物語のむすびの言葉。

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物語/本語り

とっぺんぱらりのぷう。

が唐突にふってきたので、それについて考察してみることにした。

しかししょっぱなからまちがってました。とっぴんぱらりのぷう、のようです。グーグル先生に聞いてみると、とっぺんぱらりのぷうは4510件、とっぴんぱらりのぷうは30,600 件 。わたしのように「とっぺん」で覚えている人も一定数いるということか。秋田県の方言だそう。

どっとはらい。というのもあったな。

普通にしめるなら、めでたしめでたし、とか、おしまい、か。

めでたしめでたしはハッピーエンドにしか使えない。おとぎ話、特に民話の中にはハッピーエンドとはいえないものも多い。むりやりハッピーエンドに変えられたものもあるけれど、もとは悲しい事実だったりもする。

どっとはらいは、どういう終わり方でも使える感じがする。「いろいろあったけどさ、ま、そういうことでね、これ言ったら現実に戻ってくれたまえね」というワンクッションおく役目。「はらい」に祓い清めたまえ、みたいなものを感じるせいかしら。

とっぺんぱらりのぷうはというと、「‥‥‥とっぺんぱらりのぷう~(うまく説明できないからごまかしてしまえ)」という語り手の意図を感じなくもない。すみません適当に言っています。

どっちもでも、それを言われた時点で、さ、おしめえだよ、けえったけえった、と背後からせきたてられて語り部屋の出口から出ていく感じにはなる。急に江戸っ子出てきたな。

Wikipediaの「民話」の項目。

昔話(ムカシ、ムカシコ、ムカシガタリ)
「むかし」という確かではない時や「あるところに」という不明な場所を用い、本当にあったかどうかは知らないけれどという心持ちで語り継がれる話。「てっぺんぐらりん」「どんどはれ」「とっぴんぱらりのぷう」などで終わることが多い。

てっぺんぐらりんは聞いたことないなあ。どんどはれ、は、どっとはらいグループなような。

他にどんなものがあったっけ、とさらにぐぐってみる。いろいろな結びの言葉をひろってくださってるブログ記事をみつけました。

どんぴんからりんさん「昔話のおしまいのことば」

ウシバスおはなし会さん「昔話の始まりと結びの句」

sola日記さん「むかしむかし」

見る限り、どっとはらい系統ととっぺんぱらり系統がやはり多い印象。

「きっぺりちょ(石川県)」、「そうらいごんぼ(滋賀県)」あたりは音がふしぎで妙にひかれる。

理解しやすいのは、「もうなし、しゃんしゃん(香川県)」、「そればっかし(長野県)」、「それっきり(福岡県)(山梨県)」、「そぎゃんこったい(熊本県)」、「これで、しみゃあたい(熊本県)」、

九州は他の県に比べてあまりひねってない。方言そのままの、おしまい、な感じ。

自分が中国地方の出なので、やはりそのへんもみてしまう。鳥取の「むかしこっぽり」、岡山の「むかしこっぷり」、広島の「昔かっぷりこ」、しらないなあ。こっぷりやこっぽりが「おしまい」をさす言葉なんだろうか。

私の出身県山口は「もうすべったり、鍋の蓋」らしい。記憶にないなあ。なぜに鍋。でもほかにも「なべ」がしめに使われている県ある。「いきがポーンとさけた、なべのしたガラガラ(新潟県)」。いきはポーンとさけるものなのか。鍋との関係性は。「昔こっぽり、大山やまのとびのくそ、ヒンロロウ、ヒンロロウ(中国地方)」ってなんだw。「すんだりべったり、がんなます。がんのなますはうまかった(福井県・京都府)」。ただの感想じゃないか。

語り手のキャラがむすびの言葉に反映されている気はおおいにする。多分、書物などで書き残されているしめの言葉以外にも本当はたくさんあったのだろう。

お話を語る人のキャラってなんだろう、思い浮かぶのは少しユーモラスで、チルアウトなムード漂うおじいさんとか。最後に手を打ってぱっとひろげてみせたり、顔芸だったり身振り手振りを入れて、言葉以外にもおしまいをあらわしたりしてそう。

深刻そうな人はあまりうかばないな。深刻そうな人が昔話をはじめると、必ず教訓でしめそうな気がする。あるいは哲学の話にはいってちゃったりとか、解説はじめちゃったりとか。それはそれで、その人の眉間のシワの背景にある物語にも興味ひかれるけれど、そう言っているのは今のわたしであり、子供のわたしはきっと退屈してしまうだろう。むすびの言葉を聞く前に窓の外をみてしまっているかもしれない。最初に出したのが東北地方の言葉だったせいか、脳内の語り部屋では窓の外に雪がふっている。東北には行ったことがないのに。

そう行ったことがないのですよ。行きたい。実のところ、今年なにもなければ、国内旅行は東北をと考えてた。遠野行きたい。花巻行きたい。でもGo toキャンペーンがあっても今はちょっと逡巡しちゃうなあ。

閑話休題。

海外の民話は、とくにこういう、こちらとあちらをわける意味での、おしまいの句って思いつかないな、と思い、持っている紙の焼けた偕成社グリム童話5巻を引っ張り出してきてざっとのぞいてみた。グリム童話は「XXということです」みたいな、わりと唐突に終わるもの多い。

イソップは教訓、というのは覚えてるけど。いまでも何かをちゃかしたい気分のときに適当な教訓を最後につけてオチとしたがるのはイソップのせい。

と、こういうブログ記事みつけました。

きみにさちあれ。「結びのことば」

『三びきのやぎのがらがらどん』。ありましたね、ちょきん、ぱちん、すとん。

原文ではなく、その英訳のSnip, snap, snoutについてだけど、なんとなく催眠術師が指をぱちんとならすイメージ。

いずれにしても、こちらとあちらをわける役割を果たすには、あまり意味をなさない方がいいのかも。呪文めいているほど、ぱちん、と指をならされて目が覚め、現実に戻ってこられる気がする。こちらとあちらを仕切るなにか。物語の世界から立ち上がって現実に戻る呪文。

はじまりの言葉はまた別の話。

とっぴんぱらりのぷう。

 とほ

p.s.
んーでも、その地方の子どもたちには即座に意味がわかってしまう言葉なのかしら。どうですか?石川県や滋賀県の方。