宗像三女神を祀る総本社、宗像大社へ。

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神話の旅

 

今年のお正月三日目は、いつもの江島神社に初詣にいった。

というわけでここで、昨年11月の帰省時に行ってきた宗像大社の話を。

なぜそういう流れになるかというと、江島神社の御祭神は、宗像大社と同じ宗像三女神だから。同じというか、宗像大社は、全国に7000社以上あるとされる宗像・厳島神社系列社、宗像三女神を祀る神社の総本社であり、広島県宮島の厳島神社の総本宮という位置付けらしい。ちなみに厳島神社には2018年にお参りさせていただいた

私の推し神様がサラスヴァティ(インドの神様)=弁才天(弁財天)=イチキシマヒメという話は、過去に何度か、時には鼻息荒く、説明しているので今回は省くけれど、そんなわけで、勝手に推し認定しちゃった頃ぐらいから、旅行するとなったときには、行先に弁才天やイチキシマヒメを祀る神社仏閣がないかを意識するようになった。

宗像大社も当然行きたいと思うようになっていて、なのに、実家のある山口県下関市からはさほど遠くないにもかかわらず、いつでも帰省時に行けるとついつい後回しにしていたら、コロナ禍に突入してしまった。そんなわけで、昨年11月の東京九州フェリー帰省時にようやく行ってきました。

 

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宗像大社辺津宮へ。

下関(小倉)方面からの行き方は、まず鹿児島本線でJR東郷駅へ。駅からは「東郷駅前」バス停から「宗像大社・神湊波止場行」の西鉄バスに乗車、「宗像大社前」で下車。バスは1時間に1本と少ないものの、所要時間は10分ちょっとで到着。

早速目についた梅枝餅っぽい焼き饅頭を買い食い。午前中に着いたので、正午を回っておなかが空いて参拝中気がそぞろにならないために。というのはもちろん言い訳。

「宗像大社前」で下車して行けるのは、市杵島姫神を祭神とする辺津宮。

 

宗像大社について。

ここでおさらいすると、宗像大社は、2017年に「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」として世界文化遺産に登録された。

私たち一般人が参拝できるのは九州本土にある辺津宮(祭神:市杵島姫神/いちきしまひめのかみ)と、船で渡る大島の中津宮(祭神:湍津姫神/たぎつひめのかみ)。沖ノ島にある沖津宮(祭神:田心姫神/たごりひめのかみ)は女人禁制で、渡れるのは神職のみ。

島全体がご神体であり『神宿る島』として世界遺産に登録されたことから、宗像大社といえば沖ノ島というイメージがありそうだけど、実際には「~と関連遺産群」とあるように、三宮すべてを含む。

宗像大社 公式ホームページ
宗像大社は、日本神話に登場する日本最古の神社の一つです。御祭神は、天照大神の三女神で、沖津宮、中津宮、辺津宮にそれぞれ祀られ、この三宮を総称して、宗像大社といいます。

宗像大社は、日本神話に登場する日本最古の神社の一つです。御祭神は、天照大神の三女神で、沖津宮、中津宮、辺津宮にそれぞれ祀られ、この三宮を総称して、宗像大社といいます。


ちょうど菊まつり(西日本菊花大会)が開催されていたので、さらりと菊を愛でつつ、本殿へ。

まずはなによりも市杵島姫神を祀る本殿をお参り。

女神ということもあってか、背筋が伸びるような、厳しい印象もある三柱、厳島神社ではとくにそう感じたのだけど、ここ宗像大社では、総本社とか世界遺産という大きな冠に反して、混雑してないせいもあるのか、穏やかでのんびりした気持ちのいい空気が漂っているように感じた。

でも思えば江島神社でも、厳島神社ほどの厳しさは感じていなかったりするのだよな。一番通っているから、勝手に心やすいような気になっている部分もあるかもしれないけれど。といいながら気を引き締めている部分もありはするのだけれど(どっち)。

