この記事の最後に印パ国境の国旗降納セレモニーのツイートをあげた時に、流れでパキスタンのことを書きたいと思っていたのだった。
2019年の旅では、ワガボーダーから国境を越えてインドからパキスタンに入国した。
陸路での国境越えはいつになっても何か少し特別で、ある種の高揚があり、それゆえに島国出身の自分を意識する瞬間でもある。加えて、思い入れのあるインド・パキスタン間だ。いつになく感慨深いものがあった。
インド・パキスタン間。
アターリーからワガ国境までを、静けさの中サイクルリキシャに揺られ、次第に2つの国旗が見え始めた時はぐっときたし、インド側のイミグレを出て歩き、門をインド兵にあけてもらってパキスタン側に入国した時も胸が熱くなったのですが、何割かは確実に映画の影響と思われ。 pic.twitter.com/6PiNYme6sz— 徒歩 (@planet_somnium) October 16, 2019
何度もきていただいているありがたい方にはとっくにばれていると思うけれど、インドが好きだ。でも今ではパキスタンも好きだ。好きと断定するには、ごく短期間滞在したに過ぎない一介の旅人のそれであるけれども。
インドとパキスタンは、1947年の分離独立後、歴史的にも現在も緊張状態が続く非常に複雑な兄弟みたいな関係である。生半可な知識で簡潔に的確に二国について述べるのは私には難しいからこれくらいで避けておくけれど、パキスタンは、インドについて掘り始めると避けては通れない国だし、インド映画や書籍を通して触れてきた期間はそれなりに長くなりつつあり、さらに旅先としても直接言った友人から多少聞いてはいたし、今はネットである程度までは収集できるから、やみくもになんか怖い国、というより一歩先の知識はあった。と思う。けれど、情勢悪化があった年でもあり、やはり行く前は、少し緊張はしていた。
だからその反動はあったかもしれない、今思えば。
旅の期間はたった10日間。されど10日間を過ごして、再び同じボーダーからインド側に戻った直後は、心情的に完全にパキスタン側にいた。
翌日、国旗降納セレモニーを観るために再び国境に戻ったのだけど、目の前でパフォーマンスが繰り広げられている道は前日に自分がパキスタンから戻ってきたばかりの道なのだ、どうして私はインド側に座っているのだろうとすら思い、パキスタン側の席を眺めてばかりいた。
インドの国旗のサフランと白と緑の三色の配色が好きで、普段は目にするとそれが国旗でなくても条件反射のように反応するくせに、この時ばかりはパキスタンの緑に引きつけられていた。なんなら、インドの「おれっちの国すげー!万歳!」パフォーマンスに、はいはい、わかったわかった、くらいに思っていたかもしれない。
パキスタンにいる間、タイミングと相性がよかったのか、最初から最後の最後まで、笑ってしまうほどの親切にあい続けた。
その親切について、あなたどんだけ感銘を受けたの、と我ながら苦笑するくらい、まあ当時の旅メモに書きまくっているので、誰が読むのかと脳内編集者がしぶっているけど、ここにそのまま投下することにします。
パキスタンの人、言っちゃあなんだけど、なんなの、素で親切すぎる。
ムスリムの一般人は総じて親切な印象はあるけれど、悪い面が出ると、お返しの強要とか、信じてくれないと感じた時にこじらせた拗ねみたいなものが出てくる気がする、例えばインドの揉めるときはぶわっと揉めるけど過ぎるとカラっとする感じに比べると、中東ではめんどくさく感じることも多い。のだけど。パキスタンでは今のところそれがない。親切が掛け値なしと感じるのはシリア以来かも。
パキスタンは、ぱっと見渡す感じでは、イスラム圏のザ男社会!感はある。だけど、何か乾いている。じめってない。空気が思いのほか乾燥している(そのおかげで癖っ毛の私でも髪の調子がよい)と感じたように、人々の気質も思いのほかいい意味で乾いている。
あと、中東諸国で、そしてインドでも、へきえきしがちなセクハラ方面の問題、女性だからということで不快な思いをしそうな気配がない。そらガン見は激しい。外国人女ひとりであることがよけいそうさせるところはあるだろう。だけど、他のイスラム文化圏で感じがちなある種のねちっこさはなく、単純に物珍しさからつい視線がいく、という感じに近い気がする。
