しょぼいという話は聞いていた。
武蔵と小次郎の銅像以外何もないよ、と。
しかしわたくし、あまのじゃくなもので、ひとさまのしょぼい評価は、そうですか、といったん横におく癖がある。横におくだけならまだしも、しょぼいかどうかはわたくしが決めさせていただきます、とかわいげのないロッテンマイヤーさんが脳内に出没する。ロッテンマイヤーさんて誰、という良い子のみんなは、お父さんお母さんに聞いてね。
ともかく。しょぼい、と言われたらしょぼくないところを見つけてやる、と内心腕まくりしてしまうところがある。そういう性癖をひっさげて、世界三大しょぼい、という不名誉な称号を与えられたコペンハーゲンの人魚姫にも、若干いかり肩で見に行ったことがあるのだけど、その結果、
やっぱりしょぼかったー、てへぺろ(死語)
というオチではなくて、人魚姫、まさかの上海国際博覧会に出張中でその場におらずそもそも謁見かなわず、ということがあった。さすがに、え、そんなのあり、とは思ったけれど。人魚姫側もよほど、しょぼいとかしょぼくないとか、評価されるのがいやだったのでしょう。
早く本題に入れと。
巌流島は本当にしょぼいのか。
宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の地として有名な巌流島は、故郷の下関にある。
巌流島は私が生まれたときからずっとそこに存在していたのだけれど、正直なところ、私の中では巌流焼きの方がよほど有名であった。
巌流焼きというのは下関銘菓の、白あんのどら焼きである。白あんがそこまで得意じゃないのもあって、私自身はあまり食べた記憶がないのだけど、父の好物として認識している。ちなみに黒あんバージョンもあって、その名称は「おそいぞ武蔵」というのらしい。いろいろとあやかっております。
その巌流焼きの販売元である巌流本舗のサイトから引用すると、
つまり、巌流焼きの名の由来は巌流島であり、巌流島の名の由来は佐々木小次郎の流派であったと。
そんな(どんな)巌流島。
よろしい。行ってみようじゃないか。←えらそう
唐戸ターミナルから船で島へ。
あいにくの曇天だけど雨は降らなさそうだし、母がつきあってくれるというので、船着き場のある唐戸ターミナルに向かいました。
まずは隣接するカモンワーフの敦煌でお昼を食べ、
唐戸ターミナルで往復チケットを購入し、
関門汽船にのりこみます。
関門橋を背に、船は進み、
島の歴史を船内のアナウンスで聞いているうちに、10分程度で到着。
上陸していきなり幸運のシンボルに出会う。
ところで、巌流島にはいつのまにやらタヌキが住み着いたらしく、会えるとラッキーみたいなことも小耳にはさんでいたのですが、
さっそく会ってしまいました。
しかし、これは幸運というより、人来ても逃げないし、水あるし・・・飼いならされていないか? というかタヌキってこんな感じだっけ。
いざ武蔵と小次郎の決戦場へ。
船から降りて、最初に目に入る風景はこんな感じ。
松のせいか、遠くの建物がなければ、江戸時代な雰囲気もしないではない。
フォントがザ・巌流島(?)。
なんとなく気分が盛り上がってまいりました。
何か見えてきた。
件の銅像とご対面。え、なかなか悪くなくない?
