9月になり、ここデリーでも蚊が増える時期になりました(※1)。
蚊は猛暑時ではなく少し気温がさがった頃に出てくるといいます。今年もデング熱というワードを耳にはします。が昨年ほどではないような。
昨年は、9月1日に入国してまっさきに「今はデング熱が流行っているから気をつけて」と言われるほどには流行っていました。
そして、タイトルでばれてというかばらしてますが、まんまとデング熱ロシアンルーレットにあたって入院にいたりました。ヒンディー語学校に通学し始めて2週間経った頃だったでしょうか。
というわけで今日はその時の体験談です。自分語り含め(?)冗長に書いているので、時間も興味もある方だけお進みください。
症状が出るまで。
気をつけてはいたのですよ。
普段は、というか日本ではわりと適当というか、かゆいのは嫌なので防御はするけれど、塗ったり塗らなかったり、つけたりつけなかったり、そんな感じ。
これまでのインド旅でも、インドでお馴染みの蚊よけクリームOdomosを購入しても、これまたつけたりつけなかったり。だいたい余って捨ててました。
でも昨年は、私にしては入国直後に購入して日々まめに塗っていましたし、2週間泊まっていたホテルは上階で窓も閉めてACをつけていたため蚊は出没しにくい環境でしたが、それでも極力インド版ベープ的なGood Knightをつけるようにしていました。
体調がおかしくなるまでに蚊にさされた自覚があるのは一度だけ。まさにデングロシアンルーレットにでもあたった気分。かかるときはかかるものです。
ただ、今思えばですが、その頃は例年稀に見るストレスと物理的いそがしさを抱えており、免疫力が落ちていてかかりやすくなっていたというのはあるかもしれません。
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インド居住計画と称して、南インドのバンガロールで暮らし始めたのが2022年末。5ヶ月間バンガロールに住んだあと、2023年後半からのインド第二章に向けて学生ビザを取りに一旦帰国し、8月からデリーで学生生活スタート
……というのが当初の予定でしたが、もろもろあって一時期は四方八方が膠着、光が差し始めて先に進むめどが立った8月はとにかく慌ただしく、インド第二章を再開できるアドレナリンとエンドルフィンだけでつっぱしり、そのままの勢いで9月1日に入国、週明け9月4日から登校し始めました。
が、入国後もしばらくは入学手続きやFRRO登録やアパート探しなどやることもりだくさんで、やはりアドレナリンとエンドルフィンで乗り切って…いるつもりで全然乗り切れてなかったんでしょう、か、ともかく、ちょいちょい熱を出すようになりまして。
最初は風邪だったのか、休めのサインだったのか、どこからがデングの前兆だったのか境い目はあいまいなんですけども、アパート探しを始めたくらいから発熱、頭痛、悪寒が持続するようになりました。熱が下がったと思ってもすぐ戻ってしまうのです(※2)。
ただその頃はまだ動けていましたので、延泊したホテルもそろそろでなくてはいけませんでしたし、アパート探しに乗り出したんでした。
体調が悪化する中アパート探し。
アパート探しはありがたいことに助けてくれる人(以後、仮名ヌテラ)があらわれてスムーズに決まったのですが、部屋が空くのが10月からということでつなぎとして住む場所を探す必要があり、ヌテラの住むアパートの1階ーインドでは0階ーをヌテラが大家さんと交渉してくれて半月貸してもらうことになりました。
でも借りておきながらなんですが、その部屋がまあけっこうな汚な部屋で😅。人の出入りが激しい入口付近にあり、廊下を犬がうろうろ。部屋は薄暗く、トイレは当然従来式(=和式)、入浴は水をバケツにためて入る式。最初はベッドもなかったのを運んでもらい、机と椅子はヌテラに借り。
なんでそんなところをというと、他に検討していた宿泊先から連絡がこず、急遽の選択肢が限られていたというのはありました。それに、そこは学校からも入居予定のアパートからも近いというメリットもあり、なのでその部屋に荷物を置いて、どうしても住み続けるのが厳しいようなら時々よそに泊まりにいく作戦でいこうと。思っていたんですが。
移ったところで発熱が本格化し、部屋から出られなくなりました。
外に出たとて5メートル歩くのがやっとなので食べ物を調達するのも厳しく。ヌテラが何度も気にして様子を見にきて、薬や果物を買ってきてくれたり料理を作って持ってきてくれたりしていたのですが、ほとんど手をつけられず。Zomatoで頼むにしても、部屋の電波が非常に弱く、電波を探して食べ物を選ぶ気力が出ず。
