陣地獲得欲求。

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問わず語り

先日の書斎DIYや室内キャンプの話を書いたからか、自分のテリトリーを確保したがる人類の本能について考えている。歴史や周囲をみわたす限り、人類の、と言い切っちゃっていいとは思うけれど、私個人の、と言った方がまちがいがないかもしれない。知っているのは自分のことだけだから。

部屋の中でキャンプをしています。
といっても、室内にテントを立てて中で過ごしているだけなのだけど。 昼間に急に思い立って寝室のベッド横にテントを立てた。...
書斎とDIYと私。
ずっと気になっていたベッドヘッドの上30センチほどをノコギリで切った。すっきりした。 全体像を写してないのでわかり...

子供の頃から自覚はあった。たとえば数本の傘を開いて、自分の周りを取り囲む。それだけでもそこはもう他からの視線が遮られる空間になる。身動きすら自由にできない狭い空間だけれどまぎれもなく自分ひとりの空間、そのことにわくわくした。わくわくというよりぞくぞくに近い。わくぞく。

鎌倉もそう。とはいえ、うちの地方は鎌倉が作れるほどの積雪はめったになかったし、十分な量の雪があったとて子供の力で鎌倉1つを完成させるのは無理だったのだけど。それでもごく稀に大雪が降った時には、雪だるまを作るよりも鎌倉夢想をしながら雪を集めた方が何倍もわくぞくした。なんなら雑誌などに載っている鎌倉の写真の中のこたつとみかんの前に座る自分を想像するだけでもわくぞくできた。

実際、お話に出てきたものや写真を見て想像するだけでも有効だった。エスキモーの(という言葉は今は使ってはいけないのだっけ?だとしたらイヌイットの)切り出した氷で作った家(イグルーというらしい)の写真を初めて見た時にもわくぞくしたし、『科学と学習』だったか何かの子供用の雑誌で、集めたガラス瓶でうちをこさえちゃったおじさんの特集を見た時もまたわくぞくした。

わくぞくの最たるものが、物語に出てくる木の上の家に対してだった。これ私だけじゃないと思うんだけど。どうですか?そこのあなたもわくぞくしませんでしたか? 実は住んでいる町にも、庭に、子供の頃の夢かなえちゃったんだろうな、という木の上に小さな部屋がある家が存在する。見るたびに少しうらやましい。私も欲しい。

よくよく考えると、わくぞくのその先にはかすかな背徳のような感情もある。それがまたわくぞくに追い討ちをかけるのかもしれない。ちょっとした欲望のような何か。

どうも自作の陣地というものに弱いのかもしれない。領域。陣地。秘密基地。秘密じゃなくてもいいんだけど、「人が知らない」とか「自分だけの」という意味合いが深まるほどいい。外側と内側とを隔てた空間。基本的にはせいぜい数人、究極には自分ひとりが入れるほど狭いスペース。

そういえば子供の頃の妄想は地上だけじゃなく、地下にも作用していた。地下空間にも言い知れない魅力を感じていた。自分だけが動き回れる空間をスコップ1つで掘って掘って掘りあげて作るという妄想だけでうっとりできた。姥捨山の話は親を捨てられなかった子が家の下に掘った穴に母親を匿う話だ。不謹慎かもしれないけれど、地下に母親を隠しておけるだけの居住空間があるという点でひどくわくぞくしている部分は確かにあった。

エミール・クストリッツァの『アンダーグラウンド』は、それを街レベルで具現化した映画だ。人数も桁違い。ただまあ、アンダーグラウンドレベルになると、隔離という点では最高に満たされる条件だし物語としても大好きだけど、規模が大きすぎてまた違う感覚にはなるかな。それにこの映画を見たのはとっくに大人になってからの話だし。

ともかく。冒頭の書斎DIYや室内キャンプの話に戻ると、こういう、囲い込みたがり、陣地確保しがたり、という自分の習性、嗜好、性癖が顔を覗かせる時にふと子供の頃のそれを思うともなく思い出すわけだけれど。なんなんですかね、この自分にとって居心地のよい囲い込まれた空間確保欲求は。今は一人で住んでいるのだから囲う必要はないのだ。書斎はまだ集中スペースという観点からわからなくもないとして、寝室内テントにいたっては自分でもわけわからない。外と中を区切る必要はないのだ。もともと十分中なんだから。

子宮か、子宮回帰願望か、というところで落ち着けようとしたけれど、それも安易だ。人類の歴史は領土獲得=権力拡大の歴史でもあるけれど、そういう戦闘的なそれともまた違うような。社会的ないわゆる「パーソナルスペース」的な話とも違うような。ううむ。それに私には空間の広さを求める部分も確かにある。狭い閉じた空間にばかりもいられない。時々閉じこもる場所があればいいわけで。

今日はなにを言いたかったんだろう。このへんでずっとさっきからうろうろしている。

いずれにしても人類自体が地球上の自然におけるミュータントとも言える中で、そんな人類の一員であるわたくし一個体が自分だけの陣地を確保しようとする、それが可能だと思うこと自体が地球への背徳なのかもしれない。

私個人の話といいながら結局地球レベル人類レベルの話にしてしまい、いろんな意味で破綻している気がしますが、ひとまず今日はここまでとします。

とほ