こんにちは、デリー在住ヒンディ語学生のトホです。
今年初の更新となります。
この年末年始はバラナシで過ごしました。そう、あのガンガーで有名な生と死が交わるヒンドゥ教の聖地。ヴァラナシ、ヴァーラーナスィー、バナラス、バナーラス、ベナレス、表記がばらけているので検索用に全部書いときます。←
バラナシ訪問は3回目。最初は2010年の1月でした。15年前ですね。世界旅途中の初のプチ沈没場所でした。2週間くらいいたのかな。次は2017年から2018年にかけての年越し。この時も2週間。なのでいずれも冬の時期、年越しは2度目になります。

今回は過去2回に比べて5泊と短めだったんですが、デリーに帰ってきてから2017~2018年の年越し記事を読み返してみたところ、ガートやベンガリトラをぶらぶらしたり、チャイ飲みながらガンガーを眺めたり、カフェに長居したりと、似たようなことしかしてなかった。汗。それも前回は遠出したり、大学行ったり、寺院を巡ったり、なんやかや観光的なこともひととおりしたけど、今回はまじでぶらぶらしてただけ。
でもまあ、いつも寒い時期に来ているせいもあるのでしょうか。騒がしさと静けさが同居する雄大な流れのそばで来し方行く末を整理しながらゆっくり過ごす。バラナシは私にとっていつのまにかそのようなことをする場所に位置付けられたようです。というか初回の過ごし方がそんなふうだったので、以降もその過ごし方を求めて冬を選んでいるところはあるかも。暑い時期も一度は体験してみたい気持ちもあるんですが、ガートで何時間も過ごすには向いてなさそうだしなあ。
そんな3度目の滞在、時を経て行くことで感じた変化がありました。
15年スパンの、精度のあやうい記憶という媒体の中のバラナシとの対比なので、なんかおばちゃんが思い出話しとるわくらいの軽い雑談としてお読みいただければ幸いです。
景観の変化
ピンクシティか
ゴードリヤ交差点方面からダシャシュワメードガートに向かう大通りの両側の店が小綺麗なピンク色の建物になってた。ジャイプールほどじゃなくてもインド各地でピンクがかった建物をよく見かける気がするんだけど、赤い砂岩が取れる国だからそうなりがちなのか、ピンク統一ってやっぱかっこいいよねってことなのか、もっとほかに背景があるのか。教えて詳しい人。
道がきれいになった
とくにガート。15年前からはぐっと、7年前と比べても、全体的に清掃が行き届いている感があり、地面の状態もよくなった気がします。7年前にすでに設置されていたステンレス製のゴミ箱は今もちゃんと機能していて、なによりそのゴミ缶自体がきれいだった。あと、ガートの看板が立派なものになってた。
細い路地ベンガリートラも、歩きやすくなった気がします。道の凸凹が減ったような。牛のうん○も減ったような。どうだろ。書いてるそばから気のせいだった気もしてきました。なんせデリーに住んでいるから目がインドの景色に慣れちゃってるというのはある。
でもバックパックだった15年前はともかく、7年前はコロコロで来たけどその時はまだ持ち上げて歩いたほうが早い区間が多かったのが、今回はコロコロを転がしながらすっすすっす奥まで進んでいけたので、多少は減ったということにしておきます。
店の移り変わりを感じた
ベンガリートラのお店も移り変わりを感じました。モナリザカフェやブラウンベーカリーなど健在の食堂もある一方で、スパイシーバイツはスシカフェになり、ババゲストハウスの下の韓国料理屋はなくなってルーフトップにおしゃれなカフェができ、フォンダンショコラがおいしかったサラカフェは7年前には別の韓国系カフェに変わっていて今回はシャッターが閉まってた。シャッターが閉まっている店は増えた気がします。時期的なものかもだけど。
シヴァ寺院がある側の路地は参拝客も多くあいかわらずの活気でした。そっち側の路地では、オアシスのようだった和食が食べられる店メグカフェがなくなったのが寂しい。
そう、バラナシといえば辛くない日本食が食べられる場所。その認識が今回覆らなかったのは嬉しいところ。今回初めて行ったバニーカフェが、2回行って2回とも頼んだものがおいしかった。人もよく、長く滞在していればもっと行っていたと思います。
