二日前の記事の補足というか備忘録的メモ。
前回はインドの階段井戸の紹介という要素が大きく、その背景については、過去に書いたブログ記事と参考サイトから必要箇所だけを引用するにとどめ、全体の流れをみてはずした。
ただもう少し詳しく歴史は知りたかったし、装飾や構造を含め、旅中に実際に目にしたものから疑問に思っていることが幾つかあり、参考にした英語サイトをあらためて精読してみた。その中から拾った情報を、放っておくと絶対また忘れてしまうので、ここに投下しておきます。
あくまでネットでみつけた英語記事をさらに私フィルターで要約したものなので、参考程度に。もしきっかけになって興味がわいた、という方は、その先はご自分で調べるか行ってみるかにつなげていただければ幸いです。
階段井戸全般
インドの階段井戸はこの国の歴史と建築物の要点であり、大部分は2~4世紀に建設された。西部や中央北部は気候や地理的条件から常に水不足に悩まされてきた地域であり、それゆえにグジャラート、ラジャスタン、ハリヤナ州で多く見られる。初期の階段井戸はシンプルな構造だったが、時を経て建築や装飾が凝ったものになっていった。
水はヒンドゥ神話では天と地の境界(tirtha)とされているそう。人工のtirthaとして、階段井戸は水源としてでなく、沐浴、祈り、瞑想のための冷涼な聖域にもなった。深い階段状にするのは下に行くほど陽を遮り水に近く冷んやりするためでもあり、暑いインドの人々の憩いの場にもなっていたよう。集会所や交易路の待ち合わせにも使われた。
英国侵略までは数千あったといわれているが、配管や水道が導入されたあとは用途を失い、多くは破壊された。ヒンディ語ではバオリ(baori, baoli, baudi, bawdi, bavadi)、グジャラート語ではヴァヴ(vav)。
参考:Culture Trip、Atlas Obscura-Chand Baori、Tripsavvy
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チャンド・バオリ/Chand Baori
チャンド・バオリは、800~900 AD、ラージプートのNikumbha 王朝のChanda王によって建てられた、13階、3500段ある正方形の巨大な階段井戸。深さは20メートル、インドで最も深い。3面が階段状で、1面に喜びと幸福の女神Harshat Mata(ハルシャット・マタ)に捧げられた寺院がある。王族の宮殿としても使われていたよう。
トホメモ1 寺院は2015年訪問時入れないようになっていた。
トホメモ2 階段井戸のゲート前にはラクシュミを祀ったお寺もある。
参照:Culture Trip、Holidify、Atlas Obscura-Chand Baori、Tripsavvy
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アグラセン・キ・バオリ/Ugrasen Ki Baoli
60メートル長、深さ15メートルの階段井戸。水面まで100を超える階段がある。構造からトゥグルク朝またはローディー朝に属すると考えられる。伝説によると、マハーバーラタに記載があるマハラジャのアグラセンが建てたともされている。14世紀にその子孫によって再建された。近年も修復が行われた。
参照:Culture Trip、Holidify、Tripsavvy
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ラニ・キ・ヴァヴ/Rani ki vav
ユネスコ世界遺産に登録されているラニ・キ・ヴァヴは、11世紀、ラージプートのチャールキヤ朝(ソランキ朝)の時代に、ビーマデーヴァ1世(Bhimdev I)王を偲んで王妃ウダヤマティ(Udayamati) によって建設された。ゆえに「女王の階段井戸」と呼ばれる。
建築様式はMaru-Gurjara式。7階層あり、壁面には大きなもので500、小さなもので1000を超える彫刻が見られる。圧巻は10のアバター(化身)を含むヴィシュヌ神の彫刻。その他ヒンドゥ教の神々、幾何学模様、花など、各層に見事なヒンドゥ装飾が施されている。段井戸の底面には王族の避難経路もあり、モデラ村のサンテンプルにつながっていたとも言われている。
1980年代後半までサラスヴァティ川の氾濫によりシルト質土に覆われていた。Archeological Survey of Indiaが発掘。
トホメモ3 モデラ村のサンテンプルは、おそらく太陽神スーリヤを祀る寺院かと。
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アダラジ・ヴァヴ/Adalaj Vav
1498年、ヒンドゥのヴァーゲラー朝の王Rana Veer Singhが、貯水と人々の憩いの場として建設を始めた。が、完成する前にムスリムの王Begadaとの戦争に赴き、殺されてしまう。Begada王は、Roopba(またはRudadevi)王妃に横恋慕し、求婚。Roopba王妃は求婚を承諾するが、条件として亡き王の階段井戸の完成を要求する。Begada王は承諾。
しかし、完成とともに王妃は井戸に身を投げ自殺する。始めから結婚する気はなく亡き王の階段井戸を完成させることだけが目的だったのだ。
幸い(といっていいのか)ムスリムの王が破壊することはなく、このために500年以上たった今も無傷のまま残されている。これがSolanki建築様式で建設されたヒンドゥとジャイナの装飾がみられる階段井戸に、イスラムの影響が見られる理由である。
