こんにちは、デリー在住だったトホです。
だった、というのはすでに2年住んだアパートを引き払ったあとだからです。
この2ヶ月で急激な変化があり、学生生活を一旦辞め、インド国内の別の地に居を移すことになりました。
移すことになりましたと書いてますが、すでに新しい地におります。書き始めたのは引っ越す前でしたがなんだかんだで(←便利な言葉)年末になってしまいました。
新しい地については次の記事で書くのでここではおいておいて、この記事では退去までの流れをまとめます。
どんな部屋に住んでいたか
まずどんな部屋に住んでいたのか、から。
キッチン、浴室、AC付き、家具付き、賃料月15000ルピーのワンルーム。
最初、ワンルームかあ、とは思ったんです。
当初20000ルピー前後(マックス25000)の予算で探していたのは1BHKの部屋でした。1BHKとは1Bedroom, 1 Hall(リビング)、1 Kitchenの略。こだわりがあったわけではなくて、部屋探しをしていたらよく見る間取りで見つけやすそうだったこと、その時点で友人がふたり遊びに来ることが確定していたため、人を泊めるならそれくらいの広さはあったほうがよさそうとの算段でした。
なのでワンルームかあ、と。
探す前にインドでワンルーム貸しは少ないと聞いていたのですが、その地域は学生街ということもあってわりと家具付きワンルームはあるようでした。部屋探しを手伝ってくれた同地区に住んでいるジョージアの人の部屋もワンルーム。
最低希望条件のACはついている。角部屋で窓が2面にあって日当たりは確保。学校まで徒歩で行ける。賃料はワンルームの相場としてはどうなのか不明だけど予算を大幅に抑えられるのは助かる。などなど惹かれる点もあったのですが、やっぱり1BHKは欲しいよなあ、で一旦は決断お持ち帰り。
でもその後さらに、共有部分がきれいめ、入口周辺のセキュリティがしっかりしている(ように見える)、とりあえず大家さんもいい人そう、住人の雰囲気も悪くなさそう、街の雰囲気がなんか好き、とよいところが自分の中でクローズアップされるようになり。最初は無駄にでかいと思ったキングサイズのベッドも、これだけ広ければ上を居間的に使えばいいじゃん、などと実際に住んでいるところを夢想するようになり。
つまりもうそれ答え出てるのでは。
ということで、数日後入居の意思を伝えました。
ただ決めた時点では前の人がまだ住んでいたので入居できるまでに1ヶ月待つ必要があり、その待っているあいだに体調崩して入院しちゃったりなんかして大変な一ヶ月だったりもしたわけですが。そのあたりは過去記事に書いてるので、よろしければどうぞ。その記事に部屋探しの話も書いてます。
関連記事:デング熱にかかってインドで入院した話。
入居までの流れをまとめると、
9月初旬に学生ビザで入国。
➡️ホテルに滞在しながら自力で部屋探し開始。
➡️部屋探しに協力してくれる人がいると聞いて連絡。
➡️部屋決定&契約。
➡️この頃から体調悪くなる。
➡️ホテルからつなぎの汚部屋に移動。
➡️体調悪化。
➡️入院。
➡️病室生活(体調最悪だけれども病室はきれいで助かる)。
➡️退院。
➡️汚部屋がいやで数日ゲストハウスに宿泊。
➡️10月1日に無事契約部屋に入居。
で、そのまま同じ部屋に2年とちょっと、今回引っ越しをするまで住み続けることになります。

ちなみに入居時にかかった費用は計30000ルピー。
デポジット(Security)として家賃1ヶ月分:15000ルピー
家賃1ヶ月分を前払い: 15000ルピー
手数料:不動産を通してないのでなし
不動産を通してないのは直接交渉だったから(上記リンク記事を参照)。
住み始めてからの家賃の支払いについては、家賃は前払いなので翌月分15000、これに水道諸経費500とその月に使った電気代とを合わせた金額が毎月末にWhatsappに送られてくるので、知らせが来たら0階に住む大家さん(か大家さんの奥さん)の部屋まで支払いに行くという感じでした。UPIでの支払いも可能でしたが、私は最後まで現金を直接手渡しに行ってました。
デポジットについては退去時に戻ってくるという話でしたが、さて無事戻ってきたでしょうか。
退去日までの流れ
デリーを離れることが決まったのが10月4日。
その翌日に大家さんに今月いっぱいで出ることを告げる。この時点で10月分の家賃は支払い済み。
翌々日、通っていたヒンディ語学校にもやめることを告げに登校。この日が最終登校日となる。
帰ってくると、いつも建物入口付近に座っていておばあちゃん(大家さん母)から、「ベータ、あんた出ていっちゃうのかい」と言われてしんみりするなど。いつも挨拶して学校に向かっていた日々が日常じゃなくなるのだなと実感がわく。
その翌々々日から荷物をまとめ始める。退去日まで数週間あるしあまり早くからしまい込みたくはなかったのだけれど、引っ越し荷物の量と数を先方に伝える必要があったため。
このあたりから、次の入居者候補の人がほぼ毎日部屋を見学にくるように。大家さん経由の時はまだ事前に電話くれてたものの、不動産屋がちょくでお客引き連れてくることもあり。バカ正直に1か月前に告知したら退去までの1ヶ月ずっと扉どんどんされたら無条件に開けて部屋見せなきゃいけないのつら…となりつつ応対。
とかいいながら退去日まで数週間あるので行きそびれていた北部の行きたかった町をまとめて旅行する計画をたてる。
が実際には書類の用意、先方との連絡、帰国準備諸々でのんびり旅行できるような状況ではまったくなく。溶けるように10月が過ぎ去る(涙)。
そんな中でも級友や友達と映画を観たりごはんを食べるなどの時間はなんとか確保。会っておきたかった友達としっかり会えたのはよかった。
退去3日前。荷物だけ一足先に先に新しい地に送り出す。
初期化されがらんとした部屋で2日間過ごす。
最終日。大家さんに挨拶し、一時帰国のため空港へ。
という流れでした。
荷物引っ越し当日
退去3日前の話に戻りまして。荷物の引っ越し当日。
荷物の引っ越しというのは、私はビザ取り直しのために一旦日本に帰る必要があったため、荷物だけ一足先に現地に行っててもらうということ。
往復トラックの手配、到着後の荷物の保管は、引取先の先方がしてくれる手筈となっていたため、私は手持ちの段ボールやら不織布袋などあるものだけを使って自分の荷物をすべて梱包し当日まで待機。一部の衣類なんかは袋から見えていたりもする雑な梱包でしたが、なくなったらなくなった時の精神で。どうしてもなくなったら困るものは帰国用スーツケースに確保。

