2020年3月、外国人旅行者が街からみるみる消えていった時のこと。

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旅語り

 

昨日の続きのようなおまけのような。インバウンドで思い出したこと。

インバウンド景気に沸く日本が好きだった。
ソロキャンプを始めて河口湖駅に行く機会が増えた。 河口湖駅といえば、富士山や富士五湖の観光の拠点となる駅である...

今年の3月に間をあけて二度、渋谷にあるコワーキングスペースも併設された次世代型のカプセルホテルに泊まった。コンセプト的にすぐわかると思うけれどひとまずここではホテル名は伏せる。

目的は、主に併設されたコワーキングスペースの利用だったけど、福岡でも年末に同ホテルに泊まっていてカジュアルな金額ながら居心地と雰囲気の良さは知っており、渋谷にも泊まってみたかったこと、加えて、各国の人が混じり合う場所に身を置くのが好きなもので、レビューをみる限りその雰囲気を味わえそうだからというのもあった。

一度目は3月上旬、すでに新型コロナが騒がれ始めていて(それで宿の値段も下がっていた)、でもまだ比較的緩やかで、というか世間もまだ何ごとか全然つかめてなくて人々もマスクをしていたりしていなかったりしていた頃。かくいう私もかつて喘息持ちだったこともあり息苦しさが根源的に苦手で、まだこの時はマスクはつけていなかった。二度目はその2週後、オリンピック延期の発表がある直前。この時はそうも言ってられないとなんとかマスクに慣れようとしていた。

泊まってみたら期待と違っていた、ということはよくあることだけど、結果的に期待以上だった。

日本人と外国人の両方いるスタッフは若くみなしっかりとケアできる人たちで、感じよく話しかけてくれたり、スタッフ同士も楽しそうで、日本語と英語が自由に入り混じる交流はみていて好ましかった。一度目の宿泊時にすでにスタッフはみなマスク着用を徹底しており、宿泊客にもマスクを一日一枚支給してくれた。安心して過ごせる雰囲気だった。

コワーキングスペースの配置もラウンジの雰囲気も求めるものと合っていたし、一日の中で楽しみにしていた5時半から1時間のビールフリータイムはラウンジのざわつきがここちよかった。コーヒーが一日飲み放題だったのもありがたかった。通常時の70%(と言っていたけど雰囲気的にはもっと下)しか人がいないということだったけど、それでも充分人はいて、でも平時は多い時はパーティの様相ときいていたけれどそれに比べれば混雑しすぎることもなく、座るスペースは余裕で確保できて、さまざまな言語が飛び交う中好きにしていられた。

私は、ビールタイムに合わせて、あまり利用する人がいないというきれいなキッチンで、買ってきた材料を使ってはせっせとサンドイッチや簡単なつまみを作ったりしていた。こういう雰囲気が好きとはいえ、そこはシャイなので自分からだれかに積極的に話しかけるでもなく、サンドイッチやらしいたけのみそ焼きやらを食べながら、ただその場を楽しんでいた。

ら、「ビール飲み放題ってやばくないですか?」、突如隣に座っていた日本人の女の子(というか女性)が話しかけてきた。そこからその人と話すようになり、なんとなく意気投合して、気づくとしっかり話し込んでいた。聞けば、香港のユダヤ人資本の金融関連の会社に努めていて、日本に出張に来たところ、コロナ関連でしばらく香港に帰れなさそうなのでホテル暮らしが続きそうという。

彼女は、香港での昨年の暴動についてや、物価や住居を含めた暮らしについて聞かせてくれた。その時に、少し前にお店からマスクやトイレットペーパーが消え、いそいで日本の母親にマスクがきっとなくなるから多めに買っておいてと頼んだところ、お母さんは「大丈夫よ、お店にいつでもあるんだから」と相手にしてくれなかった、ところがそのすぐあとに日本でもマスクがお店から消えた、あんなに言ったのに、と言っていたのが印象に残った。

その頃スーパーの食料品がなくなる事態は日本ではまだ起きてなかったけれど、スペインやイタリアで起きているニュースは流れていた。それを私も少し前に半分揶揄するようにツイッターでつぶやいていたけれど、そのニュースの記憶と彼女の話が結びついて、世界で起きていることは絶対日本にも波のようにやってくると、この時いやにはっきり確信したのを覚えている。

他にも、彼女のユダヤ人上司の話や金融方面の不穏なざわつきの話を聞いて、私は金融についてはまったく詳しくないけれど、なんなんだろうこれって‥‥‥と感染症以外にも、世界の状況にはてなマークが飛びまくった。この時の会話がなければ、わからないなりに自分で調べ始めたりこれから何か準備というか覚悟のようなものをしておいた方がいいみたいだと腹をくくるのは、もう少し遅かったかもしれない。

彼女とは泊まっている間に顔が会えば話をし、連絡先を交換して別れた。日本にいるうちにまたごはんを食べようと言っていたけれど、人と会うために街に出かけるのがしにくくなっていて、結局会わずじまいだった。

それが一度目の時。二度目は、あと3日くらい集中してやりたいことがあったために、仕事が落ち着いたタイミングで、やはりコワーキングスペース利用目的で宿泊を決めた。他の宿泊施設も探したけど、コワーキングスペース付きでここまで自分の希望に合っているところはなく、行ってすぐ集中モードに入りたかったため同じ宿を選んだ。二度目の滞在中は、一度食料買い出しした他は外に出ず、ラウンジとコワーキングスペースとベッドスペースの行き来のみ。

各国はすでにロックダウンに入っており、日本ももうすぐ入るのかどうなのかの瀬戸際だった。

二週間をあけて滞在したことで、変化が余計に目に映った。それは驚くほどだった。

二度目の初日、がらがらのラウンジのソファ席でビールを飲んだ。

テーブル席にドイツ人と思われる数人とオーストラリア人が離れて座っていた。そのうち互いの状況を交換し始めて、思わず聞き耳を立ててしまった。オーストラリアの人は日本中を数週間旅していたけど政府から帰国要請がきたから明日には出国するとのことで、ドイツ人も似たような状況のようだった。

スタッフに聞くと、長期滞在者は今はいなくなって1~2泊の人がほとんどだと言っていた。

二度目の渋谷は、全然まだ人がいてそのことには驚いた一方で、あきらかに隙間はできており、外国人があっというまにきえていた。黒髪率が大幅にあがり、耳にする言語は日本語だった。

宮下公園跡地に出来たオープンを待つ商業施設を見上げ、そこで作業をしている人々が目に入った時に、どうしようもない切なさが襲ってきた。まだオリンピックの発表は出てない、でも数日内だろう、そして多分まず今年の開催はないだろう、というのはあまりかしこくない私の頭でもわかっていたから。

だからなんだという話ではあるのだけど。それらの記憶もあって、昨日のような少しおセンチな記事を書いてしまったのかもしれない。

とほ

今年はゲームの年。
今日は不謹慎かもしれないことを書く。 旅に出られないのは残念ではあるのだ。実際。 旅は私にとってはいつしかできないと...