昭和レトロマッチ箱ラベルから当時を想像する。

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問わず語り

 

今日は、母の所有する昭和レトロマッチ箱ラベルの話。

 

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押入れから戦時中の写真と一緒に出てきた。

押入れの天袋を整理していて、祖母の持ち物の中から出てきたのはもう二十年以上も前。一緒に保管されていた戦時中の写真(おそらく兵隊だった祖父の持ち物)は個人が持っているには手に余るものだったので市に資料として提出し、祖母のものと思われるマッチ箱のラベルだけ母が保管することになったと記憶している。

マッチ箱本体はなくラベルだけがあるということは内職だったのかもしれないし、他の理由があったのかもしれない。私もあまり詳しくは知らないのだけど、祖父母は戦前は裕福だったけれど祖父が亡くなってから祖母は苦労して母を育てたようだ。

レトロなデザインに興奮。

ともかく、そんなマッチのラベルが大量に出てきたのは、祖母がなくなって何年もたってから。時代的はいつだろう戦後?戦前?、発見したのはすでに平成に入ってからだから、そのフォントや色使いが堂々レトロに感じられる時代になっており、多分母より私の方がすげー!かわいい!と興奮していた気がする。

それで、2017年の帰省時に昔話をしている時に、そういえばそんなマッチあったね、ということになり、久しぶりに取り出された。

分類してみた。

で、最初は当時のフォントやデザインを愛でたりしているだけだったのだけど、大量といっても小さい紙切れなので小箱に収まるサイズとはいえ、あらためてみると枚数も種類もとても多い。むくむくと分類欲求が頭をもたげ、机の上でせっせとカテゴリーごとに分けてみることにした。

結果、気づいたこと。

疑問含め、気付いたことを羅列していく。

・当時の電話番号は3~4桁。

・マッチなだけに夜の店と思われる店が多い。

ティールーム、サロン、カフェというのは文字通りと捉えていいのか。でもそのほかにも、酒屋、小料理屋、旅館、ホテル、和洋菓子、ベーカリー、果物店などさまざま。

・同じ店のが何種類もある。

お得意さんがあった?

あと、場所は下関が多いのは当然として、徳山や小野田など山口県の他の地域、小倉や門司などお隣の北九州市。東京も幾つか。

・韓国のものもあるのは地域性?

そして意外なことに韓国・釜山も。でもこれは下関が、関釜フェリーが往来するほど韓国に近い街であり、在日韓国/朝鮮の方が多く住む文化的側面もあることを考えるとなんら不思議ではない。日本語でマッチが作られていることに、あらためて往来が活発であったことを実感する。

麗人会館。皆様の社交場というのがどういうものなのか、という疑問は残るものの、デザインとフォントはすごく好み。

・その他、映画の封切りの宣伝など。

林 長二郎というのは長谷川 一夫(はせがわ かずお)さんの別名。「戦前から戦後の長きにかけて、日本映画界を代表する二枚目の時代劇スターとして活躍」とウィキペディアにはある。

さっき時代は戦前?戦後?と書いたけど、今「天保安兵衛」という映画の封切り日を調べてみたら1935年。昭和10年だ。れっきとした戦前。祖母はなぜこれらのラベルを持っていたのだろう。当時どんな生活をしていたのだろう。私は母の話す祖母しかほとんど知らない。祖母はずっと入院していて、私が小学生の時に亡くなった。

 

感想。

今回は駆け足でさっとの紹介だったけれど、こうやってあらためてみると、たかがマッチのラベルされどマッチのラベル、地域限定ではあるものの、その時代の空気を感じられる気がして興味深い。繊細なものも含め、もっと掘ろうと思えば、当時の文化事情を掘リ起こせそうな気がした。

とほ