加えて、その部屋はとあるヒンドゥ教寺院の支部がすく近くにあり、毎日夜があけきらないうちから、独特なリズムの打楽器とお祈りの言葉が間近で聞こえてきていました。そのヒンドゥ教の神様自体は好きなんですが、朝まだきなか熱にうかされた状態で響いてみ? まあけっこうな悪夢につながりますから。笑。
打楽器と祈祷に彩られた夢にうなされながら、某映画の登場人物が衰弱していく時にみていた幻影の場面がぼんやり脳裏にうかぶなどしていました。
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今考えても、このあたりはいろいろつんでましたね。
2023年前半は例年稀に見る荒波だったけど実際ここ十数年凪だったのが急にこの波なに高さでいったら十五年前のやつ以上かもしかもあっちからもこっちからもでさすがにうけるんだけどと笑ったら口の中に海水が流れ込んできて溺れそうになりなりながらなんとか岸辺に辿り着いて息を整えてしきりなおして心機一転歩き始めようとしたところでつむんかいしかもこんな汚部屋で…となってました。←意味不明
救急病院へ。
学校は休まざるをえず、休んでいる間も回復の兆しは見えませんでした。わりと本気で命の危険を覚えてヌテラに救急病院につれていってもらったのが入院の2日前。そこでデング熱と診断がでます。
ちなみにこのときの費用は自費。点滴と数時間の滞在と検査費用で25000ルピーほど(当時のレートで5万円弱)。検査のすべてが必要だったとは思えず、金額も事後報告だったため納得がいかず、交渉して(というよりは私にそんな気力はなかったためヌテラが交渉してくれて)なんとか15000に減額。
それでもこの現金出費は痛く。支払い金額については、隣のベッドのインド人とも大喧嘩になってました😅。インドに限ったことじゃないかもだけど、海外で救急病院は足元みられる危険大。行かずにすむなら行かないにこしたことはない、まじで。
とはいえここで診断が出たことで、保険会社に電話をしなければという危機感が高まり、うっすい電波をなんとかとらえて入院にこぎつけます。電話がつながるまではつながらなすぎて泣きそうでしたが、一旦つながったあとは入院まで劇的にも思えるスムーズさでした。救急病院での件があったあとなので、キャッシュレス診療のありがたさがことさら身にしみた。
デング熱とは。
ここでデング熱とはなんぞやをおさらいしておくと、ネッタイシマカなどの蚊によって媒介されるデングウイルスの感染症。
デング熱(DF)
症状を示す患者の大多数はデング熱と呼ばれる一過性熱性疾患の症状を呈する。感染3 ~7 日後、突然の発熱で始まり、頭痛特に眼窩痛・筋肉痛・関節痛を伴うことが多く、食欲不振、腹痛、便秘を伴うこともある。(引用元:国立感染症研究所)
通常なら「1週間程度で改善し、後遺症なく回復」し、「死に至る危険は少ない」と。救急病院のあとにそれを読んで少しほっとはしていました。体調は依然として絶不調で、軽症そうな記述のわりにはきつすぎる気もしたけれど、ともかく死ぬほどの病気ではなさそうだと。
重篤化の境い目は出血傾向で、デング出血熱に転じると適切な治療を行わなければ致死率はあがるらしい、けどひとまずそれはないみたいだし、ともかくも明日から病院、というのがその晩の精神安定剤になっていた気がします。
デング出血熱(DHF)
デングウイルス感染後、デング熱とほぼ同様に発症し経過した患者の一部において突然、血漿漏出と出血傾向を主症状とするデング出血熱となる。重篤な症状は、発熱が終わり平熱に戻りかけたときに起こることが特徴的である。(引用元:国立感染症研究所)
入院当日の朝。
それは入院当日の朝でした。
目覚めたときに足の裏がやけにじんじんかゆいなあとは思っていました。なにしろ底辺部屋なので、水虫になったのかもショック、なんて思いながらのろりと起きあがり、ベッドからおろした足をみてぎょっとしました。一面紫。もっと正確にいうと、膝から下が紫色のまだら模様。我が足ながらめちゃめちゃ気持ち悪い。
が、ともかくも病院に行く支度をしなければ。数日お風呂に入っていなかったので、軽くでも体をきれいにしておこうと、亀もびっくりののろさで服を脱ぎ、わかしたお湯を足したバケツの水で入浴しました。顔を洗ったついでに鼻をかむと血の塊が出てきました。歯を磨くと吐き出した水に血がまじっていました。
脳内にテロップが流れました。
これ、やばいやつでは?
病院へ。
病院へは自分で行きました。部屋から大通りまでの数十メートルが長かったこと。数メートル歩いてはしゃがみ、数メートル歩いてはしゃがみこみを繰り返して大通りにでて、Uberがつかまらなかったので、そこにわらわら待機していたオートで病院へ。
と、すみません、まだまだ続きそうなので一旦きります。後半は入院話や保険の詳細について。
とほ