現在ファイナルシーズンPart2が進行中の『進撃の巨人』が好きすぎてやばい。
主人公エレン・イェーガーの声を幼少期からシーズン4まですべて同じ声優さんが演じていると初めて知った時の衝撃たるやなかったけれど、今では、街中でなんらかのプロモで声が流れてきた時には「あ、梶さん♡」と即座に反応する体になってしまっている。
うちにはテレビがないので、最新話を観るのは毎週月曜日の正午以降のアマゾンプライム解禁まで待たないといけないのだけど、仕事があろうと毎週月曜日のその時間はそわそわと落ち着かない。
こうなるとは、1年前だれが予想できただろうか、いやできはしまい(反語)。
なんせ過去の私とアニメの関係はこれである。↓
「開かれていない扉ともいえる。」
それが昨年、うっかりついにその扉を開いてしまった。きっかけはそう、あの鬼。そして。
今も進撃の巨人(Attack on Titan)にスタックしたまんまである。なので扉を開いたといっても、他のアニメには結局ほぼ進撃していないままなのだけど。
とはいえ、扉を開いてくれた鬼滅は今期の遊郭編も今週の最終回までちゃんと見届けた。こちらも作画はすごいし、回を追うごとにおもしろくなるし、ちびっこ3人(+1人)と上腕筋に目を奪われがちな宇随さん(+3人)の活躍にやんややんやした。最終回などは絶体絶命と思いきや「そうだ、ねずこがおった・・・」となり、おばちゃんの目を他愛なくうるませた。
だけど、正直に言う。そんな鬼滅でさえ、私にとっては進撃を見る前の全集中の呼吸であった。鬼滅で呼吸を整えて、少し時間をおいて、おもむろに進撃の巨人の最新話をクリックする。
そして、シーズン1を見始めた頃は「ふーん」とスキップしていたのがうそのように、オープニングもエンディングも膝をそろえてきっちり聞く。オープニングで胸熱になり、本編を一秒一秒かたずをのんで見守り、エンディングで再び胸熱になる。そしてしばらくぼうぜんとしたのち、Youtubeへ‥‥‥いや、Youtubeの話はあとにするとして。
原作はマガジンバージョンも単行本バージョンも読み終わっているから、結末は知っている。そのうえで、この半年、今冬のファイナル後期を震えながら(楽しみと文字通りの意味で)待っていたのだけど、その期待を凌駕する展開。しかも毎回。作画はひよこの目にも明らかなほど力の入れようが半端ないし、音楽との抱き合わせで効果倍増。二重の意味で「氷解」であった最新話第6話では、今ではすべての登場人物に感情移入してしまっているため、どの人のエピソードも胸にくるったらない中、シーズン1の挿入曲がこれ以上ないほど効果的にかぶさってくるものだから本当にもう、さあ‥‥‥。Mappaってなんなの、神なの? いや、神は諌山さんなんだけど。
繰り返すが、こうなるとは1年前は誰が予想できただろうか、いやできは(以下略)。
そういうわけで、月曜日は毎回大変である。私の持てるあらゆるエモが毎月曜日ごとに振り切れている。
思えばシーズン1第1話から今まで退屈した回が記憶にない。今回は間延びしたな、という回がない。それくらいずっと密度濃くここまで見てきたけど、でも、それでも、変調ともいえるマーレ編(ファイナルシーズンpart 1以降)がなかったら、ここまで嵌っただろうか、というのはちょっとある。急にまったく違う世界の話になるので、最初はびっくりしたけど、あの変調により、あとエレンの変貌により、私の中で完全に化学変化が起きて戻れなくなってしまった感がある。かといってそれまでの展開があってこそのマーレ編以降なので、それまでの「壁内」物語もまた大事で‥‥‥
でもさ、今ではどの登場人物にも感情移入するし、私の性癖方面のお気に入りはライナーだけど(性癖て笑。ネタバレOKなら過去記事の後半にだだもらしてますのでお暇な方どうぞ)、この物語はまぎれもなくエレンの話なんだよなあ。10年以上連載を続けてきて、そこがぶれてないのって本当すごい。今期エンディングの『悪魔の子』を初めて聞いた時は説明できない感情が渦巻いて泣いたし、今も見るたびに泣きそうになる。
