マトリックス、まさかの第4作目が作られると知った時から、吐きそうなほど楽しみにしていた。
『マトリックス レザレクションズ』
監督:ラナ・ウォシャウスキー
出演:キアヌ・リーブス、キャリー=アン・モス他
ちなみに3か月前の初予告↓を見た時の感想。
生き残るとか残らないとかどんだけやねん、というのはひとまず横に置き。
(以下、ファーストインプレッション垂れ流し系です。一応大ネタバレになりそうなものは避けたけれど、ネタバレの定義は人によるし、基本的にはいつにもまして好きに書いているし、観てない人、前情報遮断したい人は、絶賛読まないことをおすすめします。あ、でも観た後で戻ってきてね)
昨年のノーラン左脳先生の『テネット』も「吐きそうに楽しみ」という言葉を使っちゃうほどに楽しみにしていたけれど、マトリックスの楽しみ度合いはそれ以上。なんせリアルタイム観賞以前と以後で世界変わっちゃったひとりだし、繰り返し観賞はあまりしない私でも何度観たかわからないし、レボリューションズの歌舞伎町イベントも行ったし、2018年だったかの4D上映もしっかり観たし、なんならもう血液デジタルグリーンに染まってますくらいのいきおいで待機していた。←?
のわりに、納期と試験直前という自業自得スケジューリングにより、12月17日の公開日に観に行けなかったんですけどね。その週末にツイッターをちら見した時に「賛否両論」の文字が目に入ったため、そうだ、今ツイッターのぞくと前情報が入ってしまう、と、速攻閉じて情報シャットダウンし、ようやく昨日朝一で観に行ってきました。
で。冒頭の緑文字が縦に流れるシーンを見ただけで感無量だった。そこに怒涛のデジャヴ。見覚えのある場面、聞き覚えのあるセリフ。でも少しずつ何かが違う。登場人物が「ループ」という言葉を口にする。スクリーンの中にいる登場人物もスクリーンを観ているこちら側も、いきなりメタの世界に突入する。これでわくわくしないでいられますか。
とはいえ、賛否両論という言葉がどこか頭にあったのか、これが見られただけでもう満足、このあとはどっちに転んでももういい、みたいな謎の覚悟が決まり。で。最後まで見終わってどうだったか。
感無量なままでした。
賛否両論については、その詳細もいまだ知らないままに勝手に書くと、内向型中二か外向型中二かによって評価がわかれるのかな、と思った。どっちにしても中二魂を持つ人が喜ぶ話ではあるだろうけど、おうちで遊んでいた子か外で遊んでいた子か、物語重視派かアクション重視派か、あるいはソフト派かハード派か、はたまたたいやきのアンのつまり具合かガワの精巧さか、で分かれるのかなと。マトリックス3部作の、オリジナルとリローデッド&レボリューションズの評価の差にも感じたように。
たいやきと内向外向の関係性に関する勝手な考察はこれくらいにして、オリジナル(1のこと)初観賞時の体験を今一度思い起こすと、リアルタイムで観た時のあの、タイトルを初めて耳にした時の特異な響き、それに伴う何かとんでもない映画かもしれないという期待への本編の答え方は想像をはるかにしのいでいた。ネオとともに恐る恐るFollow the white rabbitしたら、At lastでOkidokiでFree my mindな世界がひろがっていて、精神がむせび泣いた。物語に没入して遊ぶ内向型中二魂がやられたのは当然であった。
とはいえ、オリジナルがなぜあそこまでのムーブメントになったかといえば、映像の驚異、それからアクションとのバランスのよさも切り離せない。後半のGuns. Lots of guns以降のアクション、音楽、物語、三つ巴の高揚。
レザレクションズは、そんな内向型中二魂に存分に答えてくれるものだった。
いや本当、私のような繰り返し観賞により音楽も建物も場面もセリフもしみついてしまっているような人にとっては、あるいは初回衝撃を今も引きずっているような人にとっては、感無量だったんじゃないだろうか。見覚えのある建物や構図がいたるところで出てくる。でもどこか知っている世界の違うバージョン。上書きとは違う、オリジナルからの再びの枝分かれ、のようでいてレボリューションまでの世界もきっちり組み込まれており、そこからの立ち返り。
これでしょ、きみらがほしかったのはこの斧でしょ、と次々くりだすウォシャウスキー女神。あざとい。しかし、悔しいけれど、そのとおりです、と感涙する私。
ただ、逆に言えばそういう人たちのための映画であり、いちげんさんいらっしゃいな作りにはなってなかったようにも思うし、オリジナルがさほどピンとこなかった人にとっても、鼻ほじってしまうところはあるかもしれないな、とは思った。うーんでも、どうかな。初めて観た人の意見も聞きたい気がする。もう観ちゃったので、これからは安心して感想拾いにいけるし。
レザレクションズでは、今では逆に使われすぎてありふれたものになった「バレットタイム」や、続編に対する製作者のシニカル目線さえ使われている。完全なるメタ構造。しかもそのゲームの創作者はかつてのネオなのだ。トーマスに戻り、現実と夢の境界を見失い、カウンセリングのお世話になっている。
レザレクションズのマトリックスはかつてのマトリックスを踏襲しながら、なおかつ今作られるマトリックスでもあった。旧マトリックスは、ネオという絶対的救世主のいる話だったけど、今作られるマトリックスはこの20年で変化してきた世界も如実に反映していた。絶対的に強い誰かに救われる世界、というのは今後もう立ち行かなくなるのかもしれない。現実だろうと物語の世界だろうと。
