アクションとリアクション

問わず語り

 

アクション(行動)とリアクション(反応)。

アクションは機動力がいる。立ち上がるのは自分。一方リアクションは自動で起こる。誰かがアクトした対象物があって初めてリアクトが起こる。対象物さえあれば、それが目に入った時点で起こる。無意識でいるほど即座に起こる。リアクションの割合がアクションより多いほど受動的に生きているということになる。

リアクションはだれにでもあることだし、私だってあるし、人間の性というか機能のひとつというか、だからひとごとのようにすべてを否定する気はない。それに社会において、アクションに対してどのようなリアクションが返ってくるかが重要な指標となる局面も少なくないだろう。

けれど私にとって魅力的かどうかでいうなら、アクションの割合が多い人に比べて、リアクションの割合が多い人には魅力を感じにくい部分はやはりある。リアクションが多く目につくほど、スピーディさというメリットより、少し考えなしというか抑制のきかなさというデメリットの方が強く印象付けられる。怒りやいらつきのような感情を伴っている場合はとくに。

反応という日本語に訳せる言葉として、レスポンスもある。レスポンスは早い方がいいけれど、リアクションは一呼吸おいた方がいい。少なくとも一呼吸おいているかどうか、その形跡がみえるかは、わたしには重要なこと。今はとくに。即座にこぶしをふりあげる世界からは距離をとる。

アクションのつもりでリアクション取ってない?そのリアクションは必要?本当に?本当に?

だからアクションを、みたいな安易な方向に持っていく気もないけれど、目の前に降りてきた大事(おおごと)にみえるすべてにリアクションを取るうちに自分にとって大事(だいじ)なことに使う時間がどんどんつぶれていく。リアクションにエネルギーや時間を無駄に費やせるほど、人生は長くない。

今日も(も?)やや辛口。失礼しました。

 とほ