とまあこれ以上ぐだぐだ書いていてもしょうがないので、このくらいにするけれど、そんなわけで月曜日のエモを持て余した私がYoutubeになぜ行くかというと、同志は山ほどいると思うのだけど、ご多分に漏れず海外の反応を観に行くためである。
進撃の巨人の昨今の世界的人気ははっきりいってすごい。日本のアニメ全体の人気もあるんだろうけど、とりわけ進撃の海外人気ってちょっと異常では?とひよこでも感じるほど。進撃に限っては日本人より海外のファンの方が多いのじゃないか。
そして、Youtubeでは現在、アニメを見ながらそのリアクションを動画にあげる、という分野が存在している。そして放映があった翌日から続々とそのリアクション動画があがってくる。ほぼリアルタイム。
そして各人のリアクションをマッシュアップした動画があがったり、はたまたリアクションや考察の際立つ人のそれを日本語に翻訳する分野も存在する。それぞれが結構な視聴数となっている。この時代ならではのビジネスだよなあ、という点でも興味深くもあるのだけれど。
なにはともあれ、私の興味の矛先はリアクションである。なにがおもしろうて、と、興味ない人は思うかもしれないけど、これがおもしろいのですよ。おもしろいというか、なにしろ、エモを持て余しているので、海外の人のリアクションを観ながら再度、疑似再観賞体験を求めているのかもしれない。
翻訳があればありがたく翻訳されたものを見るし、なくても好きなリアクターさんのは、ご本人の動画を見に行ってしまったりもする。進撃のリアクターさんで考察がするどい人といえば、この兄弟でしょうかね。
左のジェイコブさん(弟)は漫画履修済み(結末を知っている)で、絶妙にネタバレに配慮しながら、右のケイレブ(兄)さんの反応を伺ったりしているのだけど、このケイレブさんの考察が鳥肌立つくらいすごい。
他にも何人か、あがってくれば見る人いるけど、最近は、シーズン1から見始めたばかりのこの人がお気に入り。
リアクションが派手でわかりやすいというのもあるけど、まずなによりシーズン1から再体験できるのが楽しい。下ネタはちょいちょいはさんでくるもののw、なかなかするどいし、ちょっと特徴的なのが、もともと音楽関連のリアクションをしている人だけあって、聴覚的な感想が多いこと。主題曲や挿入曲への反応もだけど、声優の声への反応も多いし、静寂や「ま」や「ため」にもちょくちょく反応するのが興味深い。やはり人って聴覚優位と視覚優位ってあるよねえ、と思ったりする。
と、このように、まんまと観ちゃってるわけですけども。本当おもしろい世の中になったよねえ、と思う。
漫画を読んだ熱がまだ冷めないうちに、すばらしくよい作画でよい音楽とともに動く話がみられて、しかも世界中でこれを渇望している人たちと共有できるなんて、愉快な世の中になったものだ。
今だから正直に言うけど、アニメは、扉を開くまでは、海外旅の途中などに日本に興味を持っている他国の人と話す機会があっても、その興味の源がアニメな人が圧倒的に多く(でなきゃ二言目は「テクノロジー」)、そのたびに内心、日本はそれだけじゃないんやで‥‥‥と残念に思っていたりもしたし、アニメの主人公特有のセリフの意味を聴かれても、私は役に立たんので他の人にきいてくれ、なんて思ったりしていた。
それが今では、わたくし今なら、あの、準備できております、となっている。準備できているといっても観ているアニメの数圧倒的に少ないままですが。我ながら勝手だと思うけど、進撃の話をだれかとしたくてしょうがない。なんなら次海外に出た時には、どなたか、どなたか、進撃の話を私としてくれる人はおらぬかハアハア、と、自分から探しそうないきおいだ。
や、別に海外の人じゃなくてもいいんだけど。実際、友人何人かにもすでに話してもいる。一人はイギリスと日本でテレビ電話越しとかで。その友人は多分もともとアニメ好きで、でも私の興味が薄いので話題にしてこなかったんだろうと思うんだけども(過去にイタリアでジョジョ立ちしてきた、という話は記憶にあった)、でも私が目覚めちゃったものだから、そのテレビ電話で初めてがっつりアニメの話をした。でお返しに(?)、絵がなんか奇妙でこわい(まんま)という理由で私が敬遠していた『ジョジョの奇妙な冒険』について、挫折せずに観るならこの流れでみるべし、という逆レクチャーを受けた。無事イギリスの市民権を獲得してもうじき一時帰国するようなので、それまでに観ないといけない。でもあれ、長いよね?(進撃もたいがいやって)。
