生活の中で多言語をあやつる人々。

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インド日記

一月某日。

 マリアが家の前の通りでご近所さんと話している。右隣の家のおじいちゃん。声が大きいのですぐわかる。いつもお孫さんに勉強を教えたりしているから。声質から人も品もよさそうな人柄が感じとれる。最初、マリア、と声をかけるのが聞こえて、しばらくふたりで話していて、今は数人で話している。ときおり、あっはっは、なんて笑っている。

 私はと言えば、部屋でパソコンをぱたぱたといじっている。さっき軽い朝食をすませたばかり。コーヒーと、体が欲しているだけの塩分と糖分の両方をそろえた、といってもイチゴとキウイに練乳をかけたもの、チーズ一枚、ソイスナック、というありあわせ。

 家からたいして出ない生活をここでもしていることにどこか後ろめたい気持ちも抱く一方で、どこにいても結局は自分の生活なのだと受け止めてもいる。日常は各々に染みついている習慣でできあがる。だけどそうやって私にとっての「いつもの」生活をしている中でも、外から聞こえるご近所の会話が、ここはインドなのだ、と教えてくれもする。私にとっては異国だ、少なくとも今はまだ、だけれど、今話しているあの人たちにとっては、同じ生活を送っているにすぎない。ここでいつも起きている日常と、外から運んできた私の日常が出会う。私の中で。外は晴れている。

 今きこえている会話は英語だ。右隣からはいつも英語の会話や夕方決まった時間にギターで皆が声をそろえて歌う英語の歌が聞こえているから、隣が日常的に使う言語は英語のようだ。

昨日の夕食時の会話で、マリアは英語を含めて7言語を話すことを知った。他のご近所の人と話す時はカンナダ語だと言っていた。ここカルナータカ州の公用語はカンナダ語なので、使う機会は多いよう。

ホストの夫妻は、ケーララ出身でバンガロール在住。ふたりで話されるときはマラヤーラム語。初めて来た日には、テレビでマラヤラム映画が流れていた。ムンバイ以北には行ったことがないという。北のことはニュースや新聞などで知ることだけ。マリアはヒンディ語はわかるけど、日常的にそんなに使うわけではなさそう。でもサイモンはヒンディ語の方が流ちょう?このへん、まだよく背景がわかってない。

7言語といっても、勉強中というドイツ語(息子さん夫婦は現在ドイツ在住)を除外するとすれば6言語、それでも日常的に使える言葉が6言語、いくらそのうちの4言語が兄弟言語だとしても、レベルに違いはあるとしても、英語もふくめて3~4言語が日常的に使えるのは、いまだ英語1つでも(長年仕事に使っておきながら)手を焼いている私の感覚ではすごいと思ってしまう。

ひとつの他言語を習得することは大きな仕事だ。勝手がわからない1つめの言語はとくに。日常の中で必要性に基づいて身についていく言語習得の流れは、とても自然な形に思える。この国にいると、その地を一歩も出なくても、複数言語を使いこなしている人に普通に出逢う。

インド人は言語習得能力が高い、とひとことで言ってしまうのは簡単だけれど、モノリンガルの国とマルチリンガルの国の差さ、と言い切ってしまうのも簡単だけれど、英語習得に苦心しているインド人だってたくさんいるし、イングリッシュミディアムの学校を選べるかでも違うだろう。この前乗ったオートリキシャのムスリムの身なりをしたドライバーは、カンナダミディアムの学校に通っていたと片言の英語で話してくれた。

いずれにしても、私は、この国のあらゆることに興味があるけれどここに身を置くことで日常的に出会える言語状況に興味深々だ。

『世界ヒンディー語の日』らしいのでインドの言語について整理してみた。
Twitterで流れてきて知ったのですが、今日1月10日※は「世界ヒンディー語の日」なんだそうです。 よい機会...