どちらかというと、宗像大社は、出雲大社に似たおおらかさに近い感じがした。でも単純に、福岡とか出雲とか、土地の雰囲気かもしれない(だからどっち)。

本殿をお参りしたあとは、田心姫神を祀る第二宮、湍津姫神を祀る第三宮へ。

公式サイトによると、伊勢神宮の古い社殿が使われているそう。

そのあとは、さらに奥にある高宮祭場(たかみやさいじょう)へ。

市杵島姫神降臨の地、高宮祭場。

高宮祭場は、市杵島姫神の降臨地とされている。



厳しさはあまり感じないと書いたけれど、ここ高宮祭場では、本殿周辺の穏やかさに比べ、圧倒的に静謐で厳かな空気を感じた。でもこれも、人の少なさや緑深いせいもあるかもしれない。





フグといい巌流島といい、私は、どこかに出かけて写真を撮るときに、何かひとつのものに執着して撮る習性がどうもあるようなのだけど、宗像大社では木だったよう。ちなみに、さも良い感じで降り注いでいる光はあれです、スマホのレンズよくふいてなかったとかそういうやつです。なんかもう本当すみません。




再び本殿のある境内に戻り、本殿を取り囲むように並ぶ摂末社をゆっくりまわって正面に戻ろうとしたところで、ちょうど目の前で白無垢の花嫁さんと新郎さんの婚礼撮影が行われていて、よいものをお裾分けしていただいた気持ちになった。

その後、沖ノ島の神宝を中心に、宗像大社にまつわる重要文化財が置かれている神宝館へ。ほぼひとりじめ状態でゆっくり拝観し、この日のお参りは終了とした。

というわけで、今回訪問させていただいたのは辺津宮のみ。大島にある中津宮にも、いつか機会を見つけて行ってみたい。

 

興味を持つようになって生まれた疑問あれこれ。

ここからは、弁才天や宗像三女神に興味を持つようになり、参拝したり記事にしたりする過程で生まれた疑問(と、わかりやすく説明してあるサイトのリンク)をまとめて書いておく。備忘録のようなものなので、興味がある方おひまな方だけおすすみください。

Q: 宗像三女神の名前の表記は神社によってなぜ違う?

宗像大社公式サイト
市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)※辺津宮
湍津姫神(たぎつひめのかみ)※中津宮
田心姫神(たごりひめのかみ)※沖津宮

宗像大社 公式ホームページ
宗像大社は、日本神話に登場する日本最古の神社の一つです。御祭神は、天照大神の三女神で、沖津宮、中津宮、辺津宮にそれぞれ祀られ、この三宮を総称して、宗像大社といいます。


江島神社公式サイト

市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)※中津宮
田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)※辺津宮
多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)※奥津宮

ご祭神|江島神社について | 【公式】日本三大弁財天・江島神社
江島神社のホームページです


厳島神社公式サイト
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)

国宝・世界遺産 嚴島神社 【公式サイト】
国宝嚴島神社は、平成8年に世界遺産に登録されました。当社の御祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)と素盞鳴尊(すさのおのみこと)が高天原(たかまのはら)で剣玉の御誓(うけい)をされた時に御出現になった神々で、御皇室の安泰や国家鎮護、また海上の守護神として古くから崇信を受けられた・・・

これは過去に調べて書いたものを再掲載。

※市寸島比売命/市杵嶋姫命について:
『古事記』では市寸島比売命、『日本書紀』では市杵嶋姫命なのだそう。前回の記事では、厳島神社の公式ページにならって市杵嶋姫命としましたが、ここでは古事記の話をしたので市寸島比売命を併記しました。

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Q:古事記と日本書紀では生誕の順序が違う?

江島神社の公式サイトでは長女がタギリヒメ、次女がタギツヒメ、三女がイチキシマヒメとなっている。けれど、イチキシマヒメが一番先とか、いやいや本来順番はないとか、所説あって調べるほどにこんがらがり。人間の世界で考えてはいけないのかも。

ひとまず保留。とはいえ、イチキシマヒメの位置づけや、タキリビメとタギツヒメの混同といった疑問を含め、宗像三女系列社の詳細とともに、理解しやすくまとめられているサイトを見つけたので、これもリンクをはっておく。

神社人 - 宗像神社/厳島神社-神社人
宗像神社/厳島神社-神社人 神社人は、日本を楽しむ日本最大の神社ファン・コミュニティを目指す、ジャパン・カルチャル・コミュニティ・サイトです。