ええと、話がそれてしまったけれど。
ひとつだけいえるのは、知らなかったら知らないで他のことを楽しんでいただろうけど、扉を閉ざしたままじゃなくてよかったなあ、ということ。すごくおもしろい時代に、おもしろいタイミングで進撃におちてよかった。そうはいっても時間に限りはあるし、相変わらずインド映画も好きなので、すべての扉を開くわけにはいかないけれど、なんらかの扉を開くって楽しいね、という話でした。
だらだら書いた自覚ありまくりなので、今後修正する可能性大だけど、一旦あげておきます。
とほ
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以下、今期Final seasonの感想。ひとまず24話。いやさ、垂れ流す場所ここくらいしかなくて。ここまではネタバレなしできたけれど、これ以降はネタバレありゾーンです。見られている見られてないに関係なく、今後も気が向いたら随時追加していく、かも。まあ、ほぼ見られてないだろうので心置きなく。気が向いたらね。
私は永久中二病のケがあるので、原作では、あれほどまでの敵味方だった104期生が再集結しての「世界を救いに」までの流れは(とくにあの中心がコニーだったというのが)、まちがいなく20巻以降のムネアツ回だったので、すごくわくわくして待ってたんだけど、海外の反応を見る限り、わりと諌山ギャグに微妙な反応だったりBoringといった意見が多いような。
少し残念でもありつつ、でも半分わかるような気もするのは、実際私も、あれ思ったより、という感じだったから。作りの問題なのかな。実際23話のBarricadesかかった時の方が素直にぐっときたし。まあここまでの回が、衝撃の嵐だったからね。今回エレン出てないし。
いやでも、ムネアツはムネアツではあったんだけど。コニーのアニ笑い飛ばしとか、「許し」という意味でも絶対必要だったと思うし。「時間がない」状態なのは確かなので、実際許しとか言ってる場合じゃないのはあったんだと思うけど、まきが入っている中の出来事を1回分の放送に収めたので、結果的にあわただしいぶつ切り状態に見えてしまったのかも。
個人的には、24話に引き続き好きな回。
まず、今のこの時期にこの内容の放映が重なった意味を、どうしても考えてしまう。考えても無意味だし、意味なんてない、といえばそれまでとはいえ。ハンジさんの言葉とか。でも、現実とオーバーラップさせて、私個人に何ができるだろう、という思いも背後によぎる一方で、イェレナの「世界を救いに」への指摘は、たとえそれがダークな感情からきているものだとしても、はっとさせられたりもして。
現実リンク云々はさておき、森の中の対話に話を戻すと、今回は会話劇の回であり、どうしたって静の回。まあ静の中の動もあるんだけど。で、私個人的には枝を丁寧にうつすの、全然ありだった。作画をけちった、といわれればそうなのかとはリアクション動画のコメント欄見て思ったけれど、たしかにいや〜枝めっちゃ丁寧に描いとるなあとは思ったけどw、私としては表情を微細に描くよりは返って、声優さんの声だけを頼りに心象風景を探る感じがちょうどよかった。というか、もう私ずっと泣けていてね。枝だけでね(困)。あとガビね。あとジャンによる私の推しライナーへの流血と許しね。あれは紛れもなく許しだよね。
ともかく、このペースはまちがいなく映画行きかアニメ延長戦だろうけど。わたしとしては、原作をはしょらずに丁寧に追ってくれているの感謝しかないなあ。
今回は集結後初のマーレ側エルディア人二人の巨人化で、お気にライナーと9年ぶりのアニのそれで、それも「こちら側」としてのそれで、あがらないわけはなかったんだけど、反面すごく複雑でもあった。アニって、さ、やはりどこか殺すこと自体を楽しんでいるところはあるよね? アニに限ったことではないし、今更それいう?という残酷な世界がテーマのような話ではあるのだけどさ。今回の「敵」が彼らだけによけい残酷さが際立った。
