戻ってきた。
そんな感傷的にはならないだろうとは思っていたけれど、いざ空港にたつと感慨がすごい。
貯金の実情。
2019年の秋に、インドを含む3カ国をきっちり2ヶ月旅したおかげで、コロナの2年間は乗りきれたといっていい。あの旅貯金があったから乗りきれた。わりと余裕で。わりと余裕といえるのは、例の感染症に罹っていないからなのかもしれないけれど。
いや、どうだろう。2年間風邪すら引かず過ごしてきたけど、この10月、引っ越し作業と同時に進めていた大きい案件の納期直前で喉の痛みと高熱を伴う症状が出た。納期直前2日は38度を超えていたし、喉の痛みもくっきり強かった。人ってあんな熱でてても案外締め切り守れるもんだな、と我ながら関心した。幸い3日ほどでその状態は脱し、1週間程度くすぶった程度で消失していった。市販の抗原検査をしたけど2度とも陰性。でも市販はあてにならないし、コロナだったかもしれない。じゃなかったかもしれない。
それはそれとして、旅貯金があったというのは心の話で、実際の貯金は、コロナ禍に入ってすぐの頃にメインの取引先がつぶれて3ヵ月分の収入が飛んだ上に収入激減、その後やや巻き戻しはしたものの、インド滞在資金にあてようと思っていた金額はずいぶん目減りしての出発となった。その状態でも実行にうつすんか自分、と笑ってしまうくらいだけど。ある意味、綱渡り。いや、ある意味も何も、わりと真剣に綱渡りだ。それでも。
ようやく出てこられた。
計画頓挫。
インドで暮らすを実行に移すと決めて数年。このあたりでそろそろと思っていた年にパンデミックが起き、計画は据え置きにはなったけれど、虎視眈々と時期を狙っていた。この2年間比較的おだやかにひきこもっていられたのも、この虎視眈々がひとやく買っていたかもしれない。とはいえ、さすがに後半はしびれをきらしていたし、各国の門戸が開き始めた時点で、今年になって、年内には行ってしまうと決めた。そうしできるところから、少しずつ準備というか根回し?を始めていた。
ただ自分が準備をはじめても、状況もある。
この時期になったのは、私の選択だ。コロナ禍でも実行に移した人もいる。その間に出ていった人は出ていた人のそれぞれの事情や決断でそうした。見張り合う目が強いこの国で、拳を振り上げる人がおおぜいいる時期に、それをやるのは勇気もいっただろうと思う。私が実行に移さなかったのは、単純に自分自身の準備ができていなかったせいだ。ゴーサインがでなかった。でなかったというか、だせなかった。
特にワクチン接種が始まってからは厳しくなった。そうだろうなと覚悟はしていた。私は接種はずっと様子見であり、はっきり言えば始めからmRNAは打つ気がなかった。それなりの根拠はあるけれど、他人を説得することにエネルギーを使う気はないし、逆に人に何か言われる筋合いもない。ただ自分のその選択ゆえに、接種が本格化して以降、人より海外に出る条件が厳しくなるだろうことは受け入れていた。だからこそ、入出国の条件が緩和されてきた時期を逃したくなかった。
各国が徐々に扉を開け始めたとはいえ、条件はまちまちで、完全に鎮静化してない以上、また閉じられる可能性もゼロではない。その可能性も考慮したうえで粛々と準備を整えていった。航空券を予約し、長年続けてきた仕事もクライアントに休止することを告げた。さいわい自宅も手放すことなく、信頼できる友人に一定期間借りてもらえることになった。
そうこうするうちに、気づいたら、インド入国に必要なAir suvidha登録も陰性証明もいらなくなっていた。予約しているフライトの少し前。これはやっぱりインド私を呼んでるでしょ、とはさすがに思ったよね。インド、大手をひろげて私を待ってるでしょ、と。
それでも万が一でも入国できないのがいやで、フライト前日にPCR検査センターに予約をとり、自主的に陰性証明を取った。それほどには入国できない可能性を排除しておきたかった。
航空券はユナイテッドのマイレージを使って取った。実家から近い福岡からバンコク経由のタイ航空になった。
ハブ空港にて。
スワンナプーム空港について。バンガロール行きのゲートC8近くの小さめのラウンジで、出発までの待ち時間を過ごすことにした。プライオリティパスで2時間の利用。このラウンジに来るまでにスワンナプーム空港の広大さを足で感じた。そうだった、ここは巨大なハブ空港なのだった。何度ここで乗り換えてきただろう。パスがないバジェット旅の頃は、夜ベンチで仮眠を取ったりもしたっけ。
ラウンジのWi-Fiはあるけどつながらなかったので、ひとまず楽天モバイルでやりすごす。2GBなので大事に使わなければ。それでも無事海外でもすんなりつながったのは安心、助かる。他国の空港で、それもアクティベートまでタイムラグがあるインドで、Simを購入することなくネットがつながるのは本当に助かる。ってまだここタイだけど。
そうそう、忘れないようメモ。持ち込みOKぎりぎり容量だったはずの40200mAhのモバイルバッテリーをここで没収された。福岡→タイではOKだったのに(11月に乗った国内線も)タイ→インドの乗り換えでアウトだった。国際線はやはり国によって大容量バッテリーの規格がちがうということか。く、くそう。まあいいや、軽くなったから、と思い直す。←すっぱいブドウ例。
あとマスク。している人がいきなり激減した。少なくともラウンジ内ではだれもしてない。飲み物のおかわりを取りに行く時もつけようとして、だれもつけてないことに気づく。ラクだ。マスクの圧迫より今は、あの見張り合いの世界から出てこられた解放感が立つ。
ラウンジの2時間を終え、ゲートに向かう。
福岡空港は韓国や中国の人が多く、なので日本からタイまでは感じなかったんだけれど、インド色がいきなり濃くなったのを見て、テンションがあがる。同時に、そのことで不思議な感覚に陥る。なぜここまでしてインドに一度は住まなければとおもっているのか。怒涛の片付けや断捨離や切り替えをしてまでなぜこの国へ、なのか。
不思議になるのは、一時期の熱が冷めているせいもあるかもしれない。それがどこへ向かうのか。やがて別れにいたるのか、結婚のようなパートナー関係に向かうのか。もういいかなとなるのか、その先があるのか。行く末を見届けたいから、というのも動機に含まれている。かの国の目まぐるしい変化を内側からみてみたい、というのとはまた別のところで。私のインド行きの動機はなかなかへんてこだ。もっと立派なものだったら人にも言いやすいのだけれど。
問題発生?
バンガロール空港について。
デリーやムンバイでないからなのか、時間帯によるのか、eビザの列に並ぶ人の数は少なくスムーズに入国審査の順番が来た。滞りなくスムーズにスタンプが押され、ると思ったら何やら時間がかかっている。ずいぶん時間が経過したあと、入国審査官がおもむろに顔をあげ言った。「システムプロブレム」。悪いねという表情付きで。なんだよう、途中で教えてくれよう、どきどきするじゃねいか。しかしその後すぐに「システムプロブレム」は解消し、何か質問されたり書類を求められたりすることもなくあっけなくスタンプがおされ、陰性証明が無駄骨だったことが確定した数分後、私の体は正式にインドにいた。