当日の朝、部屋の掃除などをしつつ待機していると、朝10時頃に運送会社の人から到着した旨の電話がありました。
が手違いとして、トラックは運転手しか来ておらず、荷出しの人がいないことが判明。「じゃ、トラックで待ってるから君運んできてね」の流れにまてまてまてとなり、ドライバーと話し合っていると、ヒンディ語がいまだ不自由な私に代わりお隣さんが取り持ってくれて、近所から二人荷出しの人を急遽探し出す運びとなります。
荷出しの人が来てからはあっという間に部屋から荷物が運び出され、最後トラックのところで個数を運転手と一緒にチェック。

翌日、先方から荷物の個数、到着時の写真と保管場所の写真が送られてきて、破損なく向こうに届いたことを確認しました。
はたして私は無事荷物たちと現地で再会できたでしょうか。待て次号。
それにしても2年のあいだにすっかり物が増えたよなあ。とは梱包時も荷出しの時も思いましたが。
あと1~2年はサンスターンと今年の前半までは思っていたし、そのあとどうするかは未定ではあったけれど帰国の線は非常に薄かったので別の形でインドに居るんだろうなとは思っていました。でもそれはデリーだろうと。だってデリーが好きだから。なので、他の地に移ることにGOサインが自分の中で出たことにも驚いたし、そもそも今回の急展開全体に驚いており。ものごとが動く時の強い流れは何度か経験はしているけれど、つくづく来る時は本当あっというまでござる。そして、そういう急転換や大きな流れが来たりする時は、その前に一度沈みこむ時期があるのもポイントだったりしてね。
退去最後の2日間
話それたので再び退去の話に戻しましょう。
ぎりぎりまで決まらなかった帰国日も決まり、フライトチケットも無事おさえ。
決まること決まって送り出すものも送り出して心安らかになったところで、初期化されたがらんとした部屋で残りの2日を過ごしました。
ガスコンロは引っ越し先で新しいものを買うつもりだったので、引っ越し荷物には含めず、冷蔵庫の電源を切ったあとも使い切りたい食材などで荷物引っなんやかや最後まで自炊。
でもそれも最後お世話になったお隣さんにガスシリンダーごと引き取ってもらいました。その他にも湯沸かしポットとか未使用の台所グッズなどをまとめておゆずりし。私としてはもらってもらえて大変助かったのですが、ガスがないならご飯どうするの?と心配してくれて、最後の夜ご飯、朝ごはん、お昼ごはんの3食まで、作っていただいてしまいました。



パンジャブ地方出身のお隣さんは、学生の息子さんとお母さんの二人暮らしで、それまでもたまに廊下で出会った時にヒンディ語の会話につきあってもらうなどしていましたが、引っ越しが決まってからの1か月はぐっとお近づきになれた感じでした。

デポジットは戻ってきたか
最終日。
お隣さんの朝ごはんを食べ、2年暮らした町の写真を撮りに外に出かけるなどしたあと、大家さんのところに精算に行きました。家賃は前払いしていたので、その月の電気代の精算というていで、その実、デポジットを返しておくんなましの姿勢で向かったわけですが。
結論からいうと、戻ってきました。デポジット。
戻ってくるという認識ではあったけれど、インドのアパートトラブルはよく耳にするし、戻ってくるどころか逆に請求されたみたいな話も聞くしで、半分戻ってこないと思っていたというかそう思っていたほうがいいような気がしていたのですが。
次に行く地の話とか、ここでの生活はどうだった?みたいな話をしたあと、「セキュリティ(デポジット)だよね?」と大家さんが財布を取り出し、ひと月分の家賃から電気代と清掃代を引いた額がさくっと戻ってきました。八割程度だったかな。清掃代も電気代も納得できる金額でしたし、期待してなかった分得した気持ちに。
2年住んでいるあいだにはそりゃ故障があったりなんだりもしたけれど、対応の早い大家さんだったし、最初の1~2ヶ月目くらいに「ん?もしかしてやばいところに入った?」と感じたエピソードもいつか機会があれば話したいけどそれも今となっては笑い話だし、一見強面の大家さんといい、実質一番やりとりの多かった奥さんといい、娘ちゃん&息子くんおばあちゃんと、大家一家は階下に住んでいるからしょっちゅう顔合わすけどそこまで過干渉でもなく、全体的に私にとっては最後までよい大家さんでした。
そういうわけで、デリーでのアパート生活は私には入居も退去もスムーズなものでした。うまくいきすぎて逆に免疫できてないから、別の地で揉まれるのが怖ええです。