あとコニー。あの慟哭。原作だともっとさらっと読んだ気がするのだけど(だってこのあとあれとあれが来るから…涙)、よりフューチャーされてた気がするし、なによりあの声はきた。つらい。
ずっと同じこといいそうな気がしてるけど、原作を忠実に追ってくれていて本当ありがたいし、そこにアニメこその厚みも加わるから、相乗作用で本当何度でも楽しめることであるよなあ。
それにしても、コニーは終わりに近づくにつれて私の中で評価が瀑上がりしていった人だ。葛藤があるほど好きになる傾向があるのかも。メインキャラとしてここまで残ってくれたのもポイント高いし、サシャ、ジャンとの関係も好きだし、え、そこ?というポイントとして背がぐっと高くなったのも好き。
あと2話。無理だな。映画か延長確定だな。でもまだ終わらないの単純に嬉しい。絶対ロス来るのわかっているので。一方で、待てるかーい、映画でもどっちでもいいから最後まで早くみせて~という気持ちもあり葛藤。我ながら本当はまっているな、と自覚しております。
ps. ただ1個だけ、今回の作画が若干コミカルに感じられたのは内緒。
ps. あともう1個、本編関係ないけど、ニコラス兄貴は寄り道してないで早く続きを観るように。←楽しみゆえの暴言。
泣けてしょうがなかった。
テオ・マガトのここ何話かの子供たちを見る目。今回ファルコを取り上げた時のやさしい声。それらがすべて最後の言葉に集約される。
それからキース・シャーディス。昔から傍観者が当事者になる話に弱い。どうしようもなく心を揺さぶられる。でもささる話はたいてい当事者になった瞬間に死ぬフラグがたつ。それ以外の方法だってあるのでは、という思いもある。それでもこんなにも胸がふるえる。最高にかっこいいおやじたちだった。
と、今回はマガトとシャーディスで全部持っていかれておかしくない回なのに、こんな短い尺のあいだに、各人あまさず見せ場があって、胸をえぐってきて、持っていかれる瞬間があった。あのフロックでさえ。でさえというか今回ある意味もっとも輝いていたよね。観ている側は多分大部分は(私も含めて)心を置いているのはアルミンたち側だから、フロックはどうしても憎々しくみえるし、そのように描かれてもいるけれど、憎々しく描いておきながら芯が通っているのは認めざるをえない、とも思わせる描き方。舌を巻くしかない。
だれもにそれぞれの信念がある。正義はどちらに身を置くかで変わる。笑ってしまうくらいシンプルに。だから相手側を「悪」と決めつけるのはあまりにも安易だ。どんなに悪のように見えても、心がどんなに抵抗しても、一息ついて、ぐるりと回って「あちら側」から「こちら側」をみつめる視点を持つことはだいじ。なんであろうと。悪にしか見えない方も同情しろ、という話ではない。やっていいことと悪いことはある。ただ、それぞれに背景と信じるものがある。涙目で、一方から悪と断罪するのをやめる、視点を変える勇気を持つ、ただそれだけでもものごとの見え方は変わって来る。そんなこと、笑ってしまうくらいシンプルなのに、一方から叩くという行為がこんなにも世の中にあふれているように見えるのはなぜなんだろう。
話がずれた。
フロックはある意味、この物語の悪役という役目を引き受けてくれたんだな、一度もぶれることなく。そういう意味ではあっぱれだ。まだここで締めくくるのは早いだろうけど、まあもうこれ以上は言及しないだろうのでここで書いとく。←やっぱり憎々しいのは憎々しいらしい笑
あーもー、今回はずっと泣いてたし、ここんとこずっと泣いてるし、これからずっと泣きっぱなしかもなあ。とはいえあと1回なんだよなあ‥‥‥。最終回のタイトルは「人類の夜明け」。とすれば、飛ばしている「島の悪魔」は、この回とつなげるとすごくちょうどいい流れになる気がしてるんだけどどうだろう。今回一瞬だけみんなでマーレ偵察しに行った時のカットもさしはさんであったし。どっちにしても本当の最終回であるわけないから、そのあとがpart3なのか映画なのか早く知りたい~。私はまりすぎ~。なんなら昨日リヴァイの夢みたし~。やべー。
p.s.