宗像神社/厳島神社基本神

[古事記名] 市寸島比売命(イチキシマヒメ)
[日本書紀名] 市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)
[別名] 狭依毘売命(サヨリビメ)
[別名] 弁才天/辨財天(ベンザイテン)

基本、宗像三女として、多紀理毘売命(タキリビメ)と多岐都比売命(タギツヒメ)と一緒になって祀られることが多いが、厳島神社などでは、単神で祀られることも多いため、宗像三女系列社を代表する神さまと言われれば、このイチキシマヒメということになる。特に、イチキシマヒメだけが、仏教の守護神となる弁才天と習合していることもあり、知名度、人気ともに高く、これも単神で祀られる所以となっている。

Q:「みこと」と「かみ」呼びの違いは?

保留。調べます。求む詳しい人。ひとまず「命」「尊」「神」について説明しているサイトを見つけたので、リンクをはっておく。

Entry is not found - 西野神社 社務日誌
札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

「神」と「命」の敬称をそれぞれ持っている神様の場合は、主に、神社の御祭神として御神徳を発揮される時は「神」という敬称が、神話などに於いて、時に失敗したり罪を犯したりするなど人間的な側面を発揮される時には「命」という敬称が使われる事が多いようです。


Q: 辺津宮、中津宮、奥津宮/沖津宮で祀られている祭神が神社によって違うのはなぜ? また、へつみや、へつぐう、どっち?どっちでもよい?

保留。調べます。求む詳しい人。

Q:「道主貴(みちぬしのむち)」とは。

宗像三女神のこと。

あらゆる「道」の最高神として航海の安全や交通安全などを祈願する神様として崇敬を集めている。

宗像三女神 – Wikipedia

Q: 弁才天との同一視について

神仏習合により弁才天=イチキシマヒメが同一視されているけれど、本邦には神仏分離の歴史もある。三大弁天との立場を明確にしている江島神社がある一方で、厳島神社は、三大弁天とされてはいるけれど、弁才天自体は明治維新以降の新政府による神仏分離令により近くの大願寺に遷されている。この大願寺とセットでのくくりということだろうか。
また宗像大社の立ち位置は? 公式サイトによると、中津宮には厳島神社があり、祭神は市杵島姫神で、「過去には市杵島神社、弁財天社ともいわれていました」とある。現立ち位置の決定は神社によるのか。それとも他の理由があったりする?

これも保留。調べます。求む詳しい人。

神仏習合と神仏分離の経緯を、竹生島の弁財天分離とからめてわかりやすく説明しているプレジデントの記事↓。

なぜ日本の神道と仏教は仲良しだったのか 神社と寺院が一体化した施設もある
神道と仏教は違う宗教だ。だが江戸時代まで2つの宗教は混じり合っていた。その証拠がいまも琵琶湖の小島に残っている。現地を訪ねたジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳氏は「別々の宗教が仲良く併存してきた国はめずらしい。それは日本人の誇るべき点ではないか」という――。

 弁財天を祭る神仏習合の宗教施設が造られたのは8世紀。弁財天とは、ヒンドゥー教の水の女神サラスバティを起源とする。日本では弁財天は神道や仏教と混じり合い、特に中世以降は仏教における守護神天部のひとつとして位置付けられる。大黒天、恵比寿、毘沙門天などと並んで七福神の一角をなすことでも知られている。(中略)
江戸時代まで宝厳寺と都久夫須麻神社は一体で、「竹生島権現弁才天社」という名称で知られていた。「権現」というのは、仏菩薩が衆生を救うために、神の姿でこの世に現れたものとする神仏習合の考え方である。(中略)
ところが、折しも明治維新の節目を迎えると、新政府は神仏習合を完全否定する。仏教が伝来する前の、神道中心国家をめざすべく、寺と神社を明確に分ける神仏分離令を発したのだ。

Q: 滋賀県竹生島にある竹生島神社にもいつか行きたい。

最後のは単なる希望。

とほ

(※上記は、あくまで私がわかりやすいと感じたサイトのリンクです。また素人が興味を持ち始めてからネットを中心に調べた内容なので、そこから得た情報その他を基にした解釈は間違っている可能性があります。間違いを見つけた方はお手数ですがお知らせいただけるととても助かります。)

 

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