惑星ソムニウム。
私はその惑星の実在を知らずに、屋号としてこの名前を使い始めた。いつかこれを本当に屋号にした店を持つとか、なんらかを売るブランドを立ち上げるとか、あるいはそういうタイトルの小説を書くとか、夢は膨らんだとか膨らまなかったとか、どっちなんだい、まあ膨らんだのは事実だが、そのいずれにも至らず、しかし長い間あたためていてやはり気に入ってはいたので、ブログのタイトルにすることで落ち着いた。ずいぶん昔の話だ。そのブログの存在も忘れた頃にnoteを始めて(※)、そうだ今こそここであの名前を使おうではないかと思い立った。
そんなふうに使ったり寝かせたりしていてある時、惑星の実在に気づいた。
自分が作り出したと思っていた惑星が実在した。ちょっと恥ずかしいような気持ちになった。ですよねー、なんかさーせん、てへ、と頭をかきたい気持ちになった。
しかし。あの惑星だって名付けられるまでは惑星無名だったのだ。プラネットアノニマス。プラネットアンノウン。発見されるまでは実在さえ知られていなかった。
実在を知られる前の在は実在なのだろうか。認知される前の在は実在なのか。なんかそういう話あったよね。誰もいない森の中で倒れた木は音を立てたか、とかなんとかいう。例えがずれているかな。
それに、今書いてて、惑星そのものの実在と、惑星ソムニウムと名付けられて以降の実在は分けて考えた方がいい気もしてきた。ソムニウムになったのは選択の結果だ。名づけられた時点で、惑星ソムニウムは惑星ソムニウムとして、世界に存在し始めた。
ともかく。惑星ソムニウムは実在した。私が知らなかっただけで。私は惑星ソムニウムの存在を知らなかった頃に、自分で惑星ソムニウムを作り出した。それは「本物」の惑星ではないかもしれないが、実在とはちがうのだろうか。私が認知し始めた時点で、いずれなにかに使おうと私の内宇宙に生まれさせた時点で、それは私にとっては、実在し始めたことにほかならないのではないか。
私にとっては、実在し始めたのは内宇宙のそれが先だった。外宇宙に本物の惑星ソムニウムが存在したとて、内宇宙のそれの立ち位置を、すみませんでした、すすす、と譲歩させてよいものなのだろうか。
というか、わたしは自分で生み出したと思っているけれど、わたし如きが生み出すくらいだから、ひとりが思いついたものは地球上のどこかに必ずほかにも思いついたひとがいるはずである。少なくとも189人くらいは。もしかしたら1890人かもしれない。もっとかもしれない。とすれば、外宇宙の惑星ソムニウムを知らずに、内宇宙に惑星ソムニウムを誕生させ、住まわせている人は他にもいる。かもしれない。いや、いる。多分。
ともかく。189人だろうとたったひとりだろうと。
内宇宙の惑星ソムニウムの実在は、外宇宙の惑星ソムニウムにはかなわないのだろうか。
ソムニウム(夢)だけに。
(オチが寒いという声には耳をかしません)
とほ
p.s.
余談だけど(余談すぎるけど)、最近うっかりYoutubeで地球グミのASMRなるものを見つけてしまい、人の咀嚼音に一定の需要があるなんて世も末……あ、いや、本当になんともこの世は摩訶不思議だな、と思いつつも、どんな味なのか気になってしょうがなく、ぽちっとする寸前である。←まんまと術中にはまっている人。
※この記事はnoteからの移行記事です。