積ん読解消ソロキャンプ:熟成期間長めの本をおともに。

※当ページには広告が含まれています※
※当記事には広告が含まれています※
キャンプ

 

積ん読解消キャンプと銘打ってソロキャンプ活動を開始したのが2018年。

積ん読解消ソロキャンプ。
読みたい本が山積みだ。芋づるをひっぱる手が止まらない。積ん読もくずしていきたい。 2年ほど前からソロキャンプにはまり...
積ん読解消ソロキャンプに来ています。
そんなわけでソロキャンプにきて三日になる。 私のソロキャンプには「積ん読解消」という名目があるため必ず本を読むことにな...

というわけで、私のソロキャンプにはもれなく読書がついてくる。

といっても回数は全然行けてないし、今年に至っては、今回が初キャンプである。夏になる前も企画はしていたけれどぐずぐずしているうちに暑くなり、暑いときはキャンプ意欲がだださがる人間だし、そもそも家から出ず、しかし9月はなんとしても行くつもりだったけれど仕事がタイトな上に予想外の2転3転があるなどしてこれは終わるまでは無理だとあきらめ、ようやく10月に入って3ヶ月前から予約していたキャンプ場に来れたという次第。まあそれも、暑い時期と場所を避けたつもりなのに、蓋をあけてみると当日は真夏に戻ったような陽気で、どういうことなの、とは思ったけれど。

前置きが長くなった。

今回のおともは、積ん読熟成期間が長い本を選んだ。

レオノーラ・キャリントン『耳ラッパ―幻の聖杯物語』

この本を初めて知り、読みたいと思ったのは、軽く見積もっても15年以上前。手に入れたのは3年前。分厚い本でもないし、ぱらっと見た限りでも好みっぽいにおいがぷんぷんしていて、とっくに読んでいてもおかしくなかった気がするのに、なぜ放置していたんだろう。読みたくなると手に入れておかないと気がすまなくなり、手に入れると安心して忘れてしまう。百舌の速贄のように。本もたまったものではない。まあそういう積ん読が山ほどあるわけだけれど。

しかし、そんな放置され、本棚の隅で干からびていくかに見えた本も、キャンプのおともとして抜擢された時点で、再び私の寵愛を取り戻す。1冊だけを選び出しわざわざ持ち運んできた時点で、意識がその本に向くからだ。他への浮気心が消える。キャンプ場で、その本と私は1対1になる。

まあ正直に言うと、予備としてもう1冊持参しているし、なんならスマホの中にはごっそり電子書籍が控えているが、そのことはもちろん耳ラッパには内緒だ。もう1冊はあくまで予備であり、電子書籍に手を出す気はその時点ではゼロ。だから決して嘘はついてない。私の心は耳ラッパだけのものである。

それにしても耳ラッパとは不思議なタイトルだ。だから惹かれたところもある。耳ラッパの原題は、The Hearing Trumpet。まんまといえばまんまだけれど、日本語の「耳ラッパ」の方が日本人の私には、何か面白い物語がつまっているように響く。一方「幻の聖杯物語」というのは邦題で勝手につけられた副題で、蛇足なにおいがぷんぷんするけれど、それは読み終えてから決めることにしよう。そうして富士山を見晴るかせる場所で、ページをめくりはじめる。

主人公は92歳の老女。

アマゾンのあらすじを借りると「風の老女マリアンが奇妙な耳らっぱを手にし、老人ホームで個性豊かな老女たちと繰り広げる痛快な冒険の日々。」

冒険というけれど、何せ主人公は、息子夫婦からやっかいばらいされて老人ホームに入れられた100歳近い老女である。冒険という言葉から想像するような移動距離がある物語ではない。それでも、読み進めるうちに、うん、これはやはり「冒険」だなあ、と思える筋が展開していく。

