マリアとスネハと私の会話。

Airbnb日記, Airbnb diary インド日記

1月某日。

マリアがいうには、南の言語もどれもサンスクリット語ルーツだという(※)。

タミル語とマラヤーラム語が似通っており、カンナダ語とテルグ語が似通っているという。南でどれか一つ習得するなら?という問いには、タミル語という。タミルを習っておけば他の言語にもリーチしやすいから、らしい。一番難しいのはマラヤーラム語で、マラヤーラムが母語であれば、他の言語は習得しやすい。と、ケーララ州出身のマリアはいう。マラヤ―ラムはケーララ州の公用語だ。

ご近所の人と話す時はカンナダ語(ここカルナータカ州の州語)。あとはテルグ語が少し、タミル語が少しわかるという。ヒンディ語はなんとか、というレベルらしい。私との会話は英語。北インド出身のスネハとの会話も英語。たまにヒンディが混じっているようにも聞こえるけど配分は不明。英語もまだまだだというけれど、スネハと私の3人の会話では、早口のスネハにつられてか二人の会話がどんどん加速していくことがあり、本当の意味でまだまだなわたしには、インド英語にだいぶ慣れてきたつもりでも話の矛先を完全に見失うこともあり(汗)。

スネハというのは階下の部屋を借りている30代の快活な女性で、前職から某GAFA企業に引き抜かれ、その一環で今年からバンガロールに来ている。家族大好きで、毎日大きな声で電話をしている。スネハは、コルカタで生まれ育ったが、話し言葉はヒンディ語と英語。コルカタの言語であるベンガル語はわかりはするけど、あまり話せないという。一族の出身はラジャスターン。で、元の言語はマルワリ語だという。

マルワリ語は初めて聞いたので、あとで調べた。こういうふうに、出会った人から直接聞いた出身地や言語から興味が広がるのがうれしい。言語習得というより言語そのものに興味がある私としては、それこそが実際に身を置く醍醐味でもある。目の前にいる生きただれかからもたらされた情報が次の好奇心につながっていく連鎖。直接たずねたり、胸にとめおいた言葉をあとで自分で調べたり。

第一言語がヒンディとのことなので、「元の言語」というのがどういう意味なのかまだちょっとわからない。また機会があったら聞いてみようと思う。

おもしろいと思うのは、コルカタで生まれ育っても、家族がコルカタ在住でも、一族の出たラジャスターンという地を自分のルーツとしっかり認識しているようであること。言語のことやルーツについて聞くのは、失礼にならないように、と一応気遣いながらではあるけれど、すごくおもしろい。スネハはそのあたり、むしろ自分から率先して話してくれるので、助かる。

スネハはといったけど、マリアもだ。くったくなく、なんでも話してくれる。

迎え入れるひとびとのことを依然書いたことがあるけれど、マリアはまちがいなく迎え入れる器のある人だ。

人を迎え入れる場所を整え、いらっしゃい、と歓待する人。そこに行けばいる人。そこに行けばある場所。訪れた者が飲み、食べ、寝て、束の間語らって、黙考して、そのように自分に必要な時間を過ごして、英気を養い、また出発する体を整える場所。そこを管理する人。

真に迎え入れる力はすべての人に備わっているわけではない、迎え入れる人は、ただそういう職業や立場にあるというだけではなく、それ相応の包容力がある。とは私が勝手に感じているだけであり、勝手に作ったその箱に閉じ込める気は毛頭ない、のだけれど。

海外はもちろん、バンガロールやケーララからほとんど出たことがなく、北部のことはニュースで知る生活。Airbnbは現在海外に住んでいる息子さんが始めて、管理も息子さん。でも実際のきりもりは両親のおふたり。

インドの他のAirbnb事情を知らないけれど、インド各地からの利用者が多い第一Airbnbにくらべても、予約前のレビューを見る限りでも、そして実際に話をきいてあらためて、ここは外国人の利用者が多いようだ。コロナ禍の数年は著しく減っていたらしいけれど。現地の人と触れたいタイプの人が、なんとなくその包容力をかぎ取ってくるのかもしれない、なんて、前回の記事で下宿の形見のせまさが云々いっときながらどの口がだけれど。

多くの人を迎え入れ、ここでの生活を話してくれながら、外に、世界に、気持ちが向いていることも言葉の端々から感じる。閉じていない。

インドでの女性の生き方。あきらめてきたものもあるだろう。マリアの時代にはとくに。けれど、恨み節みたいな調子はみじんもなく、その時代の話を事実としていたずらな色をのせずに話してくれる。滞在してまもない人間に話せない多くのことがあるだろうとしても。

多くの場所を見聞していなくても、ひとつところで生きていても、豊かな人はいる。そのことは、旅をして人と会話してきて、実感を込めて知ることができるようになってよかったこと。

そうそう、話変わってもうひとつ、スネハは、マリアとサイモンのことをアンティ・ジー、アンクル・ジーと呼ぶ。アンクル、アンティはヒンディ語(&英語)でおじさん、おばさんのこと、それにジーをつけるとより丁寧になる。私にもそれとなく、そう呼ぶよう示唆してきているような。マリアは必要ないというので現時点では名前で呼んでいるけれど、どこかで変えた方がいいだろうか。郷に入っては郷に従え、従えるところは従いたいと思っているけれど、アンティジーだと過剰じゃないのかしら、おばさんさん、みたいな、とか、ジーをつけるのはヒンディ語圏だけ?それともこれは他の言語圏でも?とか、門外漢&現時点で話せる言語なしの人間の興味と疑問はつきない。

 

 

※とりいそぎ聞いたことの備忘録。南方の言語はドラヴィダ語族であり上記4か国語は兄弟言語という認識はある中で聞いています。サンスクリットとの関係も前に読んだ気はするのだけどすぐに忘れてしまう鳥頭なのでもう一度ちゃんと調べねば。上にも書いたように「会った人から直接聞いた出身地や言語から興味が広がるのがうれし」く、「目の前にいる生きただれかからもたらされた情報が次の好奇心につながっていく連鎖」の材料として書き留めておいて、興味が再び大きくなった時に調べたり、他の人にきいた話とすりあわせたりして、そのうちしゅっとひとつの木になっていくのを楽しみたい。先は長いが。

『世界ヒンディー語の日』らしいのでインドの言語について整理してみた。
Twitterで流れてきて知ったのですが、今日1月10日※は「世界ヒンディー語の日」なんだそうです。 よい機会...