神聖そとにでない人。

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問わず語り

 

8月はとにかく外出しなかった。しっかり覚えているのは某試験があった1日だけ。そのほかの日はどうだったろうか。外の空気を吸った記憶はある。とにもかくにも玄関の外に出た、というのを外出としてカウントしてよければ、何度かは出た。あ、マンションの掃除は参加した。ちなみに回覧板に数日気づかない、というのは日常茶飯である。

スーパーは・・・行ったっけ? コンビニくらいは行った。と思いたい。なにしろ記憶がない。食材は普段、ネットスーパーの配達を利用しているので出なくてもなんとかなる。業務スーパーが好きなので、月1は野菜などのまとめ買いに出かけるが、今月はいかなかった。

でもそれくらいで食料は1か月乗り切れたの? 余裕だった。昨年から備蓄癖がついていて、冷凍庫の中には常に、食材や作りおきをぱつんぱつんに詰め込んでいたので、それらをこのへんで一度整理したい気分になり、冷凍庫にあるものをできるかぎり活用していたのもある。冷凍庫の空間が空いていくのは快感だった。

防災備蓄とソロキャンプ。
先日の東北を中心とした地震は、関東の私の住む地域は震源地に比べればごく軽いもので、被災地に住む人々の大変さと比べようもな...

私の目立たない趣味(?)のひとつに、できるだけ食材を使い切る、というのがあって、ふだんから頭の中で食材の組み合わせを考えていることが結構多い。今ある食材の組み合わせをしばらく考えていたと思うと、ホワイトボードにだーっと書き出したりする。といっても、すばらしい献立になるわけではなく、いつも代り映えのしないものを食べているし、中途半端に余った野菜はたいてい焼きうどんの具材になる。焼きそばより焼きうどん派だ。焼きうどん発祥の地、北九州・小倉の、植民地下関の、人間なので。あの鰹節が踊り狂い、バターがふんわりかおる、シーモールでいつも食べていた焼うどんが、その店のオリジナルではなくて、北九州のをぱくっ、あ、いや、関門海峡を越えて輸入してきたものなのだと知ったときは、ちょっとしたショックだった。

話ずれてきてない?

下関はフグだけではなーい。
他県の君たち、ちょっとここに座りなさい。 下関といえばフグフグフグフグって・・・ 下関グルメはそれだけじゃないのであ...

自炊が苦ではないとはいえ、食材使い切りが趣味とはいえ、8月は時間をかけて作っている暇(というか余裕というか気力)があまりなかったし、自分で勝手にやっているにもかかわらず、突如やさぐれて、こんなしみったれたごはんばかりじゃやだ!となり、ウーバーイーツも利用した。一度利用して、そうだよこういうのをもっと利用すればいいんだ、と思い、二度目利用しようとしたら雨で、軒並み「近くに配達員がいません」とか「利用できません」となっており、都会の中途半端なへき地であることを実感した。せつない。

とはいえ、いざとなればなんでも頼める世の中。さまざまな配達員さんのおかげで、生活できている。本当、ありがとうございます。

しかし、そんなだから、当然体がなまりまくっている。恥ずかしいからあまりいいたくないが、体重がやばい。近頃は「太った検査」のだいじな1項目である鎖骨からの応答がない。おうい、おうい、と声をかけるとほんのり姿をあらわすけれど、首筋に力を入れているあいだだけで、力を抜くとすぐに立ち消える。そんなことではだめだ。しっかりするんだ。しっかりしないといけないのはわたしだ。

8月は仕事とあれとそれのトリプルパンチで自主的にひどく忙しかったので、今月は外に出なくてよし、と決めていたのもあるけれど、夏はもとから、暑い!というのを理由にして引きこもる生活を長年続けている。8月は、と言っているけれど、7月も実を言うと、外に出た記憶がほとんどない。いや、8月よりは出た。正直に言えば、都内にも2度足を運んだ。そのうちの1回は銀座だ。Bパイセンが目撃される前。つまりオリンピックの前。でもそれ以降の記憶がない。

昨年からの状況における数少ないいい面は、普段から引きこもり気味の生活をしている人間が、「仕事いそがしくて・・・」と言い訳しなくても、正々堂々と引きこもっていられるようになったことだけど、今は世の中の状況を考えて外出を抑えているけれど本来はソシアルな皆々様に、「ねー」とかいいながら全部さらけ出したら、「え、それはさすがに」と引かれる神聖組。

そんな調子だから、たまに外に出て、店が開いていたり、人が歩いているのを見ると、よかった、世界は思うほど滅びていない、とほっとする。昨日、日が暮れたころに、久しぶりに最寄り駅周辺をうろうろして、つまり最寄り駅周辺ですら久しぶりだったわけだけれど、街のあかりが暖かかった。

