とコクはそのままに、まろやかになっていった。まるで尖っていない。といって気が抜けた感じではなく、風味はそのまま。誠実に淹れられている味。時間をかけて、と言っていただいたのに、おいしすぎて、ずんずん口に含んでしまいそうになるのを堪えながら飲む。ブルーベリーマフィンもちゃんとブルーベリーの粒の香りがふわんとかおって、上はさくっと、中はしっとりでうまい。

 

 

静かな時間。静かな場所。正午前でお客はまだ私ひとり。キャンプ場のことあれこれ書いちゃったけど、少なくとも3日目は、朝の温泉からずっといい時間が流れている。

ふと、こういう見晴らしのいいカフェで毎日働く、ということを考える。今日みたいに晴れた穏やかな日もあれば、天候の厳しい日もあるはず。人気のあるキャンプ場であるゆえに、来る時期を逸したなもっと早く来ればよかった、などと勝手な失望を軽く覚えたりもしたけど、人気だろうとそうでなかろうと、こういう心地よい空間、心地よい誰もいない時間はある。

こういう時間が持てるかどうかは行ってみるまでわからないし、期待すると厳しいこともよくある。けれど、ふいに思いがけなくおとずれたりもする。誰も自分を知っている人はいない、というより実質人がいない、絶妙に気配を消してくれているお店の人以外は、という空間は、別段海外でなくても、場所を問わずおとずれるものかもしれない。

などと、朝つらつら考えていた旅先異邦人の考察に、さっそく心の中で訂正を入れる。日本でだってちゃんと存在する。ただし、いつもどこにでもあるのではなく、ある時間に、自分の運やリズムなどとの組み合わせによって、生み出されるものなのかもしれない。それをうまくつかめる日の感覚はよくよく覚えておきたい。あくまで感覚的なものだけれど、体の力が適度に抜けている日であることは間違いない気がする。疲れすぎていたり凝りすぎていてもだめだけど、抜けすぎていてもだめ。温泉に入ったあとだとか、荷造りをするとか歩くとか軽く運動したあとぐらいがちょうどよい気がする。案外、体の力の抜け具合は精神に直結している。

なんて、ここでもこんなふうにメモを取り出して書くなどしているのは、こういう静かな時間は何かものを書きたい気持ちにさせるせいかもしれない。

あるいはやはり、多和田葉子をチョイスしたせいもあるかもしれない。

キャンプ場にもってきていた2冊目の紙の本も初っ端からおもしろそうな本ではあったけれど、ミステリー仕立てのエンタメ寄りな話で、その本だったら、今日のここでの思索がこのようになったかはわからない。ミステリーやスピード感のある本もそれはそれで没頭する楽しみはあるけれど、本来は、遊歩を促す本が好きだ。とてもとても好きだ。良い遊歩を促してくれる本を、良い本だと思ってしまうところが私にはある。

説明抜きですっと始まり、気づけはどんどん歩み進めてしまうような小説が好きだ。幻想ではあっても自分も書けそうな気にさせてくれる、絶妙に力の抜けた書き出しの小説が好きだ。「力の抜けた」が経験から緻密になされているものだとしても。その点ではポールオースターもそう。ポールオースターの場合は、行きつく先が不穏でなにも解決しない世界であることもあるので要注意だけれど。でもそれもまた嫌いじゃない。困ったことに。

多和田葉子の白熊は、果たしてどこに行きつくだろうか。ものがなしさとある種のおかしみをたたえた物語。最後はどちらが勝つ物語だろう。

こうして、山の上の静かなカフェで、思索と読書は続く。

とほ

多和田葉子『雪の練習生』(Amazon)

 

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