長いあいだ、自分のこと、地図が読める女だと思っていました。
でも気づきました。
地図が読める
と
地図がすぐ読める
のあいだにある大きなへだたりに。
地図は読めます。読めますとも。
ただね、まわすんです。
自分の方角に。つまり視点に。
そうなるとどうなるでしょう。
地図上の文字が逆さになります。
文字を読むためにまた地図を戻します。
そうすると探していた道が「あれ、どこだったっけ?」となります。
エンドレス。
は言いすぎですが、わかるまで数回は繰り返すことになります。
……読めなくね?
これ読めるっていえなくね?
いいえ、読めますとも。
それでも読めるといわせていただきますとも。
時間かければ。
なので、タイトル訂正します。
地図が読めないことはないけど時間のかかる女。
だめじゃないか。
タイトルパクったこの本、未読なんですけど。
ひところ流行りましたよね。これ、そういう話なんでしょうか?
男脳と女脳があって、それぞれに得意分野があるよ、みたいな話?
かけはなれてるかもしれないまま進めますが、つまり地図をまわしちゃう人が女脳なのかしら。
ただ、女脳男脳はともかく、女にも地図をまわさない人はいて。
今回の旅の相棒。というとマメ子ですが。
マメ子、地図読みとるの、すげい早いのです。
わたしが、ええっと……と一度めをまわす前にもう歩き始めてる、くらいの早さ。
で、まわすんだね、ときかれて
!そういえばマメ子まわしてないね!と。 ←遅。
ジョルジュの深い指南により、地図をもたずにスカラの町にくりだした私たちですが。
ジョルジュがあんなに何度も何度も(前回書いた3倍は)リピートしてくれた道順を、きちんと把握していたのはマメ子でした。
若干1名は、教会出て逆方向に向かおうとしてました。
ジョルジュ、話がながい男呼ばわりしてごめん。
そういえば母親も道を把握するのが早い人だったなと、帰って聞いてみると、やっぱり地図はまわさない、という。身内ながらはじめて知ったという事実にも驚いたんですけど。
京都のような碁盤の目もわかりにくい、と言います。え、碁盤の目、わかりやすいじゃない、というと、感覚が狂う、と。
マメ子にしろ母にしろ、聞いているとどうも、まわさない人は、方角の感覚が普通にある、方角を軸に方向感覚ができてる。
なにをあたりまえなことを、と今思った方。まわさない人でしょう?
それはともかくとして、まわす人間としては、もういろいろと、目からうろこだったんですよ。
そもそも私、方角、頭に入ってないですもん。
東西南北も右左も、思い出すまでにワンクッションありますもん。
右左は、心の中でいったんお箸とお茶碗持つ格好しますし、東西は、うかんでくるバカボンのパパの歌に対し、「の逆」と打ち消す作業が必要になりますもん。
自分で書いておきながら、なんでしょうか、軽くダメージが。
……自己弁護じゃないですけど、時間かかるといっても、そこまでではないと思うんですよ。ひとり旅ではとりあえずはなんとかなってきたレベル。
でもね。
でも、真性読める人と旅する時は。
今までも男脳女子と旅をする機会が何度かあってなんとなく気づいてはきてましたけど、今回の旅ではっきりさとりました。
もうね、ゆだねます。すなおにゆだねます。
だってその方が早いもん。だし何かと身も安全だもん。
……という、今回もぐだぐだ旅雑談でした。