スパイシーバイツがスシカフェに変わったのは寂しいけれど、唐揚げ定食ほかさまざまな和食が取り揃えられていて、人も感じよく、通された2階の部屋も和を意識している装飾だしきれいだった。お味噌汁は味がせずダシ入れてがんばってくださいwだったけど、唐揚げはちゃんと日本の唐揚げっぽかった。
有名ラッシー屋は寺院側のブルーラッシーもベンガリートラ側のババラッシーも健在。ブルーラッシーは激混みでインド人対外国人の割合は9対1くらい。座る場所はなく、立って待っているあいだに頼んでないミックスフルーツラッシーを渡されたのでおとなしく受け取り立ったまま食べましたw。
ババラッシーの客層は7年前と変わらずほぼ外国人(だいたい韓国人や日本人)。以前は観光客向けだなあと感じていたけど、今回は変わらずそこにあるお帰り感と、淡々とした応対がむしろ好ましく感じた。自分の内側によっても受け取り方って変わりますね。味も、7年前はブルーラッシーの方に軍配だった気がするのですが今回はみずっぽく感じ、ババラッシーの方が濃厚でおいしく感じました。ただババラッシーは二度行って二度ともプレーンラッシーを頼んだので、同等な比較ではないけれど。
牛が消えた
いえ、いますいます、ちゃんといました。大きな通りや路地に入れば、あいかわらずもぐついていたり、人に何かを与えられたり触れられたりしていた。けどガートからは消えました。うん○踏む危険がないのはありがたいけど、牛がいないガートの景色は寂しい。
ヤヴァい犬が減った
やばい犬に合う確率も減った気がします。やばい犬? そう、噛まれたら怖い系の犬のことです。初バラナシ時は、ベンガリトラを通っていると目がすわってて鳴き声も挙動もバグってる犬に通せんぼされて途方にくれたものだけど、今回そういうわんこには遭遇しなかった。期間が短かったからたまたま?
普通のわんこはたくさんいました。私がガートに座っているとてててっと近づいてきて不自然なくらい超近距離におすわりして、「あ、僕、こっからガンガーみてるだけなんで」というふうをよそおい、頭をなでるとようやく「お、なでてくれる人なんすね?」ともっとなでるようアピールしだすみたいな、おまええ人が好きだなああwとおかしくなる奥ゆかしくも人懐こいわんこはたくさんいました。
旅人の変化
年末年始もあってかメインガート周辺もゴードリヤ交差点周辺も人であふれ返っていたバラナシ。コロナ禍を経てまたこれだけの人が集まる時代に戻ったんだなと感慨深くもあり。そんな中で感じた外国人、インド人それぞれの割合と客層の変化。
外国人の客層
日本人も含め外国人の割合は、宿の人いわくすごく多い時期というわりには、過去の記憶が残る目からすると、あれ、こんなもの?とは感じました。ガートでも路地でも。あと、旅のスタイルというか、猫も杓子もアリババパンツ、民族衣装に長髪を巻き上げた西洋人男子、年齢不詳のほぼサドゥ化した人みたいな、ひとめでそれとわかるバックパッカー仕様の人や熟成した旅人が減ったなあと。すれちがう人は、自国から直行直帰で短期休暇を利用してくる感じのカジュアルながらきれいないでたちの人が多かった。とはいえ、世界旅の頃の自分もかたくなにアリババパンツ拒否する勢でどこにでもあるようなかっこしてたし、服装で測れるわけもないのですが。
だし、そもそもベンガリートラの往来自体が減った。歩きやすくなったのはそのせいもあるのかな。いまや国籍問わず、世界各国どこでもどの国の人でも、旅しては発信するようになりつつある時代ですが、15年前はまだまだ個人旅行は外国人の専売特許のようなところがあり、ベンガリートラですれちがう八割は外国人の「旅人」で、日本人パッカーも多くて、2週間もいれば顔見知りが増えて、店をのぞけばだいたいだれかしら知ってる顔があって、久美子ハウス下のガートで旅歴長そうな誰かが楽器を弾いていてそのまわりにこれまた熟成した装いの旅人たちが集まるともなく集まっていて…そういう風景はもう過去のものになったのでしょうかね。5泊しかしてないし、表面しか見てないから、存在するところには存在しているのかもですが。てか15年って結構なスパンだし、どんな昔の話してるんだ、とか言われそう。汗。
とはいえ2010年前後って今振り返ればバックパッカー全盛期はもう過ぎていて最後の灯し火期くらいだったような気もしてますし、2000年以前に来ていた人の目にうつるバラナシはもっとディープだったんだろうなあ、と想像します。
インド人の客層
