昨日の記事の流れで。
2014年に公開されたイルファン・カーン 主演『めぐり逢わせのお弁当』。この映画を観ていて疑問に思ったことがありました。
まず簡単に説明すると、インドの大都市ムンバイにはダッバーワーラーと呼ばれる弁当配達人によって各家庭や店からお弁当が毎日オフィスに届けられる弁当配達システムがあり、”誤配率600万分の1という驚異の正確性”。にもかかわらずある時誤配達が起きる。それがきっかけとなって始まる若い主婦イラと初老の男サージャンとの文通をしっとり描いた映画。日本では2014年に公開されました。
それで、疑問に思ったことというのは掲題の通り。互いの手紙の書き言葉はどうなってたんだろうと。手紙を読んでいる場面では、送った側の声で内容が読みあげられるのだけど、サージャンの手紙(をイラが読んでいる場面)は英語、イラの手紙(をサージャンが読んでいる場面)はヒンディー語。英語も少し混じってるけどほぼヒンディー。
ちなみにヒンディー語だとわかったのは、今回記事を書くにあたり、Youtubeでちらっと確認したから。さすがに何年も旅や映画でつきあっていると、なけなしのヒンディー耳はできてくるようです。何言ってるかは相変わらずほぼわかんないけど。
実はこの疑問は観賞時にメモに書き留めていて、その時は「非英語」と書いていました。なので、何語で書かれていたのだろう、は当時の疑問なんですけど。
以下に当時のメモをのせます。
男性が書いた文面は何度か出てきててそれは英語だった。だけど女性の方は確か出てこなかったはず。出てきてたっけ? 出てこなかった前提で話を進めるけれど、女性の言葉を「非英語」と書いたのは多言語国家インドだし、聞きとる耳のない身ゆえうかつにヒンデイと書けない、という弱気配慮から。国外でも公開されている映画だし公用語(ヒンディー)という気もするけれど、ムンバイにはマラーティ-語という言語もあるし、なにぶん聞きとる耳がないゆえ。でも、なぜ男性に英語で読ませているんだろう。言語をわざわざ分けているのはなぜ?
で、今回、ヒンディーだろうなというのはうすうす自力でわかったんですけど、言語が違う理由など、依然として疑問は残るため、ネットの海を探索に出かけ、2014年に書かれたバハードゥルシャー勝さんの当該映画の記事を読ませていただいた結果、ひとつ疑問が溶けました。
まず、サージャンは南部のゴア出身でヒンディー語が拙い、という設定だそう。だから英語なんですね。なるほどおお。ムンバイで仕事をする上で英語の他にヒンディーも必要だったんでしょう、か。だから学んだ。ヒンディー語が読めるくらいまで。英語の読み書きは当然できる。英語にしたのはその方がコミュニケーションが楽だから。
ちなみに、ムンバイはマハーラーシュトラ州の州都であり、州公用語はマラーティー語(昨日の記事参照)。なのでイラが話しているのはマラーティ-語かも?と当時思ったのですが。バハードゥルシャー勝さんの記事によると、マラーティ-語も出てくるけれど基本的にヒンディー語の映画だと。
バハードゥルシャー勝さんは、私は時々ネットで参考にさせていただく一ファンに過ぎませんが、インド映画といいインド自体といい裏打ちされた知識で堅実な記事を書かれる方なので、映画についてもっと知りたい方は上にリンクはった記事をぜひ。
さて、で男性が英語、女性がヒンディー語ということははっきりしたと。ですが、もうひとつ疑問があり。サージャンの手紙は英語で書かれていた。ということはイラは英語を読めているということ。ということはイラは専業主婦であってもある程度の教育を受けた人ということになる。教育を受けていなければ英語が話せても読み書きは厳しいのではないか。
あくまで私の感覚だけど、インドでは、インドに限らずいわゆる(この言葉を使うのは抵抗があるしそぐわない時代にもなってきているのだけど)第三国と呼ばれる国では、とくに裕福でない人でも英語力に長けた人に会うことは珍しくない。特に外国人旅行者の多い地域では。でも、話し言葉にまったく問題なくても、例えばWhatsappなどのアプリでメッセージを交換したりすると、びっくりするほど拙いことがある。耳で聞いた「きっとこうだろう」をそのまま書き落としたのだろうと容易に想像できるような綴り。
逆にいえば、発話と聞き取りだけでそこまで話せるようになっているということで、逆にすごいのですが。日本人は書き言葉ではそこそこ高い英語力があるけれど話し言葉になるとだめという逆パターンが圧倒的に多いように思うのですが、どっちが良い悪いではなく、実践にまさる上達法はないなと。彼らにとっては英語が生活がかかっているから、というのもあるのでしょう。
話がずれてきたかな。ともかく。彼女は教育を受けている女性だったのだろうか。それとも。ごく短期しかムンバイには滞在したことがないのであくまで一瞬の印象(プラス雑知識から)ですが、ムンバイの英語浸透度は半端ない気はしました。なので、州公用語マラーティー語、連邦公用語ヒンディー語以外に、英語は一般家庭でも浸透しているのかもしれない。
ともかく(ともかく多いな)、言語の多い国だからこそ生まれる背景、もっとこまかいところを知りたいとあらためて思いました。少なくとももう一度観てみないとなあ。
主役のイルファン・カーンさん。そういえば、2019年に日本でも公開された『ヒンディー・ミディアム』というインドの英語教育に関する映画にも出演していました。
インド映画に馴染みがなくても、ハリウッド映画でも多く出演しているので知っている人も多いと思います。私も『めぐり合わせのお弁当』を観た時にはすでに認識はしていたけれど、その後インド映画道をがっつり進みはじめ、これほどまでに馴染みのある俳優さんになるとは思わず。
これからもずっと長く出演作を観られるものと思っていたのですが昨年、癌で亡くなりました。闘病されていることは知っていて、受けた手術が成功し回復しつつあると思っていた矢先の訃報。俳優の訃報にはあまり反応しないようにしているのですが、自分がそこまでショックを受けるとは思いませんでした。53歳。早すぎる。もっといろんな映画に出てほしかった。
言葉の疑問の話だったのに、最後はちょっと感傷的になってしまった、すみません。
せっかくなのでもうひとりの俳優についても。サージャンの部下を演じるナワーズッディーン・シッディーキー。いやー、この人も、この映画を観た時には、なんじゃこのお調子者は、憎めないけどw、という印象だったのに、その後自分にとって馴染みのありまくる俳優になるとは思わなかったなあ。
『バジュランギおじさんと、小さな迷子』の第二のおじさんといえば、わかる人も多いはず。他に日本公開済み映画では『女神は二度微笑む』もありますね。Netflixにも出演作が多くあります。
これ以上話がずれていく前にこのへんで終わりたいと思います。
とほ