社会が動く時代に知りたい何かが出てきた時、情報源はできる限りの中立を求め、自分もその立ち位置を基軸にはするけど、左/リベラルにも右/保守にも傾く。だってきっちりなんて無理だよ。この世にはさまざまな状況がある。中立を宣言する行為自体が境界線から一歩リベラルに寄っていることなんだろうな、とは思うけど。
いずれにしても扇動する動きには拒否反応がでる。導こうと掴まれた手は振り解きたくなる。特に急な動きには不自然さを感じる。自分で腑に落ちないうちはどっちにも向かいたくない。スピード命だ、表明が大事だ、と言われても、私は頭もないし咀嚼するのに時間がかかる。時代に取り残されるとしてもマジョリティの流れる方向に乗れないこともある。でも納得できないうちは仕方ない。
万人への正解はない。情報を求める際に正解獲得を目指すとトラップに引っかかる。他者が差し出した、あるいは勝手に流れてくる一見わかりやすい「正解」に見える情報はとくに要注意。そうすると複数の情報を当たるしかないわけだけど、すべてを把握するのは一般人には無理ゲーなのだと割り切って、ある程度の情報に加え直感など使えるものは総動員する。腑に落ちるか落ちないか、それが一番だいじ。
人はともかく、私はそうしているという話。
とほ