ちなみに、スパイスは使い切る気がしない。
どこからちなんだかというと、このへんの記事からである。
日頃からインドインド言っているわりには私、カレーはそこまで好きではない。まず辛いのがだめ。自分で作るぶんには調節できるからまだいいけど。といいながら、先日アルゴビっぺえものを作った時にはカエンペッパーを入れすぎてしまい、すーはーいいながら食べた。
まあ、そこまで好きではないといいながら、インドにいれば、あの気候の中では不思議と食べられる体になるから不思議なんだけど。とはいえ余裕で辛いから、結局はカレー以外のものを求めて外国人御用達レストランに逃げ込むことになる。スパイスは食欲を増進するというが、私には適用されない。暑さと辛さが続くと、だんだん食事はマンゴーかトマトスープかポテチですます、みたいなことになっていく。マンゴーは口がかぶれるの覚悟で。トマトスープはインドで食べるものがない時の困った時の救済食。わりとはずれなくおいしい。気がする。他に比べればだが。
日常的にカレーを食べたくならないのは、お米自体をそこまで欲する方ではないというのもあるかもしれない。スパイスカレーはバスマティライスで食べたくなるのはわかる。想像すると舌が欲する。でもたまにだ。体が北インド向きというか、チャパティとかロティとかナンとか、粉もので合わす方が多い。ビリヤニもたまにひどく食べたくなるけれど、飛びつく感じではない。ビリヤニがどうというより、チャーハンも含め、基本的に味つきライスへの欲求が低い。
ターリーやミールスは、そもそもたくさん食べられてよいと言う前に、頼んだらお腹がいっぱいになりすぎるから頼む前にそれ相応の覚悟がいる、というなんだかよくわからない食べる前の障壁がある。断っておくと、食は全然細くない。だいたい好き嫌いなく食べる人である。お米を食べるためにカレー味のいろいろがついている、しかも幾つかは間違いなく辛い、というのは割と私には苦行だ。
つくづく、暑いのも辛いのも得意じゃないのに、なんでインドインドいうのか自分でも本当謎。
なんの話だ。スパイスの話だった。
つまり、スパイスへの興味は、食への興味が発端ではなく、単純に「使ってみたい」「性質が知りたい」という欲求に起因するところが大きいかもしれない。食べたいというより、ただの食材好き。わりと普段、食材のことを考えていることが多いし。
食べたいは食べたいんだけど、いろんな食材を試してみたい、の方が勝ってる。どうも。その先においしくできて食べられるならめっけもの、という感じ。
買ったものはひととおりはためす。そして、よく使うものと使わないものが出てくる。今回アンビカさんで買った粉は余裕で使い切ると思う。ベサン粉はすでにない。早急に買い足さなくてはならない。豆はどうかな、というところ。でもまあ使い切るだろう。ダルスープの他は、ベジバーガーとか団子とか、そのへんが作れそう。
新しい食材を試すのが好きだし、買った以上は、基本的には、使い切ることに快感を覚えている部分がある。頭の中でどうやって回していけばなくなるか、考え始めると楽しい。
ただ。スパイスは無理だろうなあ。というか、無理そうなものとそうでないものがある。ある程度作りたいもの作っちゃったら、放置して賞味期限迎えるものが出てきそう。クミンはまあほっておいてもなくなるだろう。インド飯の基本だし、使い勝手いいから。フェネグリークは今回始めて買って探索中、でも残りそうな気配濃厚。使いこなせてないだけかもしれないから、はまれば、逆転するのかもしれないけれど。
とにかく、スパイスに関しては、自分で作ってみることに割と前向きになったのは、食べたい、よりは、知りたい、が強くなってきた最近である。
実は、ターメリック含めインドで買ったスパイスが数種類まだあるのだよね。あれ、賞味期限いつなんだろう。なんともないから使ってるけど。なのに、ホテル滞在中に行くことになり、家の在庫も確認せずに、あれ、なくなりかけてたかも、と買い足してしまった。使い切れる気がしない。
いつか石鹸作りにはまった時に、いろいろな油の配合で作りまくって、そのうち憑き物が落ちたように作らなくなり、用のなくなった精油はまだうちにある。さすがにとっくに期限切れているし捨てないとなんだけど。でも、あの過程をへて、好きな香りと組み合わせがわかった。好きなものは買い足すようになったし、無理なものは残っている。そういうことだ。
スパイスもそのようになる、ということだろう。と、自分を納得させて、今から残りそうな罪悪感を緩和させていくスタイル。
うーん、でも、今冒頭の写真選びをしていて、カーニャクマリで食べたミールスの写真を見ておなかが減ってきてしまった。おいしそう。カレーが好きなのかそうでもないのか、自分でもよくわからないまま、終わります。
とほ