曇り空も相まって、決闘当時の鬼気迫る様子が伝わってくるようです。
角度を変えると一層気迫が伝わってくる。
伝わってくる。
伝わっ
伝
うん、もういいんじゃないかな。
もうええて。
いいよ、いいよ、武蔵ちゃん、小次郎ちゃんもいいねー、ふたりもっとみつめあって、そうそう、パシャリ、いいねー、パシャリ。パシャリ。パシャリ。パ
は。我を忘れていたようです。いつのまにか母がいない。と、電話がなりました。下見てー。のんびりした声に誘われ、海の方を見ると張り出した展望デッキから手を振る母が。
そちらに移動してもまだ、しつこく武蔵と小次郎を撮り続ける私。
しかし見つめすぎたのか、遠く離れたことで冷静になったのか、だんだん、あの人たちまだやってんの、という心境になってきました。
視点を変えることにします。と、朽ち果てた船を発見。これはもしや。
遅れてきた武蔵を乗せてきた船。の雰囲気を味わってもらおうと下関市が勝手に置いた伝馬船。(実際に山陰地方で使われていたものだそう)
武蔵は善か。
さて。
「約束の時から遅れること2時間」とか、鞘を打ち捨てた小次郎に「小次郎やぶれたり!」とか、逆光を利用とか、武蔵と小次郎といって思い浮かぶほどには有名なエピソードだけれど、実はそのあたりはほぼ吉川栄治さんの小説他、創作らしいですね。
武蔵は本当に焦らしたのか。物語を引き立てるエピソードではあるけれど、これらの逸話を聞くと、個人的には、武蔵かっけー、となるよりは、武蔵ずっりー、となる。何か小次郎が気の毒になる。そう感じる時点で、私が小次郎なら、まんまと心理戦にはまる人間ということなんでしょう。つまり、私は勝負に向いてない。そうなの、勝ち負けって本当苦手。勝つとか負けるとか基本どうでもいい。できればそういうところからは、そういう空気を放つ人からも、極力離れていたい。人類的に真っ先に淘汰されるタイプ。
そんな頼まれもしないのに曝してしまったおのれの闇はおいておいて、史実(仮)に目を向けると、実はこの時にはまだ小次郎は死んでいなくて、気を失って倒れていたところを、武蔵の弟子があとで殺したとか。武蔵は実は人を殺すのは好まなかったとか。所説あるよう。ゆえに木刀だったのか。でも弟子野放しにしておいたんだ、とか。何を信じるかで、武蔵の印象はだいぶ違ってくる。
小次郎は実在した?
そもそも、小次郎は実在したのか。いや、したんだろうけれど。武蔵以上に残されている情報が薄く、何か負けるために用意された人物のようにさえ感じてくる。
あと、日本史力の心もとない私なりに、ずっとほのかに、なぜ下関?なぜ巌流島(船島)?という気持ちがあったのだけど、これは記事を書くために調べるうちに、小次郎は小倉藩剣術師範のようだし地理的に近いからかと納得。・・・しかけたけど、でも武蔵はこっちの人じゃないし、なんで下関くんだりまで?と、やっぱり謎のまま残った。なぜこの地を選んだんだろう。教えて詳しい人。
なじみの薄い分野でも、知れるものならなんでも知りたいという基本的に全方向に興味がある人間としては、こう言う話は人にレクチャーしてもらうに限る。それも、その対象を好きで好きでしょうがない結果詳しくなってしまった人に、どこから話そうかとじりじり嬉々として話してもらうのがいい。何かを好きで好きでしょうがない人の好きで好きでしょうがないその様子を眺めるのが好きで好きでしょうがない、というヘンタイな性癖も私にはある。
今日は自分語り激しいな。いつもか。
ともかく。
決闘の地であるからか、このような記念手形も。
巌流島奉行。こういう遊び心好き。
現在の巌流島は、埋め立てにより決闘当時に比べて6倍の大きさになっているのだとか。
正確な住所は下関市大字彦島字船島。対岸は彦島の三菱造船所。
佐々木巌流之碑。
港にいた子たちとは別に、最後にもう少し野生っぽいたぬ吉たちにばったり。背後から忍び寄っていったら枯れ木を踏んで気づかれてしまい、あっというまに散っていっちゃった。
が、人がだいたい船に乗り込んだ頃にまた出てきて、お見送り。
結論。
結論として。
巌流島、1時間程度の滞在だったけど、めっさ楽しんだ。本当に銅像と松と東屋くらいしかなかったけど、一本勝負的でむしろいさぎよいじゃないかと。逆に、中途半端にふぐのお土産を売ってる店とかなくてよかった。たぬきはご愛敬。これからもこのシンプルな風景を継続してほしい。
でも楽しめたのは、実のところ、あまのじゃく精神によるものではなく、単にその日の気分と、なんでもおもしろがりの母が一緒だったのもあるのと、あとは、なんといっても、最後のたぬ吉たちのお見送りによるものが大きいかもしれない。
とほ
下関・唐戸ターミナル(下関駅から車で10分)より関門船で片道約10分。往復900円。券売機は現金しか利用できないので注意。
※門司港発着は、2021年12月現在コロナの影響で土日のみの運航。
参考にしたサイト:
対岸にある彦島でペトログラフを探し歩いた過去記事。
別の無人島訪問記。