とほ

 

未:真性は人の心をほどく。

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インド日記 インド日記

却下。また別の機会にする

 

真性は人の心をほどく。(陰キャ陽キャ、スネハの話メイン、だけど、陰キャ陽キャという言葉はつかわない。スネハ主体の話。三人で楽しかった話も前に少しのせて。最後にひとこともどすのでもおけ)

マリアとスネハでの三人であったひのことをかいたひでいい。

第二エアビーへ。というのと。すでにして懐かしくなっている、という話こみで。第三エアビーの近くで見つけたミターイ屋で購入したXXを手土産に、メトロとバスをのりついで、と。すでにして故郷に帰るような気持ち、と。

到着すると、コルカタから帰ってきていたスネハとマリアが、ちょうどマラヤハム映画をみているところで、もう少しで終わるのでまって、と。でまってからでかけたこと。あ、ここで1日おしゃべりなのか、と思っていたら

ほぼほぼ来た道を戻って(笑)、XXテンプルまで。と。(このへんはさらっとかわす)

 

 

スネハは最初苦手だった。

苦手意識などもたないほうがいいに決まっている。もっともだ。

しかも半世紀は生きていてもそういう物を手放せてない。というはなしについては、しょうがないよ、人間だもの、でかえさせていただく。人は、

あとぐるぐる同じ場所にもどってきたりもする。そうやってそうやってすこしずつ終わりの時までどこまで多少はましになっているのか、あるいはなっていないのか、のゲームだ人生は。

と、本題に入る前に、いやらしい保険をはったところで。といってもういちど、

スネハは苦手だった。

今も得意というわけじゃない。声の大きい

でもそれをいったらインドの

そんな私がなぜこの国に?ということになる。事実、自身の性質とこの国のおりあいということについてはいまだよくわかってない。いえるのは、こんな人間でもこの国を好きになることもあるのだ、もっていかれることもあるのだ、ということだけ。それに、国民性、傾向で母数を大きい一般化はのんのんというあたりまえの前置きをはじめたくなるので、ここをよんでいるひとは、少なくともそのへんをことわらなくともわかっているひとたちですよね、と信頼してさきにいく。わかってないひとはしらん。

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で。(スネハのはなし)

陰キャは陽キャに苦手意識を持ちがちだけど、まあ陽キャ陰キャに限らず、いつもオープンは疲れる、オープンの方にエネルギーを使う、閉じていた方がラク、というのはある、閉じるというとネガティブなようだけど、自分のスペース(精神的にも)を確保することで安らぎを得る、というのは確実にある。
その中で、実は隠れ陰キャな陽キャが一番疲れる。攻撃(とはいわないまでも、こんなあたしを肯定するために、そうでない側を無意識にディすりがち、未熟な陽キャは。まあこれはでも未熟な陰キャもいえるんだけど)してくるのもその手。
そんな話がかきたかったのではなくて。
神聖陽キャにはかなわないという話。最初は勘弁してくれと思っても最後は心をひらいてしまう。ひらかせる力がある。づかづかと土足に、勘弁してくれと最初は思っても、最後は苦笑して、なんだか好きになってしまう。うるせえな声おおきいわ笑とか、いちいちいわなくていいよ笑みたいな斜め苦笑も完全にきえはしないんだけど、しょうがねえなもう笑という苦のきえた受容の笑いになる、みたいなところがある笑。
スネハは朝から全開でよい声と笑顔ができるタイプ。あの常にドアオープンは心底びっくりしたし、むしろホスト側はいやじゃないんだろうか、と思ったけど、ホストのマリアとサイモン自体がまた受け入れ力のあるあたたかくゆるい、明らかによい人々なので、うまくいっている。陰キャな私は最初それによって、あまりにもオープンな空気に肩身の狭さを感じたけれど、それは勝手な私の中でおきていることで、それすら受容している感じがある。でもそれはまあ、最初のお互いどういう人間か」わからないためのさぐり(警戒)がとけてきてゆるんできたところもあるかもしれないけれど。
サイモンが、部屋で作業をしている私にその時々の果物やチャイを運んできてくれようとするのもうれしいし、マリアのいつもかわらない感じもよい。その息子夫婦もよい感じ(息子がAirbnbのやりとりを担当していて(ドイツにいるのに)それも最初から感じよかった)。昨日はスネハもふくめて全員でゆうごはんに一緒させてもらった。
最初のえあびーえぬb-の適度な放置を最初はこいしがってもいたけど、今は今でなれてきた結果ホームステイのようなあたたかいインド家庭の中でくらすこの今の経験もまたとても居心地よく感じるようになった。
スネハをふくめて疑似家族のような。おもしろい。
スネハの話にもどるけど、最初上記の理由で、うわあ、と拒否っていたのだけど(心が)、今はなんだかおかしくなりながらうけいれている自分がいる。だって心底よい人なんだもん笑。多分人が外にいたら必ずでてきたいタイプ(外に人がいたら、ひとまず部屋にこもっていようとする、そしてたまに、よし、とがんばってでる、みたいな私のようなタイプとはまはんたい)これをインドの人はそう、ときめつけるのはちがう、いろんなタイプがある。あくまで傾向としての人種的なちがいはあるとしても、日本人よりはそういうところはある人々なのはちがいないとしても、いうまでもなく人それぞれすぎる。
グーグルという大企業につとめていて、話をきくかぎり(といっても自慢とかでなく社内でのやりとりの話などをきいていて)できる人なのはつたわってくる、
だけど海外にいく、みたいなことにはまったく興味がなく、ラジャスターン出身の一族としての自分の認識があり、コルカタにすむ家族にすきあらば電話している。家族大好き人間。バンガロールにすむことは挑戦であり、できれば家族と一緒にいたい、みたいな。マリアにすきあらばなんでも報告している、キッチンで、あの大きな声で。わたしは自分のごはんをつくりながら、それを今ではにこにこしながらきくともなくきき、ときどきは会話にはいる、という感じ。
真性は人の心をほどく。
あと、わたしが今までのとびらきっちりをやめている、やめてみている、というところもあるかもしれない。今までとちがう見方、感じ方をしている部分もあるかもしれない。勝手にアドバイスさんくんへの感じかたとか。今までは本当に勘弁してくれ一辺倒だった。これからも基本かわらないだろう、けれど少しだけ変化はあるかもしれない。私がその人を好きになるなら、というのがキーでしかないが。
ここがインドだから、というのはある部分と、関係ない部分がある。