あと旧エージェントスミスも好きだったけど、今回のスミスのアノマリー具合にもしびれた。敵か味方かよくわからないジョーカーのような存在。うん、しびれた。
アノマリーということに関しては、この世をある程度秩序だてて動かしていくには法則が必要だけど、法則に従っていてばかりでは世界は変わらない、これからは一層アノマリーが世界を動かす時代になっていくのかもしれない、なんてことも、頭の別のところで思っていたりした。
あと、レザレクションズの新たなキーワードとして出てくるバイナリー。今までは基本的に(おそらくとりわけキリスト教圏において)、二元性の世界だった。それで物語を創れていた時代はラクだった。今後はおそらく、おそらくというか確実に、それだけでは立ち行かなくなっていく。わかりやすい光と闇、善と悪、0と1、人間と機械、トーマスアンダーソンとエージェントスミスの世界ではなくなっていく。人々が二元をあたりまえに受け取っていた時代ではなくなっていく。すでにその方向に向かっている。
二元という点においては、男性性と女性性もそう。正直に言えば、レザレクションズの軸のひとつが「愛」だったのは、私の一部はとても高揚したし胸熱でもあった一方で、違う一部は、軽い失望のようなものも感じていた。あ、やっぱりそういう男女の愛的なテーマははずせないわけね、みたいな。
ネオとトリニティのあいだの「愛」はどういう類の愛なんだろう、と見終わったあともずっと考えている。男女間の恋愛、と簡単に言ってしまうのは安易かもしれないけど、神聖視しすぎるのも違う気がしていて。あんまりツインなんたらみたいな言葉も使いたくないし。
現実の話として、ジェンダー(性)という点においては、時代が多様性に向かっているのは正しい気がしているけれど、セックス(性)という点においては、どうしたってこの世界には原則、男性性と女性性しかないわけで。個人的には、ジェンダーの認識を作っているのは、ホルモンのしわざとかそういうのも含めて配分の、割合の、組み合わせのちがいだと思っている。世界には男性性も女性性も必要だ。まだ。ただ、レザレクションズで描かれた愛は、相手をひっぱりあげる強い根拠という点においてその結びつきは不可欠だったと思うし、男性性と女性性間の恋愛は生物学的な性別が違っていても可能なのであり、ネオとトリニティのそれは今回のマトリックスの話で、「たまたま」ジェンダーとセックスが一致しているだけだったと考えてもいいのかもしれない。どっちにしても、現実に限らず物語の世界でも、今後ますます細分化されていくのが自然になっていくだろう。
思うままに書きすぎて大きく話がそれている気がするので話に戻すと、いずれにしてもキャリー=アン・モスが美しかったし、キャリー=アン・モスといえばトリニティだし、あのトリニティが戻ってきてくれて嬉しいし、私がネオとトリニティの役割が今回〇〇していたのに鳥肌だったのもまちがいない。だからもういいや。←は?←理論破綻←最初からや。
あとは、そうだな、個人的には、インド映画勢だからとか抜きにして、プリヤンカー姐さんが誰だかわかった時とその役割にも鳥肌だったな。他には、キアヌ今回は眉毛そらなかったんだwwとか、あのトウキョウは、フジヤマ、サクラ、ツルみたいな、古いハリウッド映画で出てきそうな超ティピカルな日本で笑ったけどサイバーシティとしてならまあ許す(何様)とか、今までの作品をみる限りウォシャウスキー監督が描きたい路線はずっと変わってないんだろうなジュピターだけは脳内でちゃぶ台ひっくり返したけどとか、他にもいろいろあるけど、すでにだらだらすぎなのでやめる。
私、パンフレットは、大学時代にせっせとためていたのを卒業後実家に帰っていた時期に気づいたら捨てられていて諸行無常を味わって以来コレクションする意識を捨てたためにこの四半世紀めったに買わない人になってたのだけど、久しぶりに速攻ゲットした。特別版。1800円て!パンフレットに1800円て!となりながら、でも20ページ多いときいたら通常版ですます勇気がなかった(勇気?)。まだ読んでないので、これから大事に読みます。
あと、ひとつ。「自由意志」というのはレボリューションズからの流れだっけ、レザレクションズでも重要な鍵になっている。
ずいぶん前にあらかた読んで(というか聞いて)いて残り2章だけなぜか放置していたユヴァル・ノア・ハラリ著『21 Lessons』のとあるページを、行きしなのバスの中で聞く気になったのはなぜだろう。見事にリンクしていて、非常につきささった。自己満に過ぎないけれど、この組み合わせは私目掛けて放たれた矢だ。公開初日に観られなかったのは残念だけど、その日の空気の具合、朝一の体調と頭で観られたこと、実のところ観たのが昨日のタイミングで自分にとっては大正解だったと思っている。
そんな自己満だらけの暑苦しい垂れ流しにおつきあいいただいた皆様、(いるとしたら)お疲れ様でございました。読んでいただきありがとうございました。
トホ
p.s.
エンドタイトルで初めて気づいたけど、クリスティーナ・リッチ出てたんだ。
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