あるいは女性だからこそなのか、丁重に、礼儀正しく、ある種の距離をたもちながら(つまり初日に夫婦間の問題についてするどくつっこんでくるような距離感読めない会話にもちこむでもなく)、必要な手助けだけをして、さっと去っていく、そんな感じがある。しかも、見返りを求める気配がない。それが延々続く。親切の押し競饅頭や~、と脳内彦摩呂がでてくるほどに。
あとオート(トゥクトゥク)とモメることも少ない。誘いもしつこくないし、ノーといった時の去り際がさっぱりしている。うえによい笑顔。べた褒めじゃないか。もちろん悪い人だっているに違いないのだけど。単なる運なんだろうけど。
なんだろう、パキスタンの人の親切は、言葉にするのは難しいけどある種の法則性があるような。安心感がある。犯罪を企んでいる人や一部過激派が起こすことはありうるし、その場合はどこの国だろうと予測不能としても、一般の人々は、おそらく根ざした宗教観、信仰心によってなのか、全体的に、親切の方向性が一貫している気がする。
そこ行くと規則性法則性という点ではインドの方がよほどない。ルールは破るもの、と言われると、でしょうね、とうなづいてしまうし、かといって(このあとしばらくインドの話が続くためカット)
(ヒンドゥ教を主とした多宗教の国、多様性の国としての)インドが好きだけど、イスラム教の国の独特の匂い、雰囲気もまた言い知れぬ魅力がある。旅という点においてはやはり旅情をかきたてる場所であるのだよなあ。各国特色がある中で、ましてここは中東ではないし、ひとくくりにするのは乱暴すぎるけど、それでもスパイスの種類の違いか、肉食があるからか、ああイスラム教の国に来た、と思わせるくっきりと独特な匂いが確かにある。加えて、服装、ひげの形、アザーン。
日常の一部として、一定の方角に向かって祈りをささげる人の姿が視界に入るのもいい。宿の人にたずねたいことがあって探した時に、屋外でお祈りの最中だったりする、あるいは何らかのオフィスで、対応してくれている人の肩ごしに、奥の部屋で、祈りをささげている人が見える。それが何かとてもよい。
あとパキスタンの人、パキスタンはどう?好きか?と聞いてくる人が多い気がする。自国がどのように世界的に見られているかを多少なりとも自覚しているからだろうか。真偽はともかく、立て続けにこの質問を受けると胸の奥が少し切なくなる。イミグレでは、私の首下げ式携帯カバーをはずして弾力のある材質を確認し、いいものだね、とまたつけなおして返してくれた。ひとりはパキスタンの国旗のバッジをくれて、リュックにつけてみせると破顔した。大丈夫、ちゃんと好きだよ。今私パキスタン大好きになってるよ。
どうでしょう、このべた褒めと感傷の嵐(赤面)。
まあ、パキスタンのこと褒めている最中に、それにひきかえインドはよう、と途中インドへのディスりが入り、文句を書いていたはずなのにいつのまにかインドラブ!に変わっていた経緯はさすがにごっそり省略してあります。これでも。
国を一般化して語ることの危険性は重々承知しているつもりだし、これはあくまで短期間一部の地域を移動・滞在したに過ぎない、一介の外国人旅行者のファーストコンタクト的感想と受け取ってもらえたら。旅人の数だけ違う体験があるとは思う。言うまでもないけれど。
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昨年から少しずつ、主に現代のインド人作家が書いた小説を読み進めている。映画もそうだけど、印パ分離独立前後はよく出てくる。最近読んだ小説でも、インド人イスラム教徒である登場人物がパキスタン側に移住するなどしており、パキスタン側の描写も出てきた。私が上記旅中に訪れたラワルピンディの地名も、今では旅先としてだけでなく、小説に登場した印象的な場所として残るようになっている。
ひとつの国への興味は、旅が発端であることも、映画や本から発することもある。旅で知った場所を本の中に発見したり、映画で知った場所に興味が湧いて旅先になったりする。そういう興味・関心の相互作用が好きだ。
旅も今ではネットで可能な時代に突入しつつある。けれどできる限り五感で感じるリアルな旅はやめたくない。その地に立つことで感じられるもの得られるものは、確かにある。
とほ
p.s.
一方他のインド近隣国スリランカに対する印象はこちら↓(個人的感想&体験です)。
その他のパキスタン記事。