ヒンドゥ教の聖地的側面と観光地的側面の両方を併せ持つ場所ですし、人が多いのは当然なんですけど、参拝客や家族連れとは別に、若い世代のカジュアルな旅の層がすごく増えているように感じました。これはバラナシに限らず、この10年インド各地を旅していて折りに触れ感じてきたことですが、さらに普通になった感じ。
でもその頃は男子&青年がほとんどだったのが、今年の発見はソロ旅女子に出会ったこと。それも三人。四日目に移ったゲストハウスで二人、帰りの電車を待つプラットホームで一人。いずれもソロ旅初めてで、休暇を利用してバラナシを初の旅先に選んだということでした。
そのゲストハウスでは女子ドミトリーを利用したんですけど、「外国人おことわり」の宿もあるのでアプリで予約する際に外国人のレビューがあるかも確認して取るようにしてるんですけど、蓋をあけてみればそのドミは外国人私ひとり。写真では外国人もインド人もいて賑やかそうだった共有スペースはだれもおらず。そもそも共有スペースが機能してなかった(宿アプリあるある)。まあその宿に移ったのは半分、ヒンディー語を話す練習がしたくてインドの人に会う目的だったので逆によかったんですが。
ともかくそういう感じで、インドの人のあいだで個人旅も(とっくに?)普通になってきているんだと思います。彼女たちに尋ねてみたところ、コロナ禍以降拍車がかかったとのことでした。
流れるものは流れる方向に流れるようになっている。バラナシが外国人バックパッカーの聖地だったこともひとつの時代だし、今のこれもまっとうな形になりつつあるだけなのかなという気もします。
自分がそういうことを興味をもって観察してしまうたちなこともあるけど、ある程度の時を経て同じ場所を訪れると、国籍や客層が移り変わっていくのを肌で感じられておもしろい。
自分の変化
日本語方面
日本語で話しかけられなくなった。
バラナシといえば日本語で話しかけてくる詐欺師っぺい人が多いことで有名。ですが今回、日本語で話しかけられることが本当に少なかった。とくに初日、鉄道駅からゴードリヤ交差点までオートリキシャで来て、そこから歩いて参拝客や旅行客で激混みの中ダシャシュワメードガートに向かい手前でベンガリトラに入って細い路地を歩いてババラッシー手前の宿につくまで一度も声をかけられなかった時は、「勝った!」という気分に。←Why
結局初めて日本語で話したのは、翌日の夕方プージャー待ちをしていて、時間がまだまだあるからと通りに向かう階段をあがったところで目の前から歩いてきた、7年前にお世話になった旧ルドラゲストハウスのさんちゃんとでした。覚えていてくれて、「なにしてるの?」「プージャーまでまだ時間あるから時間つぶそうかと」「もうすぐ始まるよ」「え、そうなの?」というわけで、プージャーを落ち着いて座ってみられる場所を教えてもらい、その日はさよなら。翌日あきこさんにコーヒーを飲みに行く約束をあらかじめ取り付けていたので、翌日再会となりました。
その後もガートで日本語の呼びかけが遠巻きに聞こえることはあれど、自分に向かってか他の人に向かってかはわからない程度。ついてこられるみたいなこともなく。最終日、もうそろそろカフェに行ってから宿に帰ろうとガートからベンガリートラに向かう階段をあがりかけたところでようやくその手の日本語話し師に声をかけられ、せっかくなので(?)少しだけお話しました。そして「日本人は頭を使いすぎ、もっと心を解き放て」みたいな話になったところで、うんそうだね、あちしカフェ行くからじゃあ!といって去りました。それにしても「日本人は頭を使いすぎ、もっと心を」構文、7年前も聞いた気がするんだけど、バジャールでごじゃーる(古!)とか以外に日本語中級~上級者用対日本人テンプレでもあるんだろうか。
話しかけられることが減った要因を考えてみたのですが、
1. たまたま
2. 私がある程度かわせるようになった。
3. 宿の人いわく、年末で忙しくて詐欺師群が出払っていた。
4. 向こうも選り好みしている。
あたりでしょうか。あれ、なんだろ、4番は自分で書いといて複雑な気持ちに。
でもまあ初日は、一度も地図を確認することもなく迷うことなくまっすぐ宿にたどり着けたことも大きいと思います。立ち止まっていたり迷っているそぶりをすると声かけられやすい。あとメインガートに出てなかったのもあるかも。ダシャシュワメードガート付近がやはり一番話しかけられやすい気はします。メインガートから離れるほどに穏やかな世界が待っている感じ。