 

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(「内向であることとインドとの折り合いのようなもの」からスネハ部分だけこっちにもってきた)

黄色マーカーはスネハのに。(最初はそう思っていたということ)
あと下宿的なところにくわえて、今回のえあびー住人の女の子がまた、それを感じさせるひとでもあるのもきつい要素😅。いい人だ、いい人なんだけど、オープンすぎる。のがきつい、って私どれだけインキャなんだという話なのだけど。ご飯はひとりでたべたいときでも、私がキッチンにいると家にいるときは絶対にでてくること。いつもはつらい、と。これがつづくとシャットダウンしてしまいそうな自分の性質を知っているので、と。このへんはもう、一生なおんない、と。昔より良い意味でも悪い意味でも大人の対応ができるようにはなっているが、家モードのときは人に対応できない声と表情だし、正直対応したくないときもある
その点、のこのいつもウェルカムってすごいな、とはおもうが、同じ家にいると、私としてはきつい。きついのは、あと、常に喋ってるのは、ある意味では楽ではあるのだが、このタイプはアドバイスが会話の構成要素として(本人はそのつもりじゃないのかもし」ないけど、こっちの経験、背景は興味なくって、わたしがすでに経験して実弟ゆことも、その結果いっしゅうまわってえた結論も、全てアドバイスの津波でおしながすいきおいがある。会話がアドバイスになりがちな人は、ひとまず、わーありがとう、とうけとりはするが、そして何度かは補正しようとするが、基本やめないので、結果的に自分からはあまり接点はもたないよう、あたりさわりなく行動することになる
→これが、じっくり話すことがあったり、なにしろ本物なので、と、気持ちがほどけたいったこと。今回も、実に勝手だけれど、インドは関係ないところで(いや、インド滞在における自分のムードに影響してしまっているという点ではおおいに関係ありはするのだけど)かなり長い間とあることでストレスがあって、なんとか気をそらしつづけていたけれど、顕在化しつつあってどうにもきつくなっていて、そういうのを、なんとスネハの明るさにいやされてしまった、と。マリアは癒し、スネハは元気。わたしは、だいじょうぶと思いこみがちだけど、この10年、わりとゆるやかにやってきたのが、そのストレスでうまくいかなくなっていて、インドにきてまでなにをやっているんだと、薄情すれば、かなり自分らしくないなあ、と感じることも多い今日この頃なのだけど、ひとりでなんとかやれるとおもいがちだけど、こういうふうに、助けられることはある。(これもどこまでかくかはわからないけど、いちおうおいておく。あっさりあっさり、スネハのことだけにする!)