普通のインド旅日記 中編

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インド旅

インド旅、中編。

ラジャスタン突入後、ロケ地以外のできごとなど。

前編はこちら

北部からくだってきて最初に向かったのはジャイプル。

といえば、バックパッカー的コスパ最高宿パールパレス。ここに宿泊することがジャイプルでの楽しみのひとつだったのだけど、これまでの日程が不定だったため、直前に予約依頼メールをしてみると当然ながらフルの返事。それでも、ラストミニッツのキャンセルを期待して、最悪でもドミトリーで、と当日ホテルに向かった結果、ドミトリー宿泊となった。

けど。もう次はないかなー。相変わらず装飾は素敵だし、屋上のピーコックレストランもおいしかったけど、なんとなくアウェイな感じになっていた、気がする。 おまけにドミトリーとはいえ、まさかこのホテルのベッドで腕、肩、首にやまほどの虫刺されをゲットするとは思わなかった。わたしいつまでこんな旅やるつもりなんだろ(涙)。

あと、このあたりからさらに、中国人、韓国人、日本人の旅人割合の5年前との顕著な変化が目にとまるように。

ジャイプルからジョードプルへ。

痒みに意識を持っていかれながら真っ暗な中、身支度を整え、早朝発の列車で5時間。 駅到着後、オートリキシャでオールドシティへ。あれほど口をすっぱくして時計塔の横でおろせいうたのにドライバーのばか(こら)、とめたのは見覚えのある路地の一角。宿からのコミッションをもらうためにこれをやるんだヤツらは。ぎゃーつきながらとびおり逆方向に逃げようとするも、コンニチワー、とこれまた見覚えのある次男が出現、あえなく捕獲。。というわけで、過去にとまったことのあるDゲストハウスへ。

ここの兄弟、悪い人たちじゃないんだけどさ。。今回は別のところにも泊まってみたかったから、と正直に伝えたうえで、見るだけでも、と言われ、見晴らしのいいAC部屋を700Rpというので、もういっかあ、と(こういうの多い)。ただ、いろんな意味で前回よりやる気なくしてると感じたし、お金のやりとりで気を許せない部分もあるため、次はないな、とここでも結論。 次は、という思考自体、また来る気&こういう旅を続ける気まんまん?

ジョードプルからウダイプルへ。

前回の記事で書いたバスの到着が遅れた事情というのは故障。朝7時出発後しばらくは快適に走っていたのだけど、高速途中の何もないところで突然止まり、なんか話し合ってるなあ、と思ったらやがて近くの修理工場に移動。そのまま5時間。

最初はまったく進展が見えず、日が暮れての到着はいやだなあ、つか今日着くのかなあとは思っていたけれど、バスごと消えた過去の経験に比べれば、とりあえずバスは目の前にあるのだし、オランダ人男子2人という同士もいるし、そこまであわてることもなく。修理をひたすら観察しているとおもえば、たまにヒートアップした言い争いを起こしたりもする人々を、インドだよ、、と眺めつつ時間をつぶしていると、工場の人たちが外国人である私たちに気を使ってくれたのか、エアコンの効いた部屋に案内してくれた。出してもらったチャイを飲みながらサイコロゲームをして時間つぶし。聞けばオランダ人男子たちもデリーはじかれ組という。そういう意味でも同士だったか。