5層で構成される階段井戸全体がインド-イスラム建築要素が合わさった彫刻、彫像、装飾で覆われている。イスラム特有の連続する花模様とヒンドゥ/ジャイナのシンボルの融合。壁はヒンドゥ教とジャイナ教の神で装飾され、現在も階段井戸は寺院として使用されている。
3つの入口がある唯一の階段井戸で、その3つすべてが大きな方形壇がある1階まで通じている。階段を下りるにつれみるみる日光が遮断され、空気がひんやりしていく。現地の人や旅人の冷涼な避難場所とするために建設されたこの階段井戸には、各階に人々が集える多数の部屋がある。小さな町であるアダラジは交易路にあり、往来する旅人の宿泊場所ともなっていた。
参考:Tripsavvy、Holidify、Wikipedia
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ダーダーハリの階段井戸/Dada hari ni vav
1499年(1500年?)に スルタンBegaraのハーレムにいた女性(Bai HarirまたはDada Hari)によって建設された。暑い夏の避難所として建てられた。
アダラジヴァヴと似た構造。内部の螺旋階段は7層建てとなっており、支柱やアーチには凝った装飾の施され、深く下りるほどに彫刻の状態は良好である。サンスクリット文字とアラビア文字両方の彫刻が今でも残っている。
とほメモ4(長い):
実は、行った時にダーダーハリの階段井戸で見た赤い手形が気になっていた。この赤い手形がサティー(またはジョウハル)を指すことは、とあるインド映画を観て以来記憶に固定されていたので。もし、あなたがインド映画好きで、2年前に日本でも公開されたその映画を観たことがあるなら、どの映画かすぐにわかると思うけれど、題名を出さないのは、観てない人にとってはこのキーワードがネタバレ(というか映画の着地地点)に直結するから。
サティーとは。
Wikipedia_サティー、サッティ(Sati, सती) は、ヒンドゥー社会における慣行で、寡婦が夫の亡骸とともに焼身自殺をすることである。日本語では「寡婦焚死」または「寡婦殉死」と訳されている。本来は「貞淑な女性」を意味する言葉であった。
サティーの習俗は、インドの神話との結びつきを有している。インドの叙事詩には、貞淑の証として、火による自殺を図った女性が2人登場する。一人は『ラーマーヤナ』におけるラーマの妻シーターであり、もう一人は『マハーバーラタ』におけるシヴァの妻サティーである。
ジョウハル/ジョーハルとは。
Wikipedia_ジョウハル(ヒンディー語: जौहर、英: jauhar, johar, juhar)は、かつてのヒンドゥーの風習である。戦において敗北が決したとき、侵略者による略奪や奴隷化・レイプを防ぐために、女性の集団が焼身自殺する。この風習は歴史的にインド北西部で見られ、現在のラージャスターン州に樹立していたラージプート諸王朝 (Rajput kingdoms) がムスリム軍に敗北したときのものが特に知られている。ジョウハルはサティーと関連しており、学術文献においてジョウハル・サティー (jauhar sati) として言及されることがある。
その他、Wikipediaには、ジョウハルはヒンドゥのラージプートとムスリム間でだけ起きており、ラージプート間の内紛では起きなかったとする記載がある。また下記リンク先では、ジョウハルとサティの違いについて、ジョウハルはラージプート族の王族の(一応は)「選択」であり、一方、サティは寡婦となったヒンドゥ女性における「義務」であったと書かれてある。
ここでは、過去の他国の風習のよしあしを書く気はない。
アダラジヴァヴの建設秘話を読んだ時に即座に思い浮かんだのは件の映画だった。でも今回調べた限りでは、特にサティーに関する言及はなかった。サティーやジョウハルが必ず「火」なのだとしたら、該当しないということだろうか。
ではダーダーハリの方で手形があったのはなんなのだろうか。ダーダーハリでもサティーに関する記述は特にみかけなかった。ずっとあとになって無関係につけられたもの? ダーダーハリとアダラジヴァヴは建設された時期が近いが無関係だろうか。
など、疑問は続いている。
まあ私が節穴の可能性は全然あるし、そもそも定義がよくわかっていないので、まだ知識が浅い人間の現段階での疑問としてここにおいておく。
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ロケ地巡りが発端で訪れた階段井戸だったけど、行って実際に見ることで生まれる疑問や地元の人から得る情報がさらなる興味につながったりもする。そこが旅の醍醐味でもあったりする。現地に実際に足を運ぶことで生まれるものは確かにある。
さらにアウトプットするとなると、今度は少なからず背景を調べる必要がでてくる。正直にいえば自分で書くと決めたくせにたいていはめんどくさい、さっとね、簡単に、簡単に、と逃げたくなる部分もあるのだけど、そのくせ実際に掘り始めるといくらでも掘り始めてしまうというネットの罠というか悪癖もあり。
背景を掘り始めると時間がいくらあっても足りないし、実際時間は限られている。ので、適当なところで切り上げて本文に取り掛かる思い切りも必要。
今回、調べたのだしせっかくだから補足としてさくっとね、と軽い気持ちで記事にすることにしたのだけど、まあ骨が折れた。おかげで本業のスケジュールを押す結果になっており、ばかなの?と自分でもちょっと思っている。
どなたか少しでも興味を持ってくださる方がいるといいのだけど。といいつつ、ここまで読んでくださったあなた、ヘンタイですね。大好きです。
とほ