迎え入れるひとびと。

 

Keren Ann - Not Going Anywhere
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Not Going Anywhere。

ケレン・アンの曲でずっと好きな曲。

潮は満ちては引いていくけれど、
わたしはここにいる、どこにも行かない。
人は来ては去っていくけれど、
わたしはどこにも行かない、ここにいる。

そういう歌。

こんなふうにおちついた、わたしはどこにも行かない、という態度に憧れる。わたしはいつでもここにいる、という宣言。佇まい。凛とした。静かな。

この曲から受け取るものは人それぞれだと思うけれど、わたしは辺境の地で宿を営んでいる人々をなぜか思い浮かべてしまう。

コロンビアのメデジンの宿に少し長居をしていた時に、スペイン人の旅人からはじめてspotifyのことを教えてもらった。何でも好きな曲が聴けるんだよ、試しに好きな曲を打ってみてというので、この曲のタイトルを入力すると、彼も気に入ったらしく、その後すれちがうたびにこの曲がかかっていた。チェックアウトの日、挨拶をしに部屋をのぞいた時もかけていた。

この曲は旅に似合う。だけど、歌い手の姿に重なるのはいつも、通り過ぎていくバガボンドたちではなく、迎え入れる側のひとびとだ。

人を迎え入れる仕事をしている人を、ひそかに尊敬している。尊敬というとどうしても大袈裟だし、リスペクトというと日本人のわたしにはどうも空々しく響くし、一目置いている、ちがうな、頭がさがる、うーん、うまい言葉がみつからない。

わたしにできないことを選択し、切り盛りしている人たち。

人を迎え入れる場所を整え、いらっしゃい、と歓待する人。そこに行けばいる人。そこに行けばある場所。訪れた者が飲み、食べ、寝て、束の間語らって、黙考して、そのように自分に必要な時間を過ごして、英気を養い、また出発する体を整える場所。そこを管理する人。

宿経営は少し憧れるけど、自分でここちよい空間を作り、そこに人を迎え入れることができたらという思いはどこかにあるけれど、迎え入れる器のある人をすごくいいな、そうであれたらと思うけれど、残念だけどわたしには資質がない。

わたしは多分、多分じゃないな、どうしたって通り過ぎていく側だ。いいなと思うのは本当だけど、自分を否定しているわけでもなくって、ただわたしは動き、流れ続けないと淀んでしまう。流れていないと腐ってしまう。インドアイントロバート属のくせに厄介な性質だぜ、とは思うけれど。

こうやってまたとどまる日々の中でさえ、小さくでもいいから、「移動すること」や「目にうつる風景を移り変わらせていくこと」をみつけようとしている。川沿いの散歩。隣駅まで足を伸ばすこと。わざわざ遠くの郵便ポストまで投函しにいくこと。人々が生きて生活しているのを横目に通り過ぎていくのが好きだ。

いつか迎え入れる側になれるかもしれないと思ったけれど、落ち着く日もくるかと思ったけれど、いい加減よいお年だ。でもこれは多分、年齢だけの問題じゃない。迎え入れるにも資質がある。そう言って逃げているだけかもしれないけれど。でも確かにある。あたたかい蝋燭の光のような。遠くにみえる街の灯りのような。

とはいえ、迎え入れる側がかつては通り過ぎる側だった、ということは往々にしてあることは承知している。そうして今は迎え入れているけれどやがてまた通り過ぎる側に戻りうる、ということも。実際そういう人はたくさん見てきた。どちらも知っているからこそ、迎え入れる側になった時に必要なことがわかる、というのは確かにあるだろう。

一方で、生まれた時からそこにいて、この先もどこにも行かない、ここで待っているからいつでもいらっしゃい、と歓待してくれる存在もいる。もしかしたらその人の人生の中で外に出ることを考えた時期もあったかもしれない。ここにいる、どこにも行かない、と宣言するまでにはさまざまな葛藤があったのかもしれない。あっただろう。けれど旅人にはそれをみせず、肩の力をぬいて、旅人を迎え入れる。そういう人。

幻想のような気もするし、多く通り過ぎてきた気もする。

そしてこの歌に重なるのもそういう人だ。

ひとまず今日はあの灯りまでたどり着こう。そうやって旅人たちが向かう場所にいる人。

今年はたくさんの灯りが消えかけているかもしれない。

尊敬という言葉を考えすぎて使えないくらいだから、うまい表現がみつからない。第一、旅に出ていない一介の旅人の言葉が届くはずもない。このような念を飛ばすこと自体無意味な気もする。

けれど。どうかその地で元気でいてください。わたしたちが肉眼でみられないその地の景色を今目にうつしている、それだけでうらやましい。あなたの目にうつっている景色をいつか見に行くので、それまでどうか、お気をつけて。

とほ