ウダイプルでは、ピチョラー湖クルーズのあと夜行列車までの時間が逆にあまってしまった。

ぶらぶらと湖のそばを散策していると、日本人?と声をかけられた。うなづきつつ適当に流そうとしていると、質問がある、という。「最近、日本人はどうしてウダイプルにこないのか。5年前まではたくさん来ていた、中国人や韓国人は多い、でも日本人はすごく減った、なぜなのか」。私もここまでの行程で同じ疑問を抱えるようになっていたので「わかる!こっちが聞きたいくらい。どうしてだと思う?」と思わず質問し返してしまった。旅自体に対する興味が薄れてきてるのかなあ、などとさらに話していたら、お願いがある、簡単な日本語を教えて欲しい、という。時間が余りまくってるという事情からわりと熱心に教えてあげていると、チャイ飲む?となり、近くに自分の店あるから、アーユルヴェーダの店開くところなんだ、と言い出した。はい出ました。で、チャイを飲んでると(飲んでるし)、自分は祖父の代からの占星術師でもあるんだ、よければ見てあげるよ、と。はい出ました。で、見てもらってると(見てもらってるし)、君はインドに何かを探しにきてる、と。そんなんほとんどの人がなんらかの意味でそうでしょ。他にもあれこれ言われたあとに、愛、お金、幸せ、運、この4つのうちどれか得られるとしたら何が欲しい?と聞かれた。全部が得られるとしたらどうする? 警戒心急上昇しながら、充分幸せだからいいっす、などとかわしていると、3カ月以内にすべてがかなう君用の石を選んであげる、と、小箱を取り出した。はい出ましたー。撤収の準備をしていると、フランス語で愛を意味する名前だという彼は、これをしばらく肌身離さず持っているように、親切にしてくれたからお礼です、と言って茶色の小さな石を私の手に握らせた。え、え、そういう話? 思わぬ展開にほろっとしてしまったではないの。。

この日は立て続けにこういうことが起きた日でもあった。日によって出会う人が違う。テーマがあったりする。だからインド、おもしろいんだよなあ。

ウダイプルからオームカレシュワールへ。

夜行列車で約12時間、朝インドールに到着、そこからローカルバスに乗り換えて3時間。

今回の旅でもっともロケ地巡りと関係ない理由で選んだ行き先。オームの形をした小さな島。ヒンドゥ教の聖地だけれど、バラナシなどとは違って知名度は低く、ロンリープラネットにもちろっと出ている程度。インド旅の師匠的友人から聞かなければ私も来ることはなかったと思う。

静かな町だと思っていたのに、ヒンドゥ教徒でごった返しているのに驚く。外国人は皆無。ひとりだけ、特大シヴァ神像のある丘の木陰で休んでいた私をびっくりしたように振り返り「ここで外国人に会うなんて」と声をかけてきたイタリア人がいたけれど、そういう彼の姿はどうみても30年来のサドゥ(行者)。溶け込みすぎ。私の目からは濃いインドに写るこの町も、来る手段が渡し船しかなかったという1980年代に訪れた彼からすると、大きく変わってしまったという。さわがしい場所は嫌いだ、もっと小さい町に移動する、といい、オリッサ州などはまだ手付かずの場所が残っているよ、とも教えてくれた。 インドをうっかり「好き」なんて言ったこともあるけど、好き、というのとはちょっと違うんだよな、、加えて「呼ばれた」とかいうあれもちょっとしゃくなんだよな、、という気づき?が明確になりつつある今回の旅だけど、来れば来るほど行きたい場所が増えていくばかりなのも事実。とりあえずもういい、となるまではまた来ちゃうんだろうな。これを人はインドにはまった、なんていうんだろうか、それもまたなんかしゃく、、とエンドレス思考。プラス、いやあたし全然イギリスとかフランス好きなんで、と抵抗モード。

インドールから大都市ムンバイへ。

再び夜行列車で約14時間。

ここに着くまでに自分がいかにコーヒーなしではだめかを思い知った。チャイあるし。外国人が多い地域はフィルターコーヒー出すカフェあるし。と、今回の旅では持参なしで勝負するつもりだったけど、とかいいながら、携帯用フィルターは荷物になぜかいれてた時点でアウトという話もあるし、ダラムサラですでに電熱コイルをゲットしていたし、最もおいしいコーヒーを出してくれたカフェではお兄さんにどこで買ったのかつめよったりしたし、しだいに、どこに行けばコーヒー豆をゲットできるか常に頭のすみっこで考えるように。で、ムンバイのおされ地区コラバのカフェでようやくゲット。

ムンバイからマデュライへ。

32時間の列車の旅。短い旅の中でなぜこんな移動に費やしてるかという点については、夜行列車が好きでしようがないということにしといてください。ここまでで、列車の利用は4回だけど、すべて意外なほどのオンタイム。夜9時到着し駅近くのゲストハウスに一泊。観光は朝、ミナクシ寺院まで一瞬散策したのみ。

そのまま空港に向かい、インドのLCC、スパイスジェットで小一時間、隣国スリランカへ。←いまここ

食べ物の写真メインでせめてみました。