V.コネもなにもない人間が旅の本を商業出版するまでの話。

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本を出版した話

その5. 出された条件。

イカロス出版さんについては、持ち込み候補出版社リストに入れる前から旅行の本を出している会社として認識していた。当時、河本ぼあらさんという方の書かれた『河本ぼあらの地球はまあるいよ』という旅行記を始め、いくつか一般の方の旅行体験記が出版されていたのを見たのも大きかったかもしれない。

旅本とは別に、本職関連の雑誌も出している会社だったこともあり、個人的に勝手に身近に感じてもいた。そんなこんなでリストの中でも「絶対に送る」マークを付けていた送り先のひとつであった。

伊勢神宮小旅行から帰ってきて気分転換も完了したし、さ、お仕事お仕事、とパソコンを開くと、イカロス出版のEさんという編集者の方からメールが届いていた。

出版体験記を書いているというのに当時のパソコンを処分してしまっていて今その内容を確認できないので要約すると、「1年前の企画について、もう出版されているかもしれませんが、まだのようでしたら一度お話を聞かせていただけませんか」といった内容のメールだった。

うっそーん。

と思うでしょう。そりゃ。

確かに一度は諦めた。それも、候補30社すべてに送ってあたってくだけたとかじゃなく、10社に満たない出版社に送ったあたりで、自分の中に葛藤が生じ、それを見つめた結果、自分にとっての優先順位に気づいて、旅行記の出版を諦めるに至った。あれだけ出したいと思っていたのに、それだけの労力をかけたのにきっぱりさっくり諦められたのは、それに気づくのに必要な過程だったのかもとすら思っていたくらいだ。

ただ。

出してくれるかもしれない会社が現れたら、そりゃ出すでしょうよ(現金)。だって出したくなくて諦めたんじゃないんだから。

気分は、いいい行きます行きます明日でも今日でも!なんなら今からでも!と鼻息だけで書いて鼻息だけで送信しそうないきおいだったけれど、できるかぎり落ち着いた文面で(そりゃそうだ)、伺います、と返信し、その直後に、ファイルを引っ張り出してきて、最初に送った企画書のアピール文を含め、おさらいを始めた。

でも、喜ぶのは早い。まだ「話を聞かせてください」と言われているだけなのだ。とんでもない落とし穴が、たとえば自費出版を勧めてくるとか、待ってないともいえない。ものすごい難題な条件をふっかけられるかもしれない。期待しすぎないに越したことはない。

当日。

鼻息でイカロス出版さんの戸を叩くと、担当編集者のEさんが迎えてくれた。Eさんは、開口一番に、1年もお待たせしてしまってごめんなさい、と言った。なんと、実は、1年前に企画は通っていたのだという。郵送した原稿を受け取ったのが社長さん?会長さん?(間違っていたらごめんなさい、その場合は後ほど訂正します)で、企画書に目を通して、その時点で決まっていたのだと。1年かかったのは、Eさんが他の仕事で忙しかったのに加え、原稿が長く、読み終えるのが今になったからだと。

すみません、とEさんは謝られて、返ってすっかり恐縮してしまった。それに、えええ、と思うどころか、諦めるに至った葛藤の際に現れたサインが「やめろ」ではなく「一時止まれ」だった、ということを思い出してわれながらちょっと震えた。なにこれ。こういうことあるんだなあ。

その後なにを話したか、細かくはもう覚えてないのだけど、出版に際しできることとできないことを提示されたと記憶している。そして、出版するには2つ条件があると言われた。

私は身構えた。やっぱり。おいでなすった。

「まず半分にしてください」。

送った企画書を引っ張り出しながら今書いているのだけど、その中にこういう言葉がある。

全体でA4で280ページ(400字詰め換算で約800枚)あります。上記の理由からできれば通して読んでいただけるとうれしいですが、この中であげた章や特徴がわかりやすい章に付箋をしていますのでよかったらご参照ください。”

今自分でものけぞったけど、800枚て。最初に1200枚くらいあったのは記憶しているけど半分の600枚くらいに削ったんだったかなと思っていた。実際、商業出版の話その1.では「校正もかねてほぼ半分に削った。」と書いている。どの口が。

さらに正直にいうと、ここも読んだすべての人からの「このシロウトが!」ツッコミ待ちだけど、交渉次第では削らずに上下巻で出してもいい(←出してもいい!)くらいに思っていた。し、上下巻にするならここで切る、という章まで設定していた(←つまり本気)。

しかもしかも、

“出したいのはあくまで「読む」本です。とにかく読んで、もらいたいのです。もし、最初から文庫というのが可能ならそうしたいと考えてもいます。持ち運びやすい本。旅の間でも。治安が気になる国でも。電源のないところでも。そうすると、やはり紙の本なのです。”

最初から文庫でもええよ、と。こわい。シロウト怖いよう。

とはいえ、いかな私でも、まあまず削ることになるだろうとは想定していたし、半分はきついな、とは思ったけれど、他に選択肢はあるだろうか。それに、返って俄然やる気がわいてきた面もあった。

快諾すると、もうひとつの条件を提示された。条件というか、こちらは質問だった。

「特定の宗教や思想はないですか」と。

でも、これも理解できる質問だった。世界の各宗教や思想について触れている箇所はたしかに多かったし、自分の内面の描写もかなり盛り込んだ内容になっていた。それに伴い少し実験的な構成にもしていて、受け入れてくれる人と反発を感じる人がいるだろうことは予め覚悟していた。

それでも出そうとしてくれている。というのが伝わる質問だと感じた。正直に、信仰する宗教はなく特定の団体と関係するなどもありません、と答えた。

Eさんは、そうですか、うちもです、と言い、そこでなんとなく、では成立ですね、というふっとほどけた空気になったのを覚えている。その後、部数や印税などの説明を受けて、オフィスを出た。

駅に向かいながら、あまりにもあっけなく決まったことに驚いていた。驚くというか、呆然としながらにやにやしてしまうというか。数日前、数時間前に、落とし穴があるかもしれないから、と思っていたのが笑えるくらい、あっけなく出版に向かって動き出すことになった。

その後は、半分に削る作業と校正の日々が始まるのだけど。

半分に、というのは、具体的には本のページ数240ページに収まるように、ということであったが、最終的には280ページまで譲歩していただいた。文章をメインにしたいという意向を汲んでいただき、写真の挿入もそれに合わせたものになった。

2013~2014年は本業も新しいことにチャレンジしたりしてク○忙しく、鼻血の出そうな日々だったのだけど、おかげで有料パートに書いたことはまたしても一旦据え置きになってしまったしその他にも反省点もないわけではないけれど、それでもこの時期を乗り切れたのは自分でも達成感が大きい。

なによりEさんとのやりとりを含め、一冊の本を作り上げていくまでの過程の何もかもが私には新鮮で楽しかった。Eさんも、できる限り意向を汲んでくれながら、どうしてもあかんところはぴしゃっと言ってきて、はうっとなったりしつつも、そのアメとムチの塩梅が私には絶妙だった。多分やまほど私のようなシロウトさんを相手にしてこられたんだろうな、というのが垣間見えたりもして、そういうのもなんだか楽しかった。

こうして、2014年8月、音羽徒歩著『それでも地球をまわってる』が出版された。

イカロス出版さんは、最大手というわけではない。なので、大きな販促はないことは予め了解していたし、できることとできないことの両方を予め提示していただいた安心感があった。今でもここから出版させていただけて本当によかったと思っている。

‥‥‥まあ、売れたら一番よかったんですけど。

というわけで、次は反省点です。

とほ

 

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