『短くて恐ろしいフィルの時代』に関する、とある同意

物語/本

読み始めは、なるほど、寓話だ、と思った。いいぞ。わかっていたけど。そのような本らしい、とわかって手に取ったんだけど。

でも読み始めてすぐに、少しばかりわかりやすすぎる気もしはじめる。あれかな、寓話の顔をしてプロパガンダ色が強い話だったりすんのかな。

でも杞憂だった。そのあとすぐに、ばかばかしい展開がある。いいぞ、とまた私は思う。なるほど、物語だ。ばかばかしさは物語に欠かせない要素だ。とくに寓話色の強い話は、どうばかばかしくあるかが肝だといっていいくらいだ。少なくとも私にとってはそうだ。

会話も軽妙だ。読みやすい。でも逆に、少しだけ読みやすすぎるようにも思う。私は寓話には、ほんの少しだけ私と距離を置いてほしいと思っている節があるかもしれない。

ふと数年前に観た映画を思い出す。よくできていて、社会風刺はあるようでないようで、人を食ったようなおかしみもあって、終盤までとてもおもしろく観ていたのに、最後の最後になって監督が怒りを提示してきて、例えて言うなら、陽気なパーティーに出席していたら、終盤になって主催者に「ジャーン!実はこれは決起集会でした!賛同者は拍手!!」と種明かしされたような、あるいは、語り口のうまいナイスなじいさんのユーモアの効いた話をチルアウトなバーで聞いていたら、最後の最後で、怒ってんだよおれはああ、と机ぶったたいてグラス割って暴れ始めたような、それならそういう話として聞くから最初から言ってくれよう、なんだったんだあの語り口は…って気持ちになったのだけど、あんな話じゃないといいな。

まあいい。そんな脳内おしゃべりは横において、とにかく読み進めることにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

そして読み終わった今、賢しげに冒頭の感想を述べた自分が恥ずかしい。冒頭を読んでいたのが遠い昔のようだ。あの頃の私は無邪気だった。やるならもっと確信を持って煙に巻かなければいけなかったのだ。煙に巻く力において、この物語は絶大な力がある。煙に巻く力においては、この物語に舌を巻かざるをえない。まるで恐怖政治だ。私などはただの凡人だ。思い知らされた。きっと部品が足りないせいだ。人間が部品の寄せ集めであることすら理解していなかった。人間とはこれこれこうである、という自分の認識がいかに浅いものであったか。もはや納められる税もない。この物語を楽シメタとする同意書にサインしてしまいそうだ。してしまうだろう。してしまおう。読み終わった時代が遠く懐かしい。

p.s.
コーヒーを飲みながら。

とほ

 

短くて恐ろしいフィルの時代 (河出文庫)
ジョージ・ソーンダーズ
岸本佐知子訳