ただし。この主人公は、いわゆる「信頼できない語り手」である。というのは、しっかりした語り口のようでいて、例えば長年の夢が「犬ぞりに乗ってラップランドに出かけること」だったり、思い出話に出てくる登場人物におかしな点が多々あったり、マリアンの二倍の年齢の女性がでてきたりするために、これはやはりあれかしら、年齢のしわざかしら、とまずは思わせられるからである。

でも、じゃあ、完全に信頼できない前提で読めばよさそうなのに、話が進むうちに、マリアンの言葉には真実がまじっているような気もするし、どころかもしかしたら彼女だけが本当のことをいっているのかもしれない、と思うようにもなっていく。なぜならまわりも「信頼できない語り手」だらけだから。老人ばかりだし、そうでなければ逆に「70歳以下の人間と7歳以上の人間を信用してはならない」状況のせいかもしれない。

この耳ラッパをプレゼントしてくれたとき、カルメラは将来何が起こるか予感していたのです。彼女には悪意はありません。ただ奇妙なユーモアのセンスがあるのです。

ところで、耳ラッパは、きっと役立つからと親友の老女カルメラから、耳の遠いマリアンがプレゼントしてもらったもの。耳ラッパという魅惑的な響きから、この世にないものが聞こえるとか、もっと特別に活かされる事態があるのかと思ったら、そんなことはなくて、ただ単に普通に補聴器的な位置付けのものだった。ただ、その形はとても魅力的な描写がなされているし、実質ただの補聴器、とみせかけて、マリアンが耳ラッパを使うことで知らなければ起きえなかった体験の物語でもあるので、必要性は十分にあったわけだけれど。だし、『補聴器-幻の聖杯物語』ではやはりあじけない。

「冒険」には魔法とかおとぎ話とかなぞなぞとか天体とか、私の好きなスパイスがたっぷりまぶされていた。聖杯伝説ももちろん無関係じゃなかった。聖杯というからにはキリスト教が絡むわけだけれど、マリアンのシニカルな視点が入っているのもまたある種、小気味よかった。

最後には、荒唐無稽と思われたマリアンの夢や思い出話が実は・・・いや、それは書かないでおこう。これを読んで、読みたくなる人がいるとは思えないけれど、いちおう。

そんなふうに分厚い本でなく、読みやすかったのもあって、2日目の朝に読み始めて、その日の夕方、焚火を始める前には読み終えていた。読みやすかったのは、嫌いじゃない話だったから、というのもある。あと、不思議な話なのに、文字からの場面の立体化が自然だったというか、ビジュアルが浮かびやすかったのも読みやすさの一因かと思う。でもそれは、作家が画家であることと無関係ではないかもしれない。

著者レオノーラ・キャリントンがシュールレアリズムの画家であることは、読んだあとに知った。と思っていたけれど、彼女の絵を見る限り、どこかで見た気もするので、名前を認識せずに絵だけは美術展か何かで見たことがあるのかもしれない。ちなみに表紙も本人の絵。

主人公マリアンはレオノーラ・キャリントン本人、親友カルメラは現実の友人レメディオス・バロがモデルとのこと。

1917年にイギリスで生まれ、1937年にマックス・エルンストと運命的な出会いをし、彼を追ってパリに移り住んでシュールレアリストグループとの交流が始まり・・・という著者紹介を読んで、ん、もしかして『 ミッドナイト・イン・パリ』に出ていたりする?と思って思わず映画の登場人物の名前を調べたけど、とくに出ていなかった。なんだそれ。・・・今日は思うままに書きすぎてあっちこっちに話が行ってしまい、すみません。

ともかく。

2泊3日のキャンプの中1日で、めでたく積ん読を1冊解消できた。私はもっとキャンプに来なくてはいけない。

とほ

 

p.s.
ちなみにこの柄は、ツインピークスを意識してのことです。白黒シェブロン柄、百均で見かけるとつい買ってしまうのよね。テントを赤にしてからよけいブラックロッジな雰囲気が出るようになった。ふふふ・・・。

過去のキャンプでも。