バルコニーをあけると滋養が与えられる日々。

Airbnb日記, Airbnb diary インド日記
2月某日

窓の外から私の名を呼ぶ声がして、顔を出すと、隣のバルコニーにお盆やカップを手にして待っているマリアがいる。

おなかを壊して以来、マリアが何かと気にかけて、消化にいいものを作っては渡してくれる。バルコニーごしに。バルコニーとバルコニーのあいだはうっかり体ごと落ちそうと毎回1ミリ分はらはらするほどには距離があるのだけれど、その方が手っ取り早いから。息子さんがいた頃もよくこうしてバルコニーごしに渡していたらしい。

マリアは日中は、目を離せないご家族のお世話でなかなか下におりてこられないし、私の借りている部屋は2階から1階におりてきてもういちどリビングにある急な螺旋階段をあがったところ。自宅だろうと年配の人にはきついのはわかる。初日は私もこれを毎回上り下りするのかと思ったもの。慣れたけど。

でも、手っ取り早いからといったけど、そういう手間もあるだろうというだけで、じつのところなんだか楽しい。窓の外から呼ぶ声がすること、顔を出すと隣のバルコニーにマリアがいて、にやっと笑い合うということが

お腹を壊してからじゃない。マリアとは、2月中旬の夫妻の故郷であるケーララ旅から私が戻って以来、なんだか距離が近くなった気がしている。もしかしたらケーララに向かう寝台列車の中のワッツアップのやりとりからかもしれない。ケーララ旅の話はそのうち記事にするつもりなのでここではこれくらいにしておくとして。

最初から感じのよいご夫婦ではあったし、こういう会話の機会もあったりしたんだけれど、行く前の1ヵ月はけして近いというのではなかった。冠婚葬祭イベントでなにかと忙しそうだったし、私は私で、仕事が入ったのもあって天界のような2階にこもりがちだった。とくにスネハが来てからは戸締りもホストとのコミュニケーションも率先すぎるほど率先してくれることもあり、当初の下宿的なきゅうくつさは緩和された一方で、知らされるべきことを知らされなかったりして、ん?と思うこともないではなかった。自分が密すぎる関係を避けているところもあったくせに勝手だけれど。

それが、12日間の旅から帰ってきて今まで以上におしゃべりするようになって。先日は、食肉や鮮魚を調達するデリバリーサービスのアプリを教えてもらった。ベジタリアンのスネハには内緒ね、みたいな、共謀者の笑みをふたりで交わし合ったりして。いろいろ便宜図ってくれようとしているのも以前より感じる。とくにおなかこわしたのを機に、隣から声がかかっては、何かしらの食べ物を渡してくれるようになった。

今日はとても優しい味のビーツスープ。まだ本調子でないので、この優しさが本当にありがたい。めちゃめちゃしみる。昨日作ってもらったカードライスも、お腹に優しいよ、といわれて、でも、体を壊した時は塩味だけのおかゆか卵雑炊を欲する日本人としては、え、ヨーグルトとごはんでしょお、食べられるかな、と思ったのだけど、ステンレス食器にのせられたそれをもらってみたら、おかゆとカードは混ぜてよいし、別々に食べてもよいようにしてくれていた。確かに優しい味で、お昼過ぎで流石におなかすいてきたけどでもまだ本調子じゃないなあ、何食べればいいんだか、という昨日のおなかになんともちょうどよく、ペロリと食べてしまった。

ケーララのお米は、バスマティライスより日本のお米に似ている気がする。日本米の2倍以上くらい大きいけど。プレーンな感じのおかゆにすると日本のおかゆのように、これなら食べられるという感じになる。高菜のようなピリ辛なアチャールもマイルドな辛さで、添えられたパパドとともに絶妙なアクセントになっていた。

そういえばミントの入ったブラックティもいただいて、これも沁みたのだったな。

本当マリア様みたい。明るいインドの聖母マリア。

サイモンはサイモンで、一見こわもてで、リビングにいると私はまだ勝手に圧を感じて、まだ少し「こええよう」と感じたりもするんだけど(汗)、実直で善良な人なのは明らかだ。よく螺旋階段をゆっくりのぼってきて、くだものやチャイを持ってきてくれる。

先日も、ちょっといい?とノックしてきて、何かと思ったら、バルコニーから身を乗り出して何かの実をもいでいき、あとで輪切りにしたものをおすそわけしてくれた。ランファルという果物だという。ランファルというのはどういったらいいんだろう、洋ナシのような形のくだもので、果実はねっとりと甘い。今は季節なのらしい。でも、市場ではなかなかこの種類のものはないのだそう。通称カスタードフルーツというのだと知った。すごく気に入ってしまい、そう伝えたら、それ以来、熟した実が取れるたびにおすそわけしてくれるようになった。