ヒンディ語方面
ガートの文字が読めるようになった。
ヒンディ語学生2年目なのでそうでなくては困るのですが、ガートの標識や看板のディヴァーナーガリー語が普通に読めるようになっていました。なので今回は、ガートを歩きながら、ガートの名称を、下の英語表記を見ずに確認していく、という楽しみがありました。
文章になると、読めても意味がわからなくて調べることも多いのですが。
自分のものではなかった言語が自分の中に存在するようになってから初のバラナシ。初旅の頃はよもや自分がデリーで学生生活を送るようになるとは思いもしなかったなあ。
一方で、会話がだめだめすぎることも思い知りました。がっくり。
ただ交渉は格段にしやすくなったし、リスニングも少しは育っている、と感じられた旅でもあったので、うっすい階段でも一歩一歩のぼっている、と自分を鼓舞することにします。
変化しなかったこと
ここからは変化ではなく、変わらなかったこと。
あらためてバラナシが好きだと思った
冬のバラナシは独特なにおいと空気感があります。それを着いて早々に鼻と肌が感じ、そうだ私これが好きだったと思い出しました。
あと、やはりふらっと宿から出れば徒歩圏内に日本食が食べられる店が複数あるというのはポイント高い。デリー和食難民としては特に。気分によってエッグカレーやターリー、韓国料理やイスラエル料理やピザやパスタが食べられて、アッシーガートまで歩けば勉強や書き物に適した長居カフェもあって。散策は川のそば。しかもそれがガンガーっていうんですから。
バラナシって、音の洪水、人の渦といったなにもかもを過剰に感じる面もある一方で、絶対的な静寂もある。外がどんなに音にあふれていても、歩きながらこころゆくまで内側の静けさやインスピレーションを享受できる。開けた景色を前に10ルピーチャイで心ゆくまで過ごす。煮詰まっていても気づけば消えている。こんな脳内断捨離スポット他になくない? むしろゆっくり過ごす目的でしか来たくないすらある。

というわけで、次来るとしてもまた寒い時期になりそうです。
今回はスキップしたけれど、次はヒンドゥ教関連の場所も再訪したい。知識が増えたことでまた違って見えるものもあるだろうから。
あらためてソロ旅が好きだと実感した
今年の年末年始はどこにも行かずデリーにいることも考えたんですけど、行ってよかった。やはり旅はいい。移動は心を活性化させます。旅好きといいながら生活となると日本だろうとインドだろうといくらでも引きこもってしまえる人間ですが、同時にこもり続けることによる淀みにも敏感なタイプで。目の前の景色が移り変わることの効力をあらためて実感しました。

旅では心も活性化するし、内側の日本語も活性化する。ガートを歩いていると、ガンガーを眺めていると、細い路地を行きつ戻りつしていると、言葉やアイデアが降りてきやすい。ひとり旅だとそれを書き落とす時間がたっぷりあるのもいい。
他の言語を学びたい欲がある一方で、私は日本語に対する愛着も強いほうだと思います。おりてきた言葉を書き留めておきたい気持ちが強い。その時間を気ままにとるならやはりソロ旅がいい。

とはいえ、体力低下は感じてきているので、いつまでできるんだろうなあとも思うけれど。まあでも、旅のスタイルは変わっていくとしても、その時できる形でこれからも定期的に外にでて、いろんなものを流したり降ってくるものを捕まえたりしていこう、と思います。

以上、ここまで読んでくださった方、長い雑談ににおつきあいいただきありがとうございました。
人によって目にうつるものは違う。もっと前からバラナシを知る人の目にうつる今のバラナシはどんな感じだろう。アドバイスという形でなければいくらでも聞いてみたい。し、初めて訪れた人の感想も聞いてみたい。あなたの目にうつるバラナシはどうでしたか? 発信すれば旅アドバイスしいがいろいろ言ってくることもあるかもしれないけれど、その旅はあなたの旅、気をつけるべきことは気をつけつつ、初めての感動や初めての好きや嫌いをあますことなく味わってください。
2025年は巳年ですね。この写真を撮ったあとで、来年ヘビ年じゃん!と気付いたのはさすがに自国の文化から離れすぎでしょうか?
放置しているレガシーブログの15年前のバラナシ写真↓
