歌うたいとスィク教徒の青年と。

インド関連雑記

 

インドのネタばかりもあれだから違うネタをと思ったのだけど、私の魂は放っておくとどうしてもインドに行きがちらしい。それともそろそろインドホームシックにかかっているのか。おかしい。住んだこともないし、インド人でもないのだけど。

というわけで、インドネタです。旅の思い出話。

『世界ヒンディー語の日』らしいのでインドの言語について整理してみた。
Twitterで流れてきて知ったのですが、今日1月10日※は「世界ヒンディー語の日」なんだそうです。 よい機会...

インドの言語一覧ときて、

『めぐり逢わせのお弁当』:あの手紙は何語で書かれていたのだろう。
昨日の記事の流れで。 2014年に公開されたイルファン・カーン 主演『めぐり逢わせのお弁当』。...

ヒンディ語の話ときて、

今回は英語編。

前々回の記事からつなげていくスタイル。

インドの電車の中で出遭った英語にまつわる思い出話2つ。

その前に簡単にインドの列車のシステムを簡単に説明すると、寝台は、AC付きの1A(First Class)、2A(2 Tier:2段寝台)、3A(3 Tier:3段寝台)、ACなしのSL(Sleeper)などがある。寝台ではない座席の車両もありACの有無などでクラスがわかれている。私は日中の短時間移動(5~6時間)で座席を使うこともあるけれど、だいたいは移動と宿と睡眠を兼ねているので夜行を使う事が多い。

私はかなり歳が行ってからバックパックスタイルの旅デビューしたくちなので、宿も電車も安ければ安いほどよい、それがまた冒険にもなる、というようなスタイルはハナからちょっと無理、というところから出発した。宿について話していると長くなるのでここでは割愛するとして、列車は、とくにインドでは、睡眠時間だけは確保したかったし、暑いの苦手だし、一番始めのインド旅の早々に「電車の中でオトモダチになったインド人からすべての荷物を盗まれた」オーストラリア人女性に会ってしまったこともあり、防犯の意味もあって、よほどせっぱつまった理由がない限りまずエアコン付きを選んでいた。

エアコン付きがなぜ防犯にいいのかというと、絶対はないし、そこですべて決めるわけでもないけれど、やはり料金にしたがって客層が変わるというのはあるから。車両にも扉はちゃんとあるし、車掌さんがチェックしにもくる。相対的にやばめな人はいない印象だし、安心感はある。

そういう客層ゆえか、英語率もぐっとあがる。気がする。

それで思い出すひとつは、これは私だけなのか、教育熱心な若い家族に遭遇する確率が高いこと。お父さんと一緒にちっちゃい子が英語の動画を観ながら復唱したりと、ひかえめな感じよい家族にあたることもあるんだけど、んー、なんだか英語イキリを感じるなあ、という人もいる。ちょっと意地悪い見方かしら、でも、いるのよ、私今英語で教育してます!というオーラをびしばし放つ人が。でもこれ、あながち気のせいでもない気がしている。インド人は素質的にも総じて英語習得力が高い気もするけれど、教育のたまものというのはあるわけで。英語が準公用語であり、階層などにも複雑にからむからこそ、真剣味は日本と比べ物にならないほど高いのかもしれない。

そういえばこういう映画もありましたね。イルファンカーンさん…涙。

ヒンディーミディアム(HINDI MEDIUM)とは?】
インドで“ヒンディー語で授業を行う公立学校”のことを指す。
対して、英語で授業を行う私立の名門校は“English Medium”とされ、英語は、現代インドでよい仕事を得るための必須スキルとされ、教育の質を測る上で重要視されている。
アマゾン『ヒンディー・ミディアム』 [DVD]の【作品内容】より。

 

もうひとつは、ムンバイ行きの夜行列車に乗っていた時のこと。その列車では、私は4つに向かい合う2 Tier(2段寝台)の下段を選んでいた。私の向かいはインド人の大学生くらいの女の子。私の頭上は頭にターバンを巻いたスィク教徒の青年。その向かいにも青年。ともに二十代前半くらいの。

乗ってしばらくして、斜め上段の青年がヘッドフォンをしたまま小さな声で歌を口ずさみ始めた。それが驚くほどうまくて。音量に配慮しながらだからうるさくもなく、むしろずっと聴いていたいほどで、私は耳をすましていた。

耳をすましていたのは多分私だけじゃなかった。まわりのみんなが耳をすましていたと思う。なぜなら彼が歌い始めて、会話がとまったし、通路側の人たちも彼を見ていたから。列車の音と彼の歌声。唐突に歌い始めるのもみながじっと聞くのもインドっぽいなあとも思うけれど、少しだけ音量が上がった気はしたけれど歌い上げるでもなく、今思えばアリジット・シンとプリタムを足して2で割ったような、いや、どうだったかな、記憶の中で改変されたかもしれない、けれどとにかく、アコースティックでメロディアスな、ちょっとした節回しなんかもここちよくて、そんなもっと聴いていたいと思わせる歌声がしばらく続いた。

上手だね。

最初に声をかけたのがスィク教徒の青年だった。歌うたい青年が照れたように応じた。スィク青年が、どこかで習ったの?とか興味津々で聞いていて、それに歌うたい青年が答えるなどしているうちに、みるみる二人が打ち解けていく様子なのがわかった。ムンバイにつく頃には二人はすっかり仲良くなっていた。観察すな。や、でも逐一聞いていたわけでもなく、歌がやんでからは私は私で自分ごとに戻っていたのだけど。そういう雰囲気って伝わる。

それで、その時に考えていたのは、二人の会話が英語だったことについて。その頃はまだまだインドの文化について今より知らず(今も知っているとはいえないけど)、いろいろなことを観察し吸収している頃で、そんな中、彼らの会話が自然に英語だったことをとても新鮮に感じた。大都市ムンバイ行きの列車であったことも関係しているのだろうか、スィク教徒の青年は北部出身であり、歌うたい青年は違う場所の出身だったのだろう。出身地が違っていて母語が違えば、同じインド人でも英語しかコミュニケーションをとる手段がない、ということはよくあることなんだろう。

ひとりの歌にひとりが感化され、興味を持って質問を続け、だんだん打ち解けていく感じがなんとも微笑ましかったし、なんだかとても好きだった。あのふたりが今もつきあう友達同志だったらいいのにな。

とほ

ノート小話2:旅の記録。
移動時間の書きもの。 旅をしているとき、移動時間が長いのは苦じゃない。むしろ好きだ。とりわけ寝台列車が好きだ。映画を見...
インドのバス移動が好き。
昨日は旅中の移動手段としてバスをディスって?しまったけど、バス移動はバス移動で好きだ。書き物には向かなくても。厳密に...