別の漫画の話になるけど、昔読んだ田村由美の「BASARA」という漫画があって、数多い登場人物の中で私が一番ささったのが太郎ちゃんというキャラクターだった。この人もある意味安全な傍観者/観察者的立場にいたのだけど、最後には当事者であることを選ぶ。これがもうささってささって。傍観者が当事者になる覚悟を決める話になぜこうも揺さぶられるのだろう。
ある種つきものが落ちたような静けさがささるのだろうか。そういえば、ベルトルトの3期で巨人化する時の落ち着きにも似た気持ちにさせられた。繰り返しになるけど、当事者になるというのは散るばかりではない、と思いたい。でも最高の見せ方はやはり死になってしまうよね‥‥‥。物語ではね。ちなみにバサラ著者の今ドラマでもやっている某ミステリ云々は、私はちょっとだめだった。どうにも説教くさく感じられて3冊読んでやめた。ただnot for meなだけで、ドラマは違うのかもしれないし、漫画も3冊目以降とんでもなくおもしろくなるのかもしれないね。読まないけど。余談ながいよ。以上です。
最終話直前メモ(4月3日13時更新):
ただいま鼻血仕事月間につき、おもて更新が絶賛滞っているのだけど、今日で一応最終話ということでこっそりここだけ更新。このあと映画化かpart3かという話がささやかれているけど、個人的には最後まで観られるなら映画化でもpart3でもどっちでもいいからはよ来いの姿勢ではあるのだけど、以下の観点から、映画化は厳しいような気がしてる。
以上から、part3が妥当な気がする。気がする、といったってもうこの時点で決まってるんだろうけどさ。というか、映画でもどっちでも来いの姿勢とかといいながら、part3の方が長く楽しめるし、丁寧に描いてくれそうな気がするからそっちがやっぱりいいかなあ。なんならスクールカーストも含めてくれないかなあ。いや、映画でも楽しみの気持ちもあるんですけど。
どっちであれその発表も含めて最終話を楽しみにそわそわしてます。発表なくて、ぶつぎりラストだったら泣く。どれだけはまってるんだという話なんですが。仕事しろオレ。明日までそわそわしながら仕事がんばります。
言葉にならない。感想にならないので短くまとめる。最高だった。人類には最悪な終わりだけど。物語としての再現の仕方、見せ方。「進撃の巨人」というタイトルをここまで効果的に思い出させるラストはあるだろうか。それに、やはりあの回と合わせてきていたな。不自然なくつながっていた。
エレンの、おれはおまえのなんだ、に対する答えが違っていたらと、ミカサは考え続けるだろうけど、ちがう答えの選択の先をみてみたかったとも思うけど、多分「まちがっていない」答えを差し出していたとしても、結末は大きくは変わっていなかっただろうと思う。だってエレンはエレンだから。
それにしても、エレンはいつミカサに対する自分の気持ちに気づいたんだろう。実はずっと好きだった、というよりは、気づいた瞬間があった、という感じだものな、あの発露の仕方は。ひどいことが起きているさなかだけど、そこだけは、おれはおまえのなんだシーンと、なんだかんだいいながら兄ちゃんにミカサの気持ちをそれとなく尋ねているシーンだけは、本当きゅんきゅんする。
それに、リヴァイのキャンデイ、サシャのアイスクリーム、車ににんじんのハンジさん、田舎者がばれないように気にしているジャンとコニー、それから、難民キャンプでのみなの酒盛りも、アルミンとエレンとミカサが頭寄せあって寝ているのも、幸せすぎて泣けてくる。本当泣けてくる。
とりあえず来年1月に完結編の放映が決まってよかった。おかしなこといっているのは承知だけど、ちゃんと完結できるまで世界が無事でありますように。