はじめなければわからないこともある。

インド日記 インド日記

12月某日。

昨日は1日家にいたせいか、睡眠も十分ではなかったせいか、夕方に陰鬱な気分がやってきてしまい、つめこみすぎなのではないか、できるわけないのでは、という気持ちになりかけた。

けど、少なくとも「インドに来る」は実現したのだし、やってみるリストにある声出しYoutubeも始められた。少しは進んでいると思うことにする。

始めてみなければわからないことはある。

始めてみれば、動画制作は思ったよりは難しくなかった。私が動画でしたいことはシンプルなものなので、そのレベルではあるけれど。苦手克服のためであっても始められたこと、数日続けられていることは、すでになけなしレベルではあるけれど達成感をもたらしている。

動画に限らず、とっかかりの敷居は低い方がいい。そうでないとそもそも始めることができない。初動の腰の重さといったら、お尻がブラジルまで突き抜けているレベルなので。

でもなんとか腰をあげ、いざ始めてみれば意外に楽しいということに気づく。撮影パートはたかが数分になにかともたついているし、緊張もしているけど、編集パートとなるととたんに楽しさがあがる。始めてみて初めて、こうしたい、ああしたい、がでてくる。したいから始めたものでも、時間をかけたくない部分でお金で解決するならその選択もする。有料版をさっさと買ってしまうとか。

というわけで、第一段階としてスマホ動画編集用に選んだアプリは使い勝手がよく無料でやれることも多いけれど、モザイク処理などは街をとるならどうしても必要な気がするし、その他の機能も考えて制限がない方がよさそうなので、有料版を買ってしまおうと思っている。

ただ声出しという点では、現時点では続けるつもりだけれど、この先優先順位上位のあれやそれを圧迫するようなら、切り捨てる選択も必要かもしれない。継続もそれはそれでだいじだけど、始めたことを大きくとらえすぎる必要はないとも思っている。

それから、声出し動画を始めてわかったこと。自分の声。聴くに堪えないと思っていたけど、なんというか、思っていたほどじゃなかった。少なくとも遠い昔に録音で聞いて「ぎゃー!」と耳をふさぎたくなっていたよりは。年取って図太くなり恥の概念が薄れただけかもしれないが。自分で思っていたよりはひどくなかった。少なくともそこまで人を不快にさせないのではないか。スピードにイラつく人はいるだろうなとは思う。でもそういう人は離れるだろうし聞かなければいいわけで。なんなら安心する人さえいるかもしれない。最後のは書いてみたものの速攻打ち消したくなっているが。

美声ではない。知ってる。声も小さい。喉も弱い。それはあらためて自覚した。あと、さ行の発音がだらしない。知らなかった。これはなんとかしたい。肝心のトークに関しても、毎回終わったあとに「もう少しがんばりましょう」スタンプが脳内でばんばん押されている。けど、人前で話すことをやってきていないし、向いている向いてないもあるとしてもある程度は慣れもあるだろうし、下書きをするなどして対処していくしかない。

どちらにしても、思ったよりだいじょうぶだったという部分もあらためてあかんと気づいた部分も含め、自分の声に対してそのように自分が感じるのだと発見したのは新鮮だった。

始めなければわからないことはある。

少なくとも私は今少しずつやってみたいことに着手している。

「とほさんはしたいといったことを着々と実現していてすごい」。来る前に会った友達の言葉が静かにうれしく耳に残っている。ぽつんと、つぶやくように言ってくれたからか、ことさらに響いた。そういえばつい最近も、久しぶりにLineでやりとりした友人から似たような言葉が降ってきたんだったな。

すごくはないし、個人レベルでしたいと思うことをただやっているだけだ、それでもそのように見ていてくれた人がいるというのはやはりふとした時に力になる。確かに私、そういうところはしぶといのかもしれない、なんて。なしくずしになってきたものも山ほどあるけれど、一方で「これ」と決めたことに関しては往生際悪くやってきたこともあるな、なんて。

インドのことも、しぶとく思い続けて、なぜそこまでなんだろうな、とじつのところ最近では思っていて、つまり熱情に押されていきおいで来ちゃった、みたいなことではなく、コロナによる数年の据え置きがあったにせよ、一度はやっておかないと後悔しそうだから、という温度で、ひきとめ材料もゼロではない中で、どこか腰の重さもありつつの各種作業をおえて来たわけだけれど。

いざ身を移したあとではすべてが軽やかに思える。ここまで来る、をとりあえずクリアしたから、次のステップを。年齢、国、したいこと。人からは理解してもらえないことも多いだろうけど、私は私の決めたプランに従って進めていくだけだ。

始めなければわからないことはある。ひとつをクリアして初めて次が見えてくることはある。

 

2023年5月、正直に追記:その後、案の定、声出し動画は頓挫しております。