本日は、昨日いただいた即興雑談のお題で書いていきます。
お題「今後の日本」について。
即興雑談とは:思いついたことや目にしたものについて、即興で最低文字数400字を超えるまで書くこと。あるいはそのさま。内容はないことが多い。
前口上はここまで。400字カウント開始。
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今後の日本。今後の日本。今後の日本‥‥‥そうですね、この、手の中でお題を転がしながら舞台で話すことを考える感じ、なかなかスリリングですね。冷や汗込みで。
今後の日本。ふと思ったけれど、今後、というとどのくらい先を指すのだろう。ひとくちに今後といっても、明日もあれば百年先もある。明日は今後に入れるには近すぎる気もする、と思ったけれど、「今後ともよろしくお願いいたします」と取引先に伝える時などは、今日たった今この時から先ずっと、というニュアンスを込めている気もするから、まあ明日も含めていいのか。
では、明日からいつまでか。とすると、百年先はもう今後という感じではないな。未来の範疇だな。私の感覚では、「今後」は少し先から数十年後くらいまで。じゃあ未来は? 百年後はかんぺきに未来、じゃあ五十年後は? 悩ましい。五十年は今後にも未来にも含まれる気がする。うんと未来寄り、「今後」と「未来」の境界線。
だれが「今後」の定義をしろと。お題は「今後の日本」でした。戻ります。
今後の日本。そうですね。どうなるか、ということでいうと、これはもう、明日でも百年後でも、インシャアッラーという便利な言葉をムスリムの方から拝借したくなるくらい、片隅に生きている一個人の私には本当にどうなるかはわからない。
何かデータを探して持ってくる時間もなく、なので、完全に無責任に、一個人の「こうなんじゃないかな」というのだけでいうと、概ね、暗い気持ちで見据えてはいないようです。経済的に再上昇しているか。これもインシャアッラー、だけど、まあ、それはない気がする。下降はあながち悪いものではない、どころか、この世の理であって、どうせ降りるならスマートに移行しようよ、とすら思っているかもしれない。
「未来」には日本はもうないんじゃね?くらいは思っている。けれど「今後」なら、日本は存在はしているでしょう。まだ。でも今経済が読めないことは、日本に限ったことじゃないしね。わりと近いうちに、日本どころか、金融や国という概念含め、世界全体のシステムが変わっているかもね。かもね、というか、少し前までは絵空事っぽかったのに現実味帯びてるよね。「今後」の範疇であっても。「今後」と「未来」の境界線、つまり五十年先まで、日本が続いていたら、すげー、ブラボー、よくがんばった、とか言っちゃうかも。
日本がなくなるかも、と思っているのに、暗い気持ちじゃないのか、というと、それでもイエス。インシャアッラーという言葉を宗教もなにも持たない私が借用しすぎるのはあれな気がするのでもうやめるけれど、本当に、なるようになる、としか思ってない。傍観者すぎる視点でしょうか。この世を動かそうと拳をふりあげている人々から怒られそうな気がしてきました。
こんなところで終えるのは危険な気もしますが、気づいたら1000字を超えたようですし、このあたりで失礼いたします。かように即興雑談は、オチもシメもなく、都合によって終わらせることで知られています。だれに